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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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蟻地獄~積 緋露雪作品集 Ⅰ

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 《主体》は宇宙史の全史を通して穴凹が塞がりこの宇宙から自存した《存在》として出現した例は今のところ無い筈である。眼窩にある目ん玉の瞳孔を通して外界を見、鼻孔を通して呼吸をし、口を通して食物を喰らひ、肛門を通して排便をし、生殖器を通して性行為をする等々、《主体》は必ず外界に開かれた《もの》として此の世に現はれるのである。つまり、《主体》はこれまで一度も穴凹が塞がれた《単独者》であつたことはなく、《主体》自らが穴凹だらけといふばかりでなく、外界たる世界もまた《客体》即ち《他》といふ特異点の穴凹だらけの《もの》として《主体》には現はれてゐる筈なのである。そして《主体》にとつては内外を問はず深淵たるその穴凹に自由落下する方が《楽(らく)》なのもまた確かなのであるが……。
…………
…………
 さて、翌日、小学校から帰つた私は一目散に例の神社へと向かつたのであつた。其処で幼少の私は先づ何故蟻地獄が高床の神社のその床下の乾いた土の、それも丁度雨が降り掛かるか掛からぬかの境界に密集してゐるのかを確かめた筈である。そして、私は、蟻地獄が密集してゐるその方向の数メートル先に桜の古木が立つてゐるのを認めたのであつた。幼少の私は多分、何の迷ひもなくその桜の古木に歩み寄り、そして蟻の巣を探した筈である。案の定、その桜の古木の根元には黒蟻の巣の出入り口があり、絶えず何匹もの黒蟻がその出入り口を出たり入つたりしてゐるのを見つけたのであつた。
――やはり、さうか。
 蟻地獄が雨が降り掛かるか掛からぬかの境界辺りに密集してゐたのは自然の摂理――これは一面では残酷極まりない――としての生存競争故の結果に過ぎなかつたのであつた。そして、幼少の私は其処で黒蟻を一匹捕まへて蟻地獄が密集してゐる処に戻つたのである。次にざつと蟻地獄の群集を見渡し、その中で一番穴凹が小さな蟻地獄に捕まへて来た黒蟻を抛り込んだのである。
――そら、お食べ。
 擂鉢状の穴凹の底からちらりと姿を現はした蟻地獄は、果たせる哉、昨日目にした蟻地獄とは比べものにならぬ程、小さな小さな小さな姿を現はしたのである。その小さな蟻地獄は高床下の最奥に位置してゐたに違ひなく、私は、その小さな蟻地獄が黒蟻を挟み捕まへて地中に引き摺り込む様をじつと凝視してゐた筈である。
――そら、お食べ。
 後年、梶井基次郎の「桜の樹の下には」に薄羽蜉蝣(うすばかげろふ)の死骸が水溜りの上に石油を流したやうに何万匹もその屍体を浮かべてゐるといふやうな記述に出会つてからといふもの、桜を思へば蟻地獄も必ず思ふといふ思考の癖が私に付いてしまつたのは言ふ迄もないことであつた……。
(完)






















障子

 それは勿論晴れてゐることが前提であったが、彼は決まって満月の夜更けには室内の全ての灯りを消して、暫く障子越しに満月の月影をぼんやりと眺めてゐるのを常としてゐたのであった。彼にはその月影と物の気配とが織り成す仄かに明るい絶妙の闇に包まれる夜更けの時間が何とも名状し難い時空間を演出し、それは何処か此の世でない彼の世のやうな感覚を齎すので、彼はその時空間が堪らなく好きなのであった。そのまま彼は、その月影が演出する時空間にたゆたひながら、此の世の極楽を味はふやうにして、
――月影に溺れる……。
 と、自らその非日常的な時空間に惑溺するのであった。この何時尽きるともしれぬ時間が彼が愛して已まないもので、その時のみが、此の世から脱落してしまひ、何処かの此の世にぽっかりと開いてゐるであらう時空の穴に落っこちて、彼自身がその穴を自由落下するやうな不思議な感覚に彼は包まれるのが堪らなく好きなのであった。
 その日も彼は何時ものやうに障子越しに満月の月影を眺めてゐたのである。そして、それは、彼が深深と肚の底から深呼吸をした刹那のことであった。何かが障子の向かうで揺らめいたのである。それは風などの所為ではなく、何か自律的に動く物の気配が頻りに感じられて仕方なかったのである。
――何かの物の怪か。
 しかし、それはたまゆらのことで何かの奇妙な気配は直ぐに月影の闇に消えたのであった。
――確かに何かが《ゐた》! 
 そこで彼は徐に立ち上がり障子をさっと開けてみると、果たせる哉、闇の奇妙な球体がゆらりと室内に入り込んで来たのであった。
――闇の球体? 何なのだらうか? 
 彼には驚愕するのにも今現在起こってゐる事態が直ぐには呑み込めなかったので、唯、眼前にゆらりと浮かぶ半径五十センチメートル程の闇の球体を眺める外に取る術がなかったのであった。そして、
――何だ、これは? 
 と思った刹那、その闇の球体は彼目掛けて飛び掛かって来たのであった。
――ううっ。
 と、彼は一瞬呼吸困難に陥ったとはいひ条、しかし、彼は闇に抱かれてゐるといふ何とも名状し難き悦楽の境地に羽化登仙してゐたのであった。その闇の球体は先づ彼の顔目掛けて襲ひ掛かったのであったが、その闇の球体が凶暴性を見せたのはそれっきりで、その後は闇の球体はゆっくりと拡がり彼の全身を包み込んだのであった。
――ちぇっ、また《無限》へ誘(いざな)ひやがる……。
 とは思ひつつも、その実彼はそれが嬉しくて堪らなかったのであった。当然、彼は闇に包まれてゐた所為で何も見えなかったが、しかし、彼はそこでゆっくりと障子を閉め、その場に胡坐をかいて座ったのであった。
――母胎の中の胎児はきっとこんな感じの闇を味はひ尽くさねばならぬに違ひない……。それは闇を媒介として存在が存在することを弾劾しなければならぬ、それでゐてこの上なく心地よい《楽園》にありながら、しかし、存在が弾劾された末に何時《落下》するのか解からぬ危険を孕んだ、例へば《浄土》と《地獄》が行き来出来てしまふのを障子のみで仕切っただけの危ふい月影の中の和室の如き《場》こそ、《無》と《無限》の往復が成し遂げられ、存在が存在に不意に疑念を抱く一瞬の《存在の揺らめき》が現出する《場》に違ひないのだ! 
 また、何時ものやうにたまゆらの悦楽の時間が過ぎてしまった……。彼が闇の球体に包まれてゐると感じたのは彼が自ら演出した《幻影》に過ぎず、それは彼が一度ゆっくりと瞬きしただけに過ぎなかったのである。
 障子の向かうは相変はらず満月の月影の静寂に包まれた《世界》を障子に映してゐたのであった……。
 さて、さうして満月の世の思はぬ悦楽を味はふ事になった彼は、果たせる哉、そのまま明かりをともさずに、今さっき起こった事の意味を頭蓋内の闇を手で弄るやうにして手探りするのであったが、それは彼にはどうあっても骨白に思へて仕方ないのであった。
 と、そんな時である。不思議な存在の気配を感じるのは。
 たまゆらのことである。不思議な気配が何者かに変化し、それを彼は奴とを呼んで、しばらく奴がするままにしてゐたのであった。
 彼は奴のその存在をほんの僅か感じただけであったが、確かに奴は彼の背後にゐたのは間違ひないことであった。奴は彼の視界の境に何度か現はれては消えることを繰り返した後、彼の虚を突く形で不意に彼の面前に奴は現はれたのであった。それが奴の《他》に対する時の礼を尽くした作法なのであらう。