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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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審問官第三章「轆轤首」

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 さて、それでは、《杳体》とは何ぞや、との結論を急く此の《吾》にとって《杳体》とは誠に都合がよく使ひ勝手が良い《もの》である事は一面では否定出来ぬのであり、或る時は《死》の面を被り、或る時は無慈悲に「現存在」を殺戮する《自然》のその凶暴さであり、それは、《吾》にとっては変幻自在な何かなのであり、さうであるからこそ、《吾》の《存在》する事の全的な責任は、その杳として知れぬ《杳体》の《存在》をでっち上げる事で、やうやっとその《存在》するといふ重圧に《存在》は堪へ得るのである。つまり、《存在》にとって不可避な孤独の中にある単独者にとって杳として知り得ぬ《杳体》の《存在》は、杳としてゐるが故に絶えず単独者の伴走者なのであり、その伴走者たる《杳体》は、何にでも変化する何かとして絶えず《吾》も《世界》も宙ぶらりんのままに置いておく優しさがある事は、いづれの《存在》も否定出来ぬ《もの》であり、多くの「現存在」の総意と言へるのかもしれぬのであった。つまり、科学に代表される客観的な論理で理詰めで幾ら《世界認識》の度が深まった処で、《吾》が《存在》する限り、《杳体》が《存在》するのは必然であり、また、杳として知れぬ《もの》が此の世に《存在》しなければ、《吾》は絶えず《吾》を推し潰さうとしてゐる《もの》の中で《生》き延びる事は不可能に違ひなく、《杳体》といふ《生》と《死》の緩衝材が《存在》する事で《存在》する《もの》は何とか此の世に《存在》出来得るのである。だからと言って、《吾》は《杳体》の正体を知りたいといふ欲求は抑へられる《もの》でもなく、《吾》は《杳体》を追ふ為に《吾》が《吾》を追ふといふ永劫に続く鬼ごっこを続けざるを得ず、その《吾》と《吾》との摂動により、《吾》の《生》の活力も生じ得、さうして、《吾》特有の《世界認識》へと到達するのである。つまり、それを一言で言ってしまへば、《吾》の《存在》の数だけ《世界》は《存在》し、それ故に《吾》は此の《世界》において《生》を選び得、また《生》の活力を得てゐるのである。当然、《吾》と《他》との《世界》の摺り合はせは必要であるが、それは、しかし、常に曖昧模糊とした《もの》でしかなく、裏を返せば、《吾》と《他》にとって《世界》が漠然と、渺茫とした《もの》であるからこそ、《吾》は此の《世界》を《生》き延びる事が可能となるのである。煎じ詰めれば、何の事はない、《杳体》とは《吾》の実存の尻拭ひをする便利屋の謂ひに外ならず、《杳体》なくしは、《吾》は一時も《生》き得ぬ共存共栄、否、共存共衰の、つまり、《死》へ向かって一直線に驀進する、つまり、其処には寄り道など全く《存在》せずに邁進する外ない《生》の余りに儚い様相が《存在》するのである。その《死》へ向かって一直線、つまり、最短距離の《生》を《生》きる《存在》のみが、此の世に何とか《存在》してゐるに過ぎぬのである。《生》を煎じ詰めれば、《死》への一直線の軌跡でしかないのである。それがどんなに紆余曲折してゐるやうに思はれ、また、他所からさう見られてゐてもである。それは、光が直進しか出来ぬ事と似てゐて、《生》は《死》へ直進しか出来ぬのである。それが宿命といふ《もの》に違ひないのである。
――へっ、それが結論かい? ちゃんちゃらをかしい! そんな事は誰もが既に知ってゐる事なのさ、ちぇっ。
(第三章終はり)

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