君の解像度
僕が一緒にアパートに入ってくわけにもいかないし……は、思っても言い控えた。
「こんなことになって、私こそごめんなさい……お願いします」
僕は、車を走らせ始めた。
僕と脳神経外科について言えば、先の社用車の件は忙しさのうちに片づいてしまっていた。学生時代の水泳部における活動等でも、身内の関係でも幸い接点ができず、僕がそういう科を訪れるのは初めてだった。
無難に大丈夫だろうとは思うが、科が科なせいか、待っている間も独特の緊張がある。
その結果はと言えば、幸い別段の症状も無く、検査結果も問題無かった。
先生によれば、その日と翌日ぐらいは安静にし、引き続き様子を見るべきだが、若いのでそう心配しなくていいだろう、とのことだった。
前週のハプニングで、I美さんが住むアパートの位置を、僕はなし崩しに知ってしまった。
その週末は僕が車ですぐ前にまで迎えに走って、しかし映画館等で穏やかに過ごす約束だ。
I美さんは、すっかり元気を取り戻したようだった。I美さんは助手席のドアを開いて、右手を車の天井に添えてくぐった。
「R先生、できました!」
「着席スキルのアップおめでとう!」
「そんな名前のスキルあるんだ」
I美さんが笑って、僕も笑い返した。
場所を映画館に移して、鑑賞したのは「記憶喪失もの」だった。定番のジャンルだが、その作品の筋書きは、紆余曲折を経てハッピーエンドに至っていた。
映画館を出て、脚本がどうの、登場人物がこうのと縷々述べ合いつつバルに向かう。
目に赤みが残るI美さんが振り返る。
「それにしても、引っ張りましたよね~。私、これはお別れエンドかと思いました」
「原作者の構想はどうだったんだろうね。キャラクターを動かしてるうちに、自分のほうが動かされちゃったとか」
「みんな頑張り屋でしたもんね。ハッピーエンドが一番か~……」
「……そういえば」
僕は、改まって切り出した。
「I美さんと僕の間にも、ケリをつけない?」
I美さんは、少し驚いたように僕を見た。
「ケリですか?」
「僕たち、これからも付き合っていけないかな……これからは、恋人として」
と、I美さんはうつむいて、スマートフォンをいじり始めた。
「……あれ?」
僕が戸惑っていると、I美さんは、いじり終えたらしい画面を示す。
僕はスマートフォンを覗き込んだ。
……そこには、黄色い外果皮を剥かれた中の袋が映っている。
「私の気持ちです」
「気持ちが、蜜柑?」
「もっと高い解像度で下さい」
何が何だか、解らない。
「……何なに?」
I美さんの顔が、悩む僕の顔に近づく。うるんだ瞳。なめらかな肌。甘い香り。かつてささやかなプロフィール写真でお互いを見た僕たちが、高い解像度でそこにいる。
そんなI美さんは僕を見つめて、照れたようにこう答えた。
「私たちのこれからへの、良(い)い予感(よかん)」
(了)