嗤ふ吾
その嗤ひ声にもならぬ、それでゐてどうしても息が肺から吹き出て已まないその
――ぷふぃ。
といふ嗤ひ声を埴谷雄高の畢生の作品「死靈(しれい)」の登場人物達は不意に発するのであるが、その
――ぷふぃ。
といふ嗤ひ声は、既に《吾》といふ己の《存在》を呪ひ、また此の宇宙をも呪った末に嗤ふ事を忘失してしまった《吾》が、やっと此の世に噴き出せた、つまり、辛うじて嗤ひ声となって声を発せた《吾》の無惨な姿が其処には現はれてしまってゐるのである。その埴谷雄高の、
――ぷふぃ。
とは違って、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、《闇の夢》を見て眠りながら嗤ってゐた私は、その《闇の夢》に《吾》の無様な姿を見たと先に言ったが、私にとって闇は多分に見る者の状態によって様々に表情を変へる能面の如く作用してゐるに違ひないのである。
例へば能面のその表情の多彩さは、見者たる己の内奥と呼応してその状態を忠実に能面の面が映すからであるが、私にとってその内奥を忠実に映すのは先にも述べたやうにそれは闇なのである。私は独りそんな闇を、
――影鏡存在。
等と名付けて、瞼を閉ぢれば何時如何なる時でも眼前に拡がる闇と対峙しながら、果てしない自問自答の渦の中に呑み込まれ、最早其処から抜け出せぬやうになって久しいが、瞑目しながらの自問自答はひと度それに従事してしまふと已めようにも已められぬ或る種の自意識の阿片であるに違ひないのである。その瞑目し、瞼裡(まぶたり)に拡がる闇に己の内奥を映しながら自問自答の堂堂巡りを繰り返し、挙句の果てには問ひの大渦を巻く、その底無しの深淵にひと度嵌り込むと、私は、にたりと、多分他人が見ればいやらしいにたり顔をその顔に浮かべてゐるに違ひない事に最近気付いたのである。つまり、私は瞑目し瞼裡の闇と対峙してゐる時は、必ず嗤ってゐるのに最近になってやっと気付いたのである。そんな時である。眠りながら嗤ってゐる私を見出したのは。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
しかし、それにしても《闇》とは摩訶不思議で面妖なる《もの》である。何《もの》にも変容するかと思へば、眼前にはやはり瞼裡の《闇》のまま《存在》してゐて、相変はらず《闇》は《闇》以外の何《もの》でもないのである。尤も《闇》は多分に頭蓋内の《闇》、即ち《五蘊場》に鎮座する脳といふ構造をした《場》が作り出した或る種の幻影と思へなくもないのであり、それは光が干渉する《もの》なのでその結果どうしても発生してしまふ《闇》を認識するのに、つまり、光の濃淡を認識する仕方として《五蘊場》が《闇》を作り出した事は、これまた多分に《吾》たる《主体》の《存在》の有様に深く深く深く関はってゐるのは間違ひないのである。さうでなければ、私が夢で《闇の夢》なぞ見る事は不可能で、将又《闇の夢》に《吾》を見出してしまった無惨な《吾》を嗤へる《吾》が私の《五蘊場》に《存在》する事なぞ、これまた不可能なのである。そして、《異形の吾》と私が呼ぶ哲学的には「対自存在」に相当するその《異形の吾》たる《吾》は当然の帰結として《吾》に無数に《存在》する筈で、さうでなければ《吾》は独りの《吾》の統一体としての有様は不可解極まりない事態に陥り、それは例へば、独りの人間が細胞六十兆個程で成り立ち、しかしながらその六十兆の細胞は全てが《生》ではなく、多くの細胞は自死、即ちApoptosis(アポトーシス)の位相に今現在もある事が不可解極まりない事になってしまふのである。《生》とは、詰まる所、《生》と《死》が等しく《存在》する摩訶不思議な現象の一つに違ひないなのである。
それにしても夢において闇を形象するといふ曲芸、否、《インチキ》を堂堂と成し遂げてしまって
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、自嘲の嵐の中で
――それは至極当然だ。
といった態度で恰も泰然自若を装ひ嘯くその《吾》は、その実、闇そのものを訝しりながらも途轍もなく偏愛して已まないのも、これまた厳然とした事実として自覚してゐる何ともふてぶてしい私は、闇を《物自体》として仮初にも仮象してゐるのかもしれなかったのである。つまり、
――此の世の根本は闇である。
と、何かを達観した僧侶の如く己を偽装したいが為に私は、夢でも《闇の夢》を、つまり、《闇》の虜と化した何《もの》かに変化し果(おほ)せてしまって、それは、また、恰も木の葉隠れの術の如き忍法にも似た《私》の隠れ蓑になってゐる可能性が無くもないのであった。その証左に
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
と、夢の中の私はその《闇の夢》たる《吾》を形象して、無意識裡に私自身から私が死ぬまで、否、私が夢を見なくなるまで永劫に隠し果したい醜悪極まりない《異形の吾》を《闇の夢》に隠してゐるのは間違ひなく、その氷山の一角として、若しくはその証左として、《夢》となって私の眼前に現はれる《闇の夢》は、大概何かに変容するのが常なのであった。そして、私はといふと、浅い眠りの中で見る《闇の夢》が何かに変容するのを何時も待ち構へてゐて、大抵は《闇の夢》は《世界》へと変容し、夢は夢見中の私の眼前にその可視可能な《世界》となって拡がるばかりの何の変哲もない《もの》へと変容を遂げるのであった。斯様に《闇の夢》は大概《世界》へと変容はするが、尤も、何かの具体物、例へば、人間や動物などの創造物たる《もの》への変容は稀であり、それは多分に《吾》によって《吾》の本質の尻尾を捕まへられるのを極度に嫌ひ何としても私に私の本質が見破られる事を避ける《インチキ》をする事で、《吾》と夢の中で対峙する事態を回避してゐるのも間違ひのない事であった。そして、その《闇の夢》に隠されてゐる《もの》の一つに《死》の形象が《存在》するのは確かで、もしかすると私は、《死》といふ《もの》が無上の恍惚状態であるかもしれぬ事を、何となく《闇の夢》が醸し出す雰囲気から無意識裡にでも感じ取ってゐたのかもしれなかったのである。其処で、
――へっ、《死》が無上の恍惚?
といふ半畳を《吾》が《吾》に対して入れる自己矛盾に自嘲するでもなくはないのであるが、しかし、仮に《死》が無上の恍惚状態の涯に《存在》する何かであるならば、《吾》が《吾》に問ふ自問自答といふ《吾》における「阿片」たるその問ひ掛けの源が《死》といふ無上の恍惚状態から発してゐる《存在》の欠くべからざる必須の《もの》の如く、換言すれば、《存在》が《存在》であり続けるには、何としても必要な糧が《死》の無上の恍惚状態との仮定に立てば、成程、細胞六十兆程の統一体として《生きてゐる》私の個々の細胞の多くは、しかしながら自死してゐる事態を鑑みれば、《死》の無上の恍惚状態といふ事態が不思議と納得出来てしまふのも、また、私にとっては厳然とした事実なのであった。