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積 緋露雪
積 緋露雪
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審問官第一章「喫茶店迄」

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審問官――第一章 喫茶店迄

           積 緋露雪 著



 彼が絶えず「断罪せよ!」といふ内部の何処からかは解らぬが沸き上がつて来る自己告発し、自己弾劾する声に悩まされ続けてゐたのであつた。彼が何か行動を起こさうとすると必ず内部で呟く者がゐるとの事であつた。
――断罪せよ! 
 彼は、当時、そもそも己の《存在》自体に懐疑的であつた、といふよりも、自己の《存在》を自殺以外の方法で此の世から葬り去る事ばかり考へてゐたという事であつた。
――両親の死を看取つたなら即座に此の世を去らう。それが私の唯一の贖罪の方法だ……。
 彼には主体なる者の《存在》がそもそも許せなかつたらしい。彼をさうさせた原因はしかし判然せず、今もつて謎のままである。彼が、あの頃、埴谷雄高が名付けた奇妙な病気――黙狂――を患つてゐたのは間違ひない。
 彼はいつも何かを語らうとすると、言語がその構造を担保にしてゐる主語述語などといつた言語が現はれるその言語自体の構造を見失つて、彼の頭蓋内の脳と言ふ構造をした漆黒の闇、それを《五蘊場(ごうんば)》と名付ければ、その《五蘊場》では数多の言語が一斉に湧出し、渾沌に堕すその結果、無言になつてしまふといふ事らしかつたのである。つまり、端的に言へば《黙狂者》以外の何《もの》でもなかつたのである。それは、
――つまり、俺は……。
 と、言つて彼が不意に黙り込んでしまふ事からも明らかに思へたのであつた。つまり、彼は自同律の陥穽に終生堕ち込んだまま、其処から這ひ出た事は一度としてなく、そして、彼はそれを「善し」と自己納得してゐる風でもあつたのである。
 しかし、彼は学生時代が終はらうとしてゐた或る日、忽然と猛烈に語り始め、積極的に行動し始めたのであつた。彼を豹変させ忽然とさう変へた原因もまた、私には判然としなかつたのである。
 彼は大学を卒業すると、二十四時間休む間のない事で学生の間で有名だつた或る会社に自ら進んで就職したのであつた。
 風の噂によると、彼は猛然と二十四時間休む事なく働き続けたらしい。しかし、当然の結果、彼は心身共に疲労困憊し、遂には不治の病に罹つてしまつたのである。その後某精神病院に入院してゐるらしいとは、私も承知してゐた事であつた。
…………
…………

――自同律の不快どころの話ではないな。『断罪せよ!』と私の内部で何時(いつ)も告発する者がゐるが、かうなると自同律を嫌悪する外なく、その結果故に吾は自同律の破壊を己の手で己を実験台にして試みたが……ちえつ……人間は何て羸弱(るいじやく)な生き物なのか……ふつ……自己破壊と言へば聞こえはいいが……ちえつ……唯……病気になつただけではないか……くつ……自己が自己破壊を試みた挙句……唯……病気になつただけ……へつ……をかしなもんだ……だが……しかし……俺も死に至る病にやつと罹れたぜ……へつ……両親も昨年相次いで亡くなつたからもう自己弾劾を実行出来るな……。

…………
…………
 彼の死は何とも奇妙な死であつたらしい。態態(わざわざ)看護師を呼んではにやりと不敵な薄ら嗤ひを浮かべ突然哄笑したかと思へば忽然と息を引取つたらしいのである。

…………
…………

――断罪せよ……さうだ……お前をだ……其の《存在》自体が既に罪なのだ……。

…………
…………
 
 何やら今も彼の言葉がこの時空間にゆらゆらと宇宙背景輻射の如く不可視的にも可視的にもなる《もの》として漂つてゐるやうに思へて仕方がない……。それは、言ふなれば、現存在に対する彼の弾劾の声に違ひなにい。ゆらりゆらりと揺らめきながら、その声にならぬ幽霊的なる言葉の此の世での彷徨は、聞く耳を持つものであれば必ず聞こえるに違ひなかつた。
 私は、今彼の手記を手にしてゐるが、これが難物で彼は彼の物語を書きたかったのか、それとも過去をして時間を操る楽しみに終日明け暮れてゐたのかは解らぬが、しかし、彼の最期は幸せだつたやうに思ふ……。
 
 
 
 
 
 
 
主体弾劾者の手記 
 にやりと笑つた途端、不意にこの世を去つたといふ彼の葬儀に参列した時、亡くなつた彼の妹さんから彼が私に残したものだといふ何冊にも亙つて彼が書き綴つた大学Note(ノート)を渡されたのであつた。英語と科学を除いて勿論彼は終生縦書きを貫いたのでその第一冊目に当たつていたと思はれる大学Noteの表紙にその大学Noteを縦書きで使ふ事を断言するやうに『主体、其は主体を弾劾すべし!』と力強い筆致で筆書きされてあつたのである。
 その手記は次の一文から始まつてゐた。
 
【「――吾、吾を断罪す。故に吾、吾を破壊する――」
これは君への遺言だ。すまんが私は先に逝く。これが私の望む《生》だつたのだ。私はこれで満足しなければ、へつ、罰が当たるぜ……。
 君もご存知の「雪」といふ名の女性が私の前に現れた時に私は《自死》しなければならないと自覚せざるを得なかつたのだ……。
 ふつ、自分で言ふのも何だがね……、私は皆に「美男子」と言はれてゐたので美男子だつたのだらう。君はどう思ふ? 
 よくRock Band(ロツク・バンド)のU2の作品「WAR」のジヤケツト写真の少年(俳優:ピーター・ロワン)に似てゐると言はれてゐたが、ご存知のやうに私は変人だつたのでそれ程多くの女性にもてたとは言へないが、生命を生む性である或る女性の一部にとつては、私はどうしても私の《存在》が「母性」を擽(くすぐ)るのだらう、彼女らは私を抛つて置けず無理矢理――この言ひ方は彼女らに失礼だがね――私の世話をし出したのは君もご存知の通りだ。
 しかし、私に関わつた全ての女性たちは私が金輪際変はらないと悟つて私の元から皆離れて行つた。雪もその一人だつたのかもしれないがね……。
 私は雪と出会つた頃には埴谷雄高がいふ人間の二つの自由――子を産まない事と自殺する事の自由――の内、自殺の仕方ばかり考へてゐたが、私には、また、人間にはそもそも自由など無いし、また、宇宙に原則として自由なる事を許されてゐないとも自覚してゐたので、自殺してはならないとは心の奥底では思つてゐたけれども、画家のヴアン・ゴツホの死に方には一種の憧れがあつたのは事実だ。自殺を決行して死に損なひ、確か三日ぐらゐ生きた筈だが、私もヴアン・ゴツホが死す迄の三日間の苦悩と苦痛を味はふ事ばかりその頃は夢想してゐたものだ。それに自殺は地獄行きだから、つまり、地獄では劫罰を受けねばならず、それはつまり、地獄にら堕ちたものは一時も意識を失ふ事なく卒倒する事すら許されぬ事を意味するのだが、死しても、尚、劫罰を受け続けるために未来永劫《吾》であり続けるなんて御免被るといつた事も私が自殺しなかつた理由の一つだ。