小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

INDEX|33ページ/50ページ|

次のページ前のページ
 

 フロイトを持ち出すまでもなく、確かに「現存在」の日常の振舞ひの淵源を辿れば、それは大概が性行為か《死》の衝動に結び付けられるのは、自明の事であったが、《闇の夢》に私の頭を突っ込みたくて仕様がない私の欲望は、多分に、《異形の吾》を《闇の夢》に頭を突っ込む疑似性行為で生み出す衝動の為せる業に違ひなく、その証左が《吾》をして懊悩せざるを得ぬ「自同律の不快」、つまり、《吾》が《吾》である事の不快が全ての端緒になってゐて、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と《闇の夢》に対して哄笑する私は、結局の処、《吾》である事に我慢がならず、或るひは出来得る事であれば、その魂をファウスト博士と同様に悪魔に売り渡したいのかもしれなかったのである。
 然しながら、私が仮に私の魂を悪魔に売り渡した処で、私はファウスト博士とは違って「若さ」を欲するのではなく、只管、己の《死》を欲するに違ひないとしか思へぬのであった。それ程までに自己嫌悪する《吾》とは、さて、一体何に由来するのかと自問自答してみても、その答へは今の処さっぱり解からず仕舞ひであったが、その淵源に私が未だ胎児として母親の胎内にゐた時点まで遡れるかもしれず、また、「現存在」は、生きるのが当然との考へに思ひ為した事は、幼児期まで遡っても記憶にはなく、私は私ばかりではなく、《他》に蔑まされる《存在》であると勝手に思ひ込んでゐた事も《闇の夢》を見て、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と嗤ってゐるのかもしれず、また、私といふ《存在》は、傲岸不遜にも《神》と比べて見劣ってゐる故に《吾》を嫌悪してゐる事も事実で、私は、出来得れば、此の世界を掌中で握り潰し、私の思ふがままの新世界を捏ねくり出して創出したい欲望を抱いてゐるのもまた、確かで、つまり、ドストエフスキイの『悪霊』の登場人物、キリーロフならぬ《神人》が私が私である為の最低条件なのかもしれぬと思ふと、私は、そんな私を尚更嫌悪し唾棄するのであった。
 然しながら、私が仮に《闇の夢》は闇でしかないと頭の片隅では高を括ってゐる節がなくもないのであったが、その闇をして私は《異形の吾》と敢へて看做す事で、自身の安寧を得てゐるのかもしれず、それ故に私は《闇の夢》を見て、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と哄笑してゐるのは間違ひなかったのである。つまり、私は私の憤懣やる方なしのその憤懣を単に《異形の吾》と名付けて、それを恰も《吾》の出来事でもあるかのやうに装ひ、その全てを《異形の吾》に負はせる事で、自己保身してゐると看做せなくもなかったのである。それ故に《異形の吾》は徹頭徹尾、その姿形を現はす事なく、私の頭蓋内の闇たる《五蘊場》に等しき闇である事が、何事においても私には好都合の事で、さうでなければ、私が《闇の夢》を見る事はなかった筈なのであった。
 例へば、性と《生》と《死》が綯ひ交ぜになった《もの》が、多分、私の《闇の夢》の正体と思はぬ事もなかったが、しかし、それでは私は《闇の夢》を見て、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と自嘲する《吾》は、その深層の処では、性と《生》と《死》を侮蔑してゐる事になるのだが、私は、
――それもまたありなむ。
 と妙に納得してゐる私に対して、これまた奇妙な目を向け、尚更の事、自同律の不快のど壺に嵌るのであった。
 それにしても、私が見る《闇の夢》は一体全体何の象徴、若しくは隠喩なのかと絶えず自問自答してゐる私は、それを或る時は、陰毛を、女陰を、将又、《死》を、そして私自身の頭蓋内の闇を、と、挙げれば切がない程に私は不知不識の内に《闇の夢》に対して私の表象の塵箱の如く何でも投げ入れてゐる事を自覚するのであった。
 或るひは、私が見る《闇の夢》はBlack holeの単純な表象でしかなく、仮にさうだとすると、私の推察する能力は、余りにも稚拙な《もの》と言はざるを得ず、実際の処、将に私の発想は貧弱そのもので、果たせる哉、私の想像力なんぞは、所詮、その程度の《もの》でしかないのも、また、真実で、然しながら、私は常常Black holeとはその名によって「漆黒の闇」を連想させるが、本当は、Black holeは光に満ち満ちた此の世の裂け目、否、画家のルドンが描く巨大な巨大な巨大な目玉の如き此の宇宙の目玉と看做してゐて、私は、其処に万華鏡の如き美麗なる鏡面界を見てゐるのであった。つまり、私にとってBlack holeと光とは同義語で、《闇の夢》がBlack holeを表象してゐる筈はないと思ひながらも、私は、もしかすると夢見中には、その覚醒時の心象を夢知らず、Black holeとの呼び名から単純な発想で、「漆黒の闇」と看做してゐるのかもしれず、また、さう看做した方が、どう考へても自然だと、私には思へて仕方ないのも確かなのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 成程、《闇の夢》は私が夢で頭蓋内の脳といふ構造をした《五蘊場》に出現する数多の表象群の全てをその《闇の夢》に投げ棄ててゐるのも、また、確かで、仮にさうでなければ、夢に闇が出現する筈もなく、更に言へば、私の世界認識が、古代人のそれに限りなく近く、それは、此の世の涯には断崖絶壁があり、それを以て此の世が尽きるといふ世界観が私の意識下にはくっきりと《存在》し、私が夢見中に《闇の夢》として見てゐるのは、多分に、此の世の涯のその断崖絶壁に対峙してゐるとも考へられなくもないのであった。仮にさうであるならば、成程、私が夢見中に見る《闇の夢》は此の世の森羅万象を呑み込んだ闇と看做すのが自然の道理に違ひなく、私の世界観に《存在》してゐる世界の涯に此の世のあらゆる《もの》を投げ棄てて、さうする事で、私は、私の世界観、若しくは世界認識を日日更新し続けてゐるとも思へなくもなかったのであった。
 さうなると、私は、《闇の夢》を前に、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と嗤ふのは、もしかすると此の世の森羅万象を、艱難辛苦を全て堪へ忍んだヨブとは全く違って、己が神に為ったかの如くに錯覚して、さうして相手を侮蔑する事でのみ味はへる何とも言へない優越感といふ愉悦を味はひ、己が此の世の主人である事をたんまりと堪能したいのかもしれなかったのである。それ故に、私は、《闇の夢》に対して、
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。
 と、或る種の侮蔑の感情が籠った嘲笑を、何の衒ひもなく放てるのかもしれなかったのである。
――私は、《闇の夢》を見て、さて、何を侮蔑してゐるのか?
 と、しばしば私は自問自答するのであったが、それは、考へれば考へる程、私は、此の世の禁忌を破って、神に為ったと悦に入ってゐる自身を見出さずにはをれず、また、さう看做す事が自然な道理に思へて仕方ないのも、また、確かなのであった。それは何とも矛盾した私の、その世界に対する屈折した感情の発露として、《闇の夢》が、現はれてゐると言へなくもないのであった。
――《吾》だと、ぶはっはっはっはっ。