小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

死刑囚の視点(②佐野剛)

INDEX|1ページ/5ページ|

次のページ
 
2.佐野剛
 午後三時ちょっと前。マントのような法服を着た裁判官たちがぞろぞろと法廷に入ってくる。民間人の中から選ばれた裁判員の中には、法服ではなく地味な色のブラウスやスーツ姿で席に着く者もいた。判決公判の傍聴席の倍率は20倍にも跳ね上がり、左右に分かれて座る弁護士と検察官も含めてぎっしり人が詰まった法廷の空気はむっとしていた。
「被告人は前へ」
 午後三時。裁判長から促されると、俺は法廷の中央に位置する証言台に立つ。詰めかけた傍聴者たちの視線を背中に感じ、嫌な汗がじっとりとシャツを濡らした。
 フチなし眼鏡をかけた裁判長は、少し強張った表情をマイクに近づける。
「主文は、後回しにします」
 その瞬間、背後から複数人が席を立つ音が聞こえた。おそらく記者なのだろう、法廷を飛び出すと廊下をかけ出したそいつらが「主文、後回し!後回し!」と叫ぶ声が微かに聞こえてきた。
 初めに極刑を言い渡してしまうと、被告人はショックで呆然自失し、その後の判決理由を聞く気力を失ってしまう。きちんと判決理由を聞かせるために、極刑を言い渡すときは主文を「後回し」にする。そんなことは、弁護士から聞いてとっくに知っていた。だから、俺には意味が無かった。俺は糸が切れたように全身から力が抜け、床に崩れ落ちた。
「佐野さん!」
 俺を立たせようと近づいてきた刑務官2人の間を縫って、弁護士の牧野が先に俺の肩を抱き語り掛ける。
「まだ上告審も、再審請求もあります。気を強く持ってください」
 しかし、膝から崩れ落ちた俺にはもう首を振る気力も、何か返事をする気力もなかった。水を求める犬のように、力なく垂れた舌先からはねばねばとした唾液が糸を引いて、法廷の床と音もなく繋がった。
 その時、頭上から、小さな風船が弾けたような音が聞こえた。それが、傍聴席から立ち上がった被害者遺族たちの拍手だと気づいた時にはもう、拍手は法廷全体を包んでいた。
 因果応報、自業自得?愚かな罪を犯したこの俺に、正義の鉄槌が下されたとでも言いたいのか?俺は声を枯らしてそいつらに言い返したかったが、自分の意志と相反するように、俺の身体はずっと震え続けていた。チキショー、チキショー!拍手が止むと、刑務官の手で立たされうな垂れている俺の頭上に、フチなし眼鏡をかけたエリート裁判長様によるご高説が垂れ流される。
「何の罪もない女性を5人も手にかけた被告の所業は残虐非道であり、およそ人間が行う所業とは思えない」
「被告人がり患した精神疾患により、善悪の判断がつかない状況であったということはできない」
「被告に更生の余地はなく、極刑をもってのぞむほかない」
カッとなって顔を上げた俺の視界は、汗と涙のためにひどく霞んでいて、横一列に並んだ裁判官たちの姿は、その一つ一つがまるで黒や灰色の影のように見えた。
それは、まるで俺が手にかけた5人の女たちが、あの世から蘇ってきて、極刑を言い渡された俺に向かって、いやらしく微笑んでいるみたいだった。


 教誨師の金井が額の汗を拭いながら教誨室に入ってきた時、俺はちょっと、意外な感じがした。
「よく来たね!先生」
 俺はわざと明るい声で迎える。椅子の背にもたれると反動でずれた脚が「ぎっ」と鳴り、警戒した刑務官たちが敏感に反応する。さらに俺は両手をぱっと広げて見せ、またいちいちビクつく刑務官たちの反応をぐるりと見回して楽しんだ。
「てっきり、もう来ないと思ってたよ」
 俺は先週、この太った教誨師にさんざん嫌味を言った挙句、言い争いになったばかりだった。金井はぷっくりと膨れ上がったバックから分厚い聖書を取り出して机に並べながら、目の前にいる俺の方を見ようとはしない。
「クリスチャンの意地ってやつか?」
「後悔しているんです」
「は?」
 金井は右の頬をぶたれたら、左の頬も差し出すってやつの代わりに、俺のために持ってきたおやつの籠を俺の前にそっと差し出す。
「あなたと同じ死刑囚で、私が見捨ててしまった人がいるんです。その人は、私の救いを求めていたというのに」
 しかし喋りながら金井は、やはり気難しい表情のまま俺の顔を見ようとはしない。視線が合ったら、俺と喧嘩になってしまうと思っているのだろう。こいつはカバみたいに面長で、温厚そうな見た目をしているのに、意外と短気で、はっきり言って、聖職には向いていない気がする。
「だから、私はもう決して誰も見捨てないと……」
「またホームパイかよ!」
 俺は籠から黄金色の包装を取り上げると、うつくむ金井の目の前に放って見せる。さすがに気色ばんだ刑務官たちを、俺から見て正面に立っている網谷が右手を横に広げて制する。こいつは拘置所勤務が長く、刑務官たちの中でもリーダーのような存在のようだったが、ちょっと変と言うか、不気味な奴だと俺は前から思っていた。俺がからかっても、他の刑務官たちのように気色ばむわけでもないし、無反応かと思いきや実は復讐の機会をじっと伺っていて、こちらがちょっとでもミスを犯すとすぐに「懲罰!」などと言い出す陰湿な刑務官とも違う。まるで道端の地蔵のように、気づくといつも俺の傍にいる。はっきり言って、俺はこいつが苦手だった。
「この前の坊主は、土産にどら焼きを持ってきてくれたぜ?」
 俺はうつむき耐えている金井の目の前にもう一つ、ホームパイの包装を投げつける。
「あ~あ、やっぱり仏教に鞍替えしようかな~」
「私は教誨のために来ています」
 俺の執拗な挑発に、金井の黒いローマンカラーに包まれた肩はもう小刻みに揺れていた。
「遊びに来ているのではない」
「汝の敵を愛せよ」
 俺の言葉に、金井は汗で湿った顔を上げる。白目は、こみ上げる怒りのために薄ら赤くなっていた。
「誰かがあなたの右頰を打つのなら、左頰も向けなさい」
 俺はこの日のために、刑務作業もない日がな一日、独房で聖書を読んで記憶した「マタイ福音書第5章」の一説をソラで口ずさんでやる。
「あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には上着も与えなさい」
 求める者に与えなさい。敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。聖職者にとって、おそらく最も屈辱的な方法で俺は怒りに打ち震える金井のメンタルをじわじわと追い込んでいく。
「クリスチャンってのは大変だなあ。俺みたいな悪人にも福音を与えなきゃならんわけだろう?」
 金井は俺を見つめたまま頬肉をぶるぶると震わせて懸命に笑顔を作ろうとしたが、笑えていなかった。「スマイル、スマイル」そう言って俺は、警戒している刑務官たちに抑えられないよう素早い動きで人差し指を突き出し、金井の汗で細い前髪がべっとり貼りついた額を突く。ほぼ同時に、傍に立っていた刑務官たちがあっという間にテーブルを取り囲んで俺と、金井が身動きできないよう押さえつける。
「おい、見たかよ!」
 俺は刑務官たちに首や胸を羽交い絞めにされながらも、俺と同じように羽交い絞めにされている金井に向かって顎をしゃくった。
「こいつ今、俺を殴ろうとしたぜ!?」
 俺が言うと、怒りで赤く染まった金井の表情が崩れ、泣き笑いのような表情になった。
「しっか~く!」