小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

土に還れ

INDEX|1ページ/2ページ|

次のページ
 
土に還れ
            晴

 空が低くなっていくにつれて、山道の色が濃くなっていく。土の色は赤でもなく白でもなく、おそらく日本人が想像する色合いが続いている。国立自然公園の入口ははるか下になって、人の手がおおよそ加えられていない山道が続く。そういえば入口の看板が少し濡れていた。朝方に小雨が過ぎていったらしい。草露が私の足元を濡らして、履き慣れた革靴は重さを増している。
 なんだか緑が見たいと思って、その足で一番近い山まで来てみた。軽い思いつきの旅のはずが、既に電車を三本乗り継いでいて、途中で買った水のペットボトルは空になっている。薄ら霧がかかり始めていて、それが喉を微かに潤している。渇きはしないが、潤いもしない、そんなギリギリの状況があと一時間は続くと思われる。
 確か山頂付近に自動販売機があって、その辺りまでいくと急に人工物が露見しだして、辺りの気温も上昇する。人間の体温がどこにも逃げられずに残ってしまっているようであった。あれは昨年の冬の記憶だ。あの自動販売機では今ごろ、冷たい水が300円で売られているのだろう。自動販売機の空調音が晩夏の山頂に響いていて、静けさの中で妙にしっくりくるような、人工物と自然がギリギリ馴染む領域になっているのだろう。
 大きな白い木を過ぎたあたりから虫の声が響きだして、その多くはコロオギかスズムシのものらしい。彼らの鳴き声を聞き分ける術を、いつの間にか失ってしまっていることに気づく。リンリンでもなくチンチロリンでもなく、彼らの声が重なっている。羽が擦れる音も聞こえた。私の足音が一番強く響く。迷わないはずの一本道が、どこかで分岐してしまうのではないかと思えるほど、音と声が私の感覚を揺らしている。
 一歩、一歩。進む度に革靴の湿った音がする。(今更だが、私は革靴しか持っていないので、こうして山道に行くにもそれ用のものを選ぶことができなかった)

 育ちきっていない低木が右のほうにあって、そこの下のほうで小さな虫が歩いている。揺れる木々以外動きが見えないこの山道で、そんな小さな生き物の動きが敏感に伝わってくる。立ち止まって低木の下が見えるように屈んでみる。頭上で旋回していた残暑が少し和らぎ、秋の準備をしている風が私と低木の間を吹いていった。風が少し甘い。その弱い風に小さな虫が揺れて、私はその虫をしっかりと認識できた。アリの群れであった。
 尤も、私が視認していたのはアリ本体ではなく、数匹で担いでいるセミの幼体であった。中身が漏れ出てしまっているらしく、破れた部分を上にしてそのまま運ばれている。私の影がアリたちにかかってしまって、アリたちは急いで低木の方へ逃げていった。セミの幼体は放置された。
 前足の一本がまだ生きていると叫んでいる。静かな低木の下、セミの関節の音が聞こえた気がする。そんな風に思い込みたいのかもしれない。その小さな、小さな音には寂しさが、それを聞く私には無感情が響いている。このセミはこのまま終わりへと向かっていき、おそらく私が去った後にアリたちが連れていく。そうして山道は普段通りの景色へと戻っていく。
 死にゆくセミに、何をしてやるわけでもなくただ見ていた。彼が生きてきたであろう地中はきっとすぐそばで、誰かに言わせれば故郷で死ねるのだから本望かもしれない。ただし、故郷の土に還る訳でもなく、強欲で無邪気で勤勉なアリたちによって消化され、ヌケガラの一部が土に住む細菌によって分解される。そして、地中の一部となっていく。
 ヌケガラだけが分解されたとして、それは土に還ったといえるのだろうか。どこまで土に埋まれば、どうやって土に埋まれば、土に還ったと言えるのだろうか。
 おそらくこんなことを考えているのは、先日友人の猫を土に埋めたからだろう。確かこの山の反対側だった。所有していない土地に埋めることの是非は、友人と私は一切口にしなかった。その猫はこの山で出会ったからである。
 その猫はよくセミで遊んでいたと友人は話していた。セミを潰さない程度に前足でつつきながら、その反応を楽しむような、「狩り」を擬似体験しているような遊びだろうと話していた。そんな記憶が、目の前の関わりのないセミの終わりに際し、前述のような無意味で無価値なことを考えさせている。

 私が屈んだからか、山道の空気が一気に冷えて、(そう、秋の空気感に益々成り代わっている)その温度、気流の変化が雨雲を呼んだらしい。頭上の一番低い雲が灰色に変わっていく様を見上げている。あれはきっとすぐに雨を落とす。私は傘を持っていなかった。帰りの電車賃の小銭と、空のペットボトル。私の荷物は濡れても構わないが、体が濡れることを拒んでいる。ちょうど近くの大木が雨宿りには最適のように思えたので、そこまで移動してしばらくセミの行方を傍観することにした。

 こうして樹肌に背中を預けていると、落雷が少し心配になる。立派なこの木にまっすぐ雷が落ちてきて、そのまま私を貫通していく。そんな確率の低い危険がなんだか必ず起きるだろうと思えてしまうほど、危険に敏感になってしまった。無邪気に川に飛び込んだり、知らない虫を捕まえたりしていた幼き頃の感覚がわからない。喉が渇いても水を求めず、その辺の草を噛んでみたり、日が暮れてきても植物に反射する月明かりを頼りに帰ろうとしたり。随分多くの危険を知り、多くの間違いを知り、多くの正解を植え付けられた私たちの今を、あの頃の私たちはどんな風に見ていたのだろうか。
 分岐点はいつ、どこであっただろうか。
 雨の音が聞こえる。セミの音はかき消されてしまって、覚えていないとセミの存在など忘れてしまいそうな気がして、そしてそれが良くないことだと思えていて、私は例のセミの場所をじっと見ていた。まだ、生きているらしかった。雨を嫌っているのか、低木の奥の方を目指して地道に足を動かしている。が、あれはもうだめらしかった。土の表面を削るだけで一向に進めないらしかった。雨は本降りへと向かっている。割れたヌケガラの隙間から雨水が入り込むのも時間の問題だと思えた。
 体と外界の隙間に水が入り込んでくる感覚を、私は知らない。強いて言えば、雨に濡れたばかりの髪と頭皮の感覚なのだろうか。ただの水に濡れているだけなのに、このままではダメだと思って雨宿り先を探すような。しかし濡れ切ってしまえば寧ろ非日常な世界を走り出したくなってしまう。瞼を閉じるたびに雨水が目に入り込んできて、それがちょっとしみるような感覚がする。あれを延々と繰り返していき、体中に雨水がしみこんでいく……。あのセミと雨に濡れる私の差はおそらく、そこに生死がかかわっているか、だと思う。

 例のセミが動きを止めた。もう何の力も残っていないらしい。セミに雨粒がまっすぐ落ちてきた。無数の枝葉を避けて、たった一滴の雨粒があのセミの最期をはやめたらしい。セミは破れた殻を上にして、倒れこんでいる。
 私はその一部始終をスローモーションな視点で確かに見ていた。
   感覚を引き延ばして、
   目の前の時間だけを引き延ばして、
   スローモーションが加速していく。
   心臓の鼓動と雨音がスローモーションを抜けでて
   セミと私の行動がスローモーションのままで。
作品名:土に還れ 作家名:晴(ハル)