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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Striker

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 からっと晴れて、最高気温は二十度。大人にはいい気候でも、赤ちゃんには寒いかもしれない。でも一歳を過ぎていれば、自分であちこち歩き回れるから、大人より暑がるかも。
 広々と作られた住宅街に建っているにしては、やや手狭な一戸建て。表札には明朝体で刻まれた『初野』の文字。二階にいるわたしは、半分ほど開けたベランダの窓から顔を出して、緩やかに通り抜けていく風とスマートフォンのアプリに表示される温度表示の数字を、照らし合わせている。今は平日の朝十時。歩いて数分の児童公園からは、子供が遊ぶ声が聞こえる。そこに、ごみ収集車のトラックが鳴らすメロディが混ざってくるのも、この時間ならでは。
 公園デビューというのは、大抵こういう日だ。
 窓から顔を出しているとチャイムが鳴り、思わず肩をすくめるのと同時に、顔を引っ込めた。突然の物音は、いつだって苦手だ。原付バイクのエンジン音が聞こえた気がしたから、そのバイクが家の下に停まっているのだろう。いずれにせよ、インターホンに応じれば済むことだ。わたしは、階段を早足で下りた。そして、応答ボタンを押すのと同時に、モニターの映像に目を凝らせて、すぐに配達員だと気づいた。
「はい」
 わたしが声を張ると、モニター先で配達員が背筋を伸ばした。
「おはようございます。あ、あの。配達に参りました。あっ」
 その焦った口調に、わたしは思わず声を殺して笑った。そう言えば、時間指定で荷物を頼んでいたっけ。会社名を名乗り忘れるなんて、かなりの新人だ。
「すぐ行きます」
 そう言って、わたしは玄関のドアを開けた。配達員の人は目を合わせるなり、やっと思い出したみたいに会社名を名乗った。
「あっ、サインで大丈夫です」
 わたしは伝票の受領欄に苗字を書いて、荷物を受け取り、ドアを閉めた。おっちょこちょいな新人だけど、明るいし配達員向きだ。
 宛先の、初野琴音という名前。この家の住所。そして、そこには書かれていないこと。例えば、わたしが三十四歳だとか。この家は造りが古くて、二階に上がる階段がかなり急だし、床下を通る配管からは水漏れを起こしているとか。そのせいで水道代は緩やかに高い水準を保ち続けているけど、そこまで気になるほどじゃない。だから、この家はまだまだここに建ち続けるのだろう。
 ネットニュースのバナーには、物騒なニュースばかり。海外では当たり前のように人が殺され、県内のニュースでも子供が行方不明になったまま四年が経ったという記事がトップ。スマートフォンが伝えてくる外の世界というのは、色々と物騒らしい。でも、いくら危険で怖そうであっても、そこで家に閉じこもってしまっては、どうにもならない。結局のところ、自分の周りだけは平和なのだという薄い膜のような信念を頼りに、全ての道を他の人と同じように辿るしかないのだと思う。
 だから公園デビューというのは、こういう日なのだ。からっと晴れていて、ちょうどいい気温で。そういったことに水を差すような暗いニュースが違う世界の出来事のように感じるぐらいには、気を逸らせてくれる。
 水筒に入れる水は、常温。ウェットティッシュはいくらあってもいい。あちこちぶつかってもいいように、多少暑そうでも長袖と長ズボンに、明るめの帽子。無個性なものではなく、他の子供たちと見分けがつくように。母子手帳の続きを引き受けたような角の取れた手帳には、忘れようがないことのように自信に満ちた字が踊る。
「いい日だねえ」
 一階の居間から聞こえる、穏やかな声。
「公園デビューにもってこいの。ねえ」
 応じる声も、同じように穏やかだ。わたしは配達された段ボール箱を廊下に置いて、息をついた。この荷物を届けてくれたさっきの配達員は、社名を名乗り忘れる新人だけど、この仕事に向いていると思う。ドアが開くまでは、その先にどんな人間が立っているか分からないのだから。わたしなら相当な度胸が要るし、この家には二度と配達したくないと思うに違いない。
 わたしは、三十四歳。それは単に、呼吸を始めてから三十四年が経ったというだけの話。二十歳を過ぎるころからは家を出るのをやめて、ずっと自室で暮らしてきた。ぼさぼさの髪に、だらしなく下がった口角。肩から吊ったブルーの水筒と、明るい黄色のキャップ。
 あの配達員は、わたしの出で立ちをずっと忘れないだろう。
 角の取れた手帳は、わたしの成長記録。そして五年ほど前に、居間で穏やかに話す二人は、記録を紙の中に残したまま、わたしのことが誰か分からなくなった。両親ともに公務員で、父は地元の役所で生活課の課長として、定年まで勤め上げた。年金は振り込まれているが、自分たちがどうやって生き続けているのか、あの二人はもう分かっていない。
 わたしが居間に顔を出すと、テレビを見ていた二人は同時にぐるりと首を回して、振り返った。
「あらぁ、しっかり用意できたねえ」
 母がそう言うと、父も笑った。しかし、二人は顔を見合わせてぽかんとした後、またテレビに向き直った。わたしは廊下に戻ると、役割を終えた水筒を傍らに置き、キャップを脱いだ。今、この瞬間だけはおそらく、わたしのことを覚えていた。ごみ収集車のメロディと、からっと晴れた空。ほとんど聞こえないはずなのにテレビの音量が絞られているのは、子供のころのわたしが大きい音を怖がったからだ。特に、番組からコマーシャルに切り替わるときはよく泣いたらしい。とりあえず、二人がその瞬間に立ち返れていたのなら、それで構わない。
 わたしは、三人目だった。
 そのことを知ったのは、十八歳のときだ。高校を卒業する間際で、ちょうど父が入院したときに部屋を掃除していて、全然知らない子供の写真を見つけた。男の子だったから、自分ではないということはすぐに分かった。もうひとりは女の子だったけど、こっちも顔の雰囲気から自分ではないと確信した。でも、知り合いとか親戚の子供の写真かもしれないから、そのことは二人には聞かなかった。
 彼らが、あの夫婦の子供じゃないと確信したのは、わたし自身も、二十八歳のときに病院で手術を受けて判明した血液型から、両親とは遺伝子的な繋がりがないということが分かったからだ。おそらく二人は、子宝に恵まれなかったのだろう。
 そして三人ともが、どこからか連れてこられた子供だった。
 それがどのような手段で、わたしは本当は一体誰なのか、それを聞き出す方法は、もう存在しない。最初の二人が影も形もないのは、二人には『合わなかった』のだろう。わたし自身も含めて、その手段は三人とも誘拐である可能性が高い。でも、三人目のわたしは多分、二人と相性が良かったのだ。だから、最終的に養子として初野家の一員になった。
 何を疑うこともしなかった十八年間、二人はわたしにとって本当にいい両親だった。どこへでも連れて行ってくれたし、何でも与えてくれた。彼らにとっての『正解』だったわたしは、その愛情の全てを受けて育った。
 もう答えを聞き出せない今、一番知りたいのは、二人にとっての正解が今でもわたしなのかということだ。それを確かめるための方法は、ひとつしかなかった。
作品名:Striker 作家名:オオサカタロウ