小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

Septum

INDEX|1ページ/3ページ|

次のページ
 

 糸が切れたのは十年前、四十歳が目の前に迫った辺りだった。
 海外を拠点に仕事を始めたのは二十歳過ぎで、仲間は三人いた。
 おれと原井は元自衛隊員、富野と片岡は元警察官。共通点は、辞める直前に体や頭のありとあらゆる細部を分析されて、外地で非公式に活動する『工作員』として再雇用されたということ。おれは、顔も話し方も瀬口祐介のままでありながら、訓練を受けた後は自分が誰か分からなくなるぐらいに、全てを再構築された。
 仕事はシンプル極まりなく、単に車で一本道の道路を往復するだけ。ただ、車は選べないし何が積荷かも分からなかった。条件は、道路上で何が起きても停まらないという、ただひとつだけ。
 最初に死んだのは原井で、自爆テロに巻き込まれた。携帯電話で起爆するよう設定された強力なやつで、原井が運転していたのは民間仕様のボンゴバンだったから、その車体はブリキのおもちゃのように宙で一回転したらしい。即死はせず、車体の破片が太ももを貫通したことで、出血多量で死んだ。
 身を守るのは、ジャーナリストに見せかけるための『PRESS』と書かれた防弾ベストだけ。銃を支給されることもあったが、撃つ暇があるならアクセルを踏み込んだ方が早かった。
 だからこそ、自分だけは絶対に死なないという思い込みが常に必要だった。そのことを証明するように、原井を失った数年後に富野が死んだ。その散り様は原井ほど派手ではなく、縊死。おれが迎えに行ったら、部屋で首を吊っていた。『思い込み』は常に高い位置へ置いておかないと、簡単に足首に巻き付いた鎖になってしまう。
『理由はなんだよ?』
 これは、富野が死んだことを伝えたときにコーヒーを飲む手を止めた、三人目の仲間である片岡の言葉。おそらく、本当に知りたかったのだろう。皮肉なことに、富野が息切れした翌年に『輸送』の仕事は終わった。いつの間にか、おれと片岡は三十歳になっていて、上司から新しい仕事を割り振られた。そこからの十年間は、キャリアの順番を間違えたのではないかと思えるぐらいに、慌ただしくて騒がしかった。PRESSと書かれた防弾ベストは、セラミックのプレートが前後に入ったプレートキャリアに変わり、輸送のときに支給されていた小さな拳銃はサブマシンガンになった。完了報告を入れると上司は決まって『ニュースを見ろ』と言った。テレビをつけたところで何も変わりはないし、いつも同じことを言うから、『何もやってませんよ』と一度だけ言い返したことがあった。そのときに上司が返した言葉は、今でも覚えている。
『それが、お前の成果だ』
 暇つぶしのように退屈な報道が続く、普段通りのニュース番組。それは、『平和』とも呼ばれる。おれと片岡は、四十歳を迎える直前まで、二人で煙が立つ前に火を消し続けた。一度も日本に帰れなかったし、家庭を持つこともなかった。少しずつすり減っていたのは確かだが、それを上塗りするだけの力は残っていた。
 糸が切れたのは十年前、片岡にいよいよお互い四十歳だと愚痴をこぼした日だった。指示は、川で溺死したように偽装すること。それ自体は何の問題もなかったが、おれは相手の顔を覚えていた。半年前に命がけで護衛した相手なのだから、忘れるわけがない。大変な仕事で、片岡は右耳を半分ほど削られたし、おれは左手首を折った。そこまでして必死に守った人間を、今度は殺さなければならない。うつ伏せで川に浮くかつての『顧客』を見送りながら、左手首がまだ痛むことに気づいて、思った。もう、潮時だと。一体何に命を賭けてきたのか、すっきりと整理されていたはずの頭の中は、地震の直後みたいにめちゃくちゃに散らかっていた。片岡は『立場が変わったんだろ』と言っていたが、おれは続けられないということを確信した。意外だったのは、守秘義務契約書一枚で、上司がおれの身柄を解放してくれたということ。もちろん、その簡単さには裏があって、今後どこで何をしても余計なことを話せば最後、片岡のような人間が銃を片手にやってくるのだろうと解釈した。
 そうやって、おれの『工作員』としての人生は終わった。
 耳に包帯を巻いている片岡にそのことを伝えると、予想外の反応が返ってきた。片岡は、特に嫌気が差したわけでもなかった。おれからすると、車と壁の間に挟まれて折れた自分の左手首よりも、片岡の耳の怪我の方がよほど重大に思えた。その弾は、偶然車が揺れなかったら、右目に命中していたはずだからだ。
 おれは結局、誰の説得も受け入れることなく、強引に辞意を固めた。
 片岡からはある意味、裏切ったと思われている。本当に辞めることを伝えた電話での会話が最後で、『おれの流れ弾に当たっても、恨むなよ』と言っていた。
 形式上解放されて自由の身になったおれは、日本企業が多く入り込む商業ビルの警備員職にありついた。朝八時から夕方五時までの勤務で、テロ組織に狙われやすい石油関係の企業が複数入っているから、ままごとのような危険手当がつく。一応拳銃も支給されていて、ドロップレッグのホルスターには、グリップ部分を黒のガムテープでぐるぐる巻きにされたグロック19が常に収まっている。予備の弾倉や警棒も持っているが、実際のところ、仕事のほとんどは出張で日本からやってくる社員の通訳だ。
 ここに拾われたのは、偶然だった。ロビーに併設されているバーの前で、かつての『顧客』とばったり出会ったのだ。仕事を探していると言うと、顧客がその場でビルの管理会社に話を通し、面接もなしに仕事が決まった。それ自体はありがたいことだったが、ずっと自分がチャンスを『掴む方』だったから、他人の手に掬い上げられる居心地の悪さは、ずっと噛み合わないまま苦い後味となって、十年が経つ今も残り続けている。
「夜勤はないのか?」
 そう訊かれて、おれは汗で滑る左手がすっぽ抜けないよう、強く力を入れなおした。
 十年ぶりに会う片岡は、白髪こそ増えていたが、グレーのスーツはしわひとつなく、その眼光の鋭さは相変わらずだった。こうやって隣に腰を下ろしていても、あれから十年間第一線に立っていたということは、姿勢の良さで分かる。おれは前に向き直ると、言った。
「夜は、別の警備会社が守ってるよ。ライフルを持ってる物騒な連中だ」
「つまり、昼はままごとってわけだ」
 片岡は口角を上げると、がらんとしたロビーを見回した。朝の十時半、配達が出入りする最も忙しい時間帯。入口の自動ドア手前に、台車が一台取り残されている。おれは言った。
「お前こそ、暇そうだな。おれのままごとの方が、忙しいぐらいじゃないか?」
「似たり寄ったりだよ。八時から五時か。人が行き来するのを見てるだけで、金が入るなんてな」
 片岡はそう言うと、濃い臙脂色のネクタイを抜いた。おれは首を横に振った。
「そいつに頼ると、手が滑ったときに危ない。気持ちだけ頂いておくよ」
「自分だけは絶対に死なないってか? あんなもん、幻想だぞ」
 言いながら笑う片岡は、スーツの胸ポケットからスマートフォンを取り出した。すでに何件も着信が入っているらしく、ランプが点滅している。おれは言った。
「出なくていいのか?」
「あとでまとめて出る。余計な電波を出したくないからな」
作品名:Septum 作家名:オオサカタロウ