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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Clop

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 オフィス自体が消灯する昼休み、ほとんどの社員が突っ伏して昼寝する中、トイレから戻ってきた井出部長が囁いた。
「ショウちゃん、さっき離席するときに見えちゃったんだけどさ。それって株?」
 おれはスマートフォンから顔を上げた。ショウちゃんという呼び名は、庄内という苗字から取られた。次長になって、ほとんどの人間が役職で呼ぶようになった今も、井出部長だけはかつての呼び名を使う。
「めっちゃ見てたでしょ。足音止まったから、すぐに分かりましたよ」
 おれが言うと、井出部長は腹を引っ込めてから、タメを解放するように豪快に笑った。一度パワーを集約するみたいに見えるから、車好きの部下から『ターボ井出』と呼ばれている。昔はやせ型だったおれも、それに追随して腹を揺すれる程度には、横に成長した。二人で腹の揺すり度合いを競うように笑っていると、向かいの席から、事務の郡山さんの首がひょいと伸びた。昼休みの後半にさしかかった辺りになると、大抵はマグカップの中で中々溶けないインスタントコーヒーを、追い立てるように掻き回している。
「流行りの、積み立てみたいなやつですか?」
「いや、ショウちゃんのスマホを、ほんとに一瞬だけちらっと見た感じだけどな。個別の株っぽく見えたけどなあ」
「結構、しっかり見てますよね」
 郡山さんが笑い、まだマグカップの中で高速回転しているコーヒーをひと口飲んだ。おれはスマートフォンをそれとなく裏返すと、部長に向かって口角を上げた。
「そんな、大したものじゃありませんよ。自分は、リスクは取れないタイプです」
「広く浅く、分散して投資。利回りは低めに見積もって五パーってとこか?」
 井出部長は短い腕を目一杯伸ばしながら言った。確かにそのリーチだと、五パーってところかもしれない。おれがそれを口に出すか迷っていると、郡山さんがマグカップを両手で持ったまま、肩をすくめた。
「元本保証、ないんでしょ? 元手がないと、怖くてできませんよ。ぺーぺーには無縁の世界っす。井出部長も、そういうのやってるんですか?」
「麻薬みたいに言うなっての。やってるよ。でもな、釣りと同じだね。放っておくってのは、どうも性に合わない」
 井出部長はそう言って、おれの肩をポンと叩いた。
「ほんとにちらっと見えただけなんだけど。12って、凄い数字だな」
「変動しますよ、こういうのは」
 おれが郡山さんと同じように肩をすくめたとき、電話が鳴った。井出部長はすかさずピックアップのボタンを押すと、周りを起こさないように小さな声で応対し始めた。郡山さんは回転を止めたコーヒーを飲み、昼休みに電話を取ってくれた井出部長へのお礼用にキャンディを準備している。
 盗み見されたり、事情を聞かれたからといって、悪い気はしない。定年間際の井出部長は入社以来の長い付き合いだし、新卒で入社した郡山さんはいつの間にか、五年目のベテランだ。おれは五十歳。積み立て型の投資は、おおよそ十年に渡ってコツコツと続けている。井出部長のように、派手に泳ぐ魚に目移りすることは、あまりない。そんな賭けに出るには、おれはあまりに臆病な性格だ。
 電話が終わり、井出部長は餌をもらうラッコのように郡山さんからのキャンディを受け取ると、おれに下手くそなウィンクをした。『幸運を祈る』なのか、『何に手をつけて12パーセントの利回りを出しているのか、教えろよ』なのか。会話は続くことなく、井出部長は自席に戻った。まだ首を伸ばしている郡山さんが、小声で言った。
「コツ、あるんですか? ショウさん、数字とか計算系強いっすよね」
「気にしすぎないことだよ。気になるけどね。個人的には、3が基準かな」
 おれはそう言うと、井出部長の席にちらりと目を向けて、続けた。
「釣りと同じで、放っておけない人は色々と個別の株に手を出したりするんだ。釣れるときもあれば、ボートごとひっくり返るときもある」
「聞こえてんぞー」
 井出部長が棒読みのように言い、郡山さんが笑った。おれも笑った。昼休みは平和だ。兵隊のように働く実働部隊の社員たちは、ギリギリまで眠って、昼休みが終わる一分前にハイになったような目で起き上がる。
 午後が始まり、おれは打ち合わせでOA機器営業の小西さん、カーペット清掃業者の白戸さん、書類を渡しに来た総務課の安川課長と会った。小西さんとはゴルフの話で盛り上がり、白戸さんとはペットの犬の話、元々同じ部にいた安川課長とは駅前に新しくできた安い居酒屋の話で盛り上がった。井出部長は午後三時を回った辺りで、思い出したように本社の総務課へ出向いていき、直帰になった。
 おれは、社会生活を送るようになってから今までずっと、人懐っこい性格だと言われてきた。いや、子供のころからずっとかもしれない。目が合った相手とは必ず言葉を交わしたし、まだ幼くて言葉もほとんど知らないのに、声を掛けてくれた大人にはとりあえず声を出して、何らかの返事をしていたらしい。
 それが功を奏したのか、子供は大学を出てすでに独立したが、遼一と咲子の二人がいる。そして、家では妻の美都子が待ってくれている。会社でのポジションは、不満がないわけではないが、それなりに快適だ。そして、そういったことを維持するためには、人とのつながりが必須だった。損得ではなく、ほとんど礼儀のようなものかもしれない。
 小西さんとは、最寄り駅が近い。だから週末に、ゴルフ用品店で待ち合わせる約束をした。白戸さんには、咲子がひとり暮らしをするマンションで室内犬を飼いたがっているから、相談に乗ってもらっている。保護犬シェルターに友人がいるから、近々紹介してもらう予定だ。安川課長とは、今日の夜七時に例の居酒屋で飲む約束をした。
 そうやって、人との予定が数珠つなぎに入ることで、おれの生活は保たれている。人間嫌いが多い技術部門の連中からは『疲れませんか?』と聞かれることが多いが、ずっと営業部で人間相手に仕事をしてきた立場からすると、『人こそ全てだ』と答えたい。実際には『たまたま、おれの性格に合ってるんだよ』とぼかして答えることが多い。それも、技術部門の気難しい人間を刺激したくないからなのだが、本音を飲み込むことで部署間の連絡会がつつがなく進むのなら、それで構わない。事業部門間の連絡会は昨日終わって、少し空きすぎな気もするが、来週の終わりが役員連絡会。
 今週いっぱい、ぽっかりと暇にはなったが、とりあえず仕事は進んでいる。

―――

「ゴルフ用品店、自分もご一緒していいですか?」
 半分ほど空いたジョッキを片手に、安川が言った。夜の八時、まだ夜は始まったばかりだが、すでに体が左右に揺れている客もいる。オープン記念の割引が続いているから、急ぎたくなる気持ちは分かる。でも、店に入ってから急いで飲む必要はないはずだ。とは言え、おれも人のことは言えなくて、周りの活気に圧されるように、すでに三杯目にさしかかっていた。
「おう。小西さん、知ってるよな? なんでもまず謝る人」
「あの人も、担当長いですね」
作品名:Clop 作家名:オオサカタロウ