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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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嗤ふ吾

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 と、余りにも幼稚な疑問が浮かぶのであった。さてさて、困った事に私は、無限大、若しくは無限に、∞といふ記号を用ゐるのは、今のところ《存在》がその「現存在」を宙ぶらりんのまま、何事も決する事なく、《存在》が永劫に《存在》に肉薄、若しくはにじり寄る事を止揚し、《存在》が《存在》から逃げ果す為の《インチキ》の最たる《もの》と看做す悪癖があり、
――そろそろ《存在》は己を語るべく、数学の世界も複素数を更に拡張した、例へばそれを《杳数(えうすう)》と名付ければ、《特異点》や虚数i÷零を∞と表記しない《もの》を考へ出さなければならない。
 などと、考へてみるのであるが、∞は、その論理からするりと摺り抜けて、相変はらず∞として厳然と《存在》する事を已めないのであった。
――しかし、《無限》は何としても《超越》しなければ《存在》の新たな地平は拓けぬ! 
 と、己に言ひ聞かせるやうにして、私は、尚も沈思黙考に耽ざるを得ぬのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっ。
 それは、多分に《存在》の新たな地平を拓く、若しくは《存在》のParadigm(パラダイム)変換が何時迄経っても出来ぬ私を嗤ってゐる事に外ならないとも思へて来るのであった。
――《吾》が何時迄経っても《吾》でしかない事は、最早、《存在》する《もの》全ての怠慢であって、《吾》が《吾》でしかない事は、侮蔑の対象でしかないのではないのか? 
 と、不意に私の内部の深奥のところから浮かぶその疑問は、あながち何の根拠もない出鱈目ではなく、もしかすると、《存在》の本質、即ち《物自体》を衝いてゐるのではないか、と看做してしまへば、私が、夢で見る《闇の夢》は、もしかすると、《特異点》をも∞をも虚数iを呑み込んで恬然とした《もの》、即ち《杳数》が此の世に出現する為には何としても被らなければならぬ仮面なのかもしれぬと思はずにはゐられなかったのである。
――ふっ、《杳数》、ちぇっ、つまり、《杳体》か――。
 それを《杳体》と名付けたはいいが、それが一体全体何を意味してゐるか皆目解からぬ未知との遭遇なのは間違ひないのであったが、しかし、《杳体》は、既に此の世に出現してゐて、《存在》は、《存在》自体を語り出すには、この《杳体》なる《もの》の《存在》を定義付けなければならぬ局面に、今現在、遭遇してゐるに違ひないと思へなくもないのであった。
――《闇の夢》が《杳体》の仮面? 
 私は、今のところ、《杳体》なる《もの》の《存在》について何ら確信めいた《もの》を持ち得、若しくは《存在》の物理的な事象が、まるで現在あるところの物理的なる事象とは全く別の《もの》へと相転移したかの如くに、自棄のやんぱちで「えいっ!」と一言の下に新たな《もの》たる《異=世界》とそれを看做して、強引に∞を発散から収束へとその持つ意味を逆転させてしまふ論理的な術など一切持ってゐなかったが、しかし、最早、《存在》はそれが何であれ《存在》において∞が未だ仮初の記号に過ぎず、《杳数》なる《もの》を持ってして数字の拡張を敢へて試みなければ、《存在》は《存在》を一言も語れないのではないかといふ、或る種の予感めいた《もの》は、既に私にはあって、だが、虚数、つまり、英訳するとImaginary numberたるiをごくりと呑み込んでも平気の平左でゐられる《杳数》、これを仮に英訳すると、Obscurity numberとなるのでその頭文字を取って《杳数》単位をoとすれば、そのoなる《もの》が、例へば【「杳数oの二乗」=虚数i】などと定義するなどして此の世に何となく異形の《もの》として《存在》してゐるのではないかと示唆が出来るのみであって、残念ながら今の私の能力では《杳数》若しくは《杳体》に、確たる具体的な姿形を思ひ描き与へる事は、それこそ杳としてをり、そして、未だ《杳数》並びに《杳体》にその《存在根拠》を与へられず仕舞ひなのであった。多分、その忌忌しい結果として、私は《杳体》なる《もの》の表象として《闇の夢》を見る外ない何とも歯痒い事態に陥ってゐて、
――《吾》だと、ぶはっはっはっ。
 と、思はず《吾》を《吾》が嗤ふといふ、多分、此の世が《存在》する限りにおいて永劫に続くのであらう堂堂巡りを繰り返す外ないどん詰まりに、私は、とっくの昔に追ひ遣られてゐるのは間違ひのない事であった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっ。《闇の夢》が《杳体》? ぶはっはっはっ。
――さて、《闇》は、光をも含めた森羅万象を呑み込み得るのか? どう思ふ? 
――さてね。それより、何とも摑み処のない自問を私の頭蓋内の《闇》たる五蘊場にひょいっと抛り投げてみたところで、何の反響も無い事は端から解かってゐる癖に、然しながら、どうしてもさうせずにはゐられぬ《吾》は、そして、また、五蘊場に絶えず無意味な問ひを絶えず投げ続けずにはゐられぬ《吾》は、ゆっくりと瞼を閉ぢて、その瞼裡のペラペラな《闇》に《吾》なる面影を映さうと躍起である事は、何を隠さうそれは休む間も無く絶えず私に起きてゐる自問自答しながらの大いなる自嘲に過ぎぬとしたならば、へっ、《吾》もまた皮肉たっぷりの《存在》だといふ事だ。
――ふっふっ、《吾》において仮に《闇の夢》がそれ自体において瓦解したならば、《吾》はそれでも《吾》をして《吾》を《吾》と名指せるのだらうか? 
 と、既に私において《闇の夢》は《吾》を《吾》たらしめてゐる礎になり果せてゐるのもまた間違ひの無い事で、しかし、さうだとするとして、私はその頭蓋内の闇たる五蘊場へと直結する瞼裡の闇に映る《異形の吾》を仮象せずば、一時たりとも《吾》が《吾》である事はあり得ぬ程に、《吾》には「先験的」に《闇》を《吾》のうちに所持せず《生存》すら断念してしまふ羸弱な《存在》である事を自殺を例に出すまでも無く自明の事として、《吾》は《吾》の《存在》の所与の《もの》として《闇》が《存在》に組み込まれてをり、つまり、《闇》無くして《吾》は《存在》してゐないに違ひない《もの》なのは、間違ひのない事であった。
 さうすると、《闇の夢》は私において、それはまさしく必然の《もの》に違ひなく、《闇の夢》こそが《吾》の確信、若しくは本質なのかもしれなかったのである。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
作品名:嗤ふ吾 作家名:積 緋露雪