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旅エッセイー長崎

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殉教、戦乱、被爆、そして噴火の歴史をたどる長崎   202305長崎 

 航空会社の距離に関係なく一律、というお得なキャンペーンがあり、去年行った北海道女満別空港とほぼ同じ距離だ、という理由で夫は長崎を選んだ。
 玄界灘の壱岐、対馬、そして五島列島と海と島の多い長崎県だが、今回はレンタカーで回るため大浦湾を囲むエリアに限定し、ハウステンボス、佐世保、平戸、長崎、雲仙などをめぐる。大浦湾が海とつながっているのは針生瀬戸だけで、ほとんど大きな湖のような湾なのだということがよくわかった。
 空港でレンタカーを借り、ハウステンボスへ。かなり昔、バブリーな頃、ツアーでオランダ村へは行ったことがあったが、正直オランダ村とハウステンボスの関係がよくわからない。オランダ村がハウステンボスになったのかと思っていたら、別物らしい。不勉強で申し訳ないが似たような場所に似たようなオランダ風のアミューズメントパークがあるのだから、関東の人間にとっては一緒くたになってしまう。九州の人だって豊島園とよみうりランドの位置関係などよくわからないだろうと思う。東京ディズニーランドが実は千葉にあるとかも。
 まあ、正直ハウステンボスは一回行けばいいかな。人工的な装飾が昼間の光で見ると色あせて見え、なんとなくレトロでキッチュな印象。屋内系アトラクションはプロジェクションマッピングなどが多い。まあ、ここは作りこんだオランダ的風景を楽しんで異国を味わうものだろう。遊園地のような動的なアトラクションがあるわけでなく、子供は歩き疲れて飽きるかもしれない。
 夜はライトアップされなかなかきれいである。とくに屋外の大規模なプロジェクションマッピングは滝が流れるようで見ごたえがあった。これは大人のデートコースにはよさそうだ。
 ハウステンボスに隣接したホテルには修学旅行生が大挙して訪れていた。高校生くらいなら楽しめそうだ。翌朝ホテルから眺めた大村湾に突き出たハウステンボスは向こうに山が見えることを除けば運河が流れるアムステルダムを髣髴とさせる。まあアムスよりはるかに緑が多いけれど。実際に人が暮らせる住宅地も隣接して作られている。相当な高級住宅地らしい。見栄えはいいが、近くに駅もスーパーもコンビニも無さそうだから買い物にも通勤にも車なしでは行かれそうにない。
 真昼の庭園でレトロなドレス姿で写真を撮る人たちがいた。商業的な撮影かもしれないが映える写真をとるにはちょうどいい。レンガの街並み風に彩られたゴミ箱もなかなか味わい深い。
 
 その後平戸へ移動しオランダ商館や平戸の殿様松浦氏の資料館を見学する。松浦の歴代当主の名前が陞(すすむ)、煕(ひろむ)、曜(てらす)、湛(たたう)、棟(たかし)、連(つらぬ)、聞(きこゆ)、持(たもつ)、遊(あそぶ)、調(しらぶ)、囲(かこい)、などと一文字なところが妙に気になった。今時のキラキラネームより余程かっこよくないか。
 佐世保で一泊する。米軍基地の人々が街にくりだしアーケードを歩いていた。大通りには白い教会がそびえ周囲の普通の不動産屋やら飲食店やらを威圧している。
 
 翌日佐世保を発ちエメラルドグリーンの海に浮かぶ九十九島を見ながらドライブし長崎市へ。
 まずは長崎のシンボル白亜の大浦天主堂へ。黒船来航後、外国人居留地の隣の土地に作られた外国人用の教会で、日本の二十六人の殉教者が聖人に列せられたのを受け、捧げられた。正式には「日本二十六聖殉教者聖堂」と言うらしい。
 中には殉教の様子を描いた絵が掲げられている。こういう殉教や拷問の絵画は雲仙、島原方面の資料館など、長崎でしばしば目にすることになるが、はっきり言ってかなりえげつない。子供が見たらトラウマになりそうだ。まあ中世ヨーロッパの異端審問や魔女狩りもさらにえぐいのだが。キリスト教徒だから殺されるのと異教徒だから殺されるのとの差でやってることは同じだ。人間は宗教が絡むと恐ろしいことをしてのける。
 さらに信徒発見の重要な場面の絵画も。秀吉の禁教令、さらに徳川幕府の禁教令以降途絶えたと思われていたキリスト教徒が1865年、この大浦天主堂が完成した献堂式の日に発見されたという。当時プティジャン神父が横浜のジラール神父に書き送った書簡によれば、その時一人の婦人がプティジャン神父に近寄り「私たちは浦上から来ました、皆あなた様と同じ心でございます。サンタマリアの御像はどこ?」と訴えたことでキリシタンの子孫が生き残っていたことを発見したという。
 戦国時代、南蛮貿易に関心を持った武将たちがキリスト教を受け入れていたものの、土佐に漂着したサン・フェリペ号船員の「スペインは世界の強国、宣教師を派遣し現地人を改宗させ占領する」と話したことで、激怒した秀吉は禁教に転じた。秀吉のやり方は極端だったかもしれないが、思うに当時の欧米列強のやり口としては船員の言う通りだっただろう。あのまま放っておけば日本も植民地になっていただろうし、戦で略奪された庶民たちが奴隷として海外に売られるということもあったらしいから、禁教にせざるを得なかったのもわかる。宣教師をうけいれれば、いずれ必ず背後の国が植民地を増やすべく海を越えてやってくるのだから。
 その後幕末から明治維新にかけてまだまだキリシタン弾圧は続いたが、ようやく明治6年に禁教が解かれ、明治22年の大日本帝国憲法で信教の自由が保障されるに至る。
 その後の原爆投下時、大浦天主堂は爆心地から離れていたため倒壊は免れた。一方被爆して倒壊したのは浦上天主堂。実は恥ずかしながら現地に行くまで名前も似通っているしどちらがどちらだかよくわかっていなかった。
 浦上天主堂は正式にはカトリック浦上教会。浦上の信徒たちが踏み絵をさせられた庄屋屋敷跡に明治12年に小聖堂を築いたのが始まりで大正3年に完成。昭和45年に原爆で倒壊後一部の廃墟を原爆資料として保存しようとするが、現地に保存か再建かで教会側とアメリカを忖度する市長側とでもめたらしい。結局は一部を平和公園内に移築、浦上には教会を再建。原爆遺構が現地にそのまま残れば世界遺産になっていたかもしれないのだが。
 
 暗い歴史はさておいて、青い空と美しい海の風景が広がるグラバー園へ。天気も良く上り坂は汗ばむ。グラバー邸の中で軍艦島のビデオを流していた。有名な軍艦島には行ってみたかったが、かなり遠く船酔いするとも言われ躊躇していたので、映像で見られてちょうどよかった。ドローンで撮影した映像のほうが立ち入りできない場所も見られるし、これで充分な気がする。
 市内でちゃんぽんや皿うどんを食べ、孔子廟で京劇みたいな仮面劇のショーを見て、出島へ。ここがかつては海に突き出していたというのが信じられないくらい街の中である。背後の海はかなり埋め立てられ色々な商業施設や美術館や公園がある。軍艦島へ行く船もそのあたりから発着する。出島そのものは観光用に再現されたものでこじゃれたカフェなどもあり賑わっていた。
 
 ところで長崎の苦難はキリシタン迫害や原爆にとどまらず、雲仙普賢岳の噴火という災害もあった。島原半島へ移動。
作品名:旅エッセイー長崎 作家名:鈴木りん