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積 緋露雪
積 緋露雪
novelistID. 70534
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闇へ堕ちろ

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泣くからにはそれだけの理由がある筈で、
それがないのならば、決して泣いてはならぬ。
それが此の世界に対するための最低限の礼儀で、
それが守れないやうならば、
存在する価値などないのだ。

泣く理由があったとして、
その理由が利己的ならば、それは欺瞞である。
利他的な理由のみ、存在が泣ける理由になるのだ。
此処で、排他的な理由で泣くものは、直ぐさま滅するがいい。

そもそも存在と言ふのは、屈辱的なものなのであり、
それが解らぬやうでは存在する価値すらないのだ。
ドストエフスキイの言葉を借りれば、
それは虱や南京虫にも為れぬ代物。

存在するにはそもそも此の世界に対する敗北を承認しながら、
悔し涙を流し、さうして世界に屹立するのだ。
此の世に屹立するとはそれほどに屈辱的であり、
それに歯を食ひ縛りながら両の脚で立つ事のみが、
唯一、現存在が己の位置を確認出来る方法で、
それなくして、存在しちまふものは、
未だ存在に至らずに懊悩を知らぬ童に等しく、
そんな現存在は気色が悪くていけない。

現存在以外の存在、つまり、森羅万象もまた、
名状し難き屈辱の中にあり、
それがある故に絶えず変容し、
変容する事で「理想」のものへと至るかもしれぬ淡い願望を抱きながらも、
何時もそれに裏切られ悔し涙を流すのだ。

此の世に満ちる存在の怨嗟は群れをなして彷徨き回り、
存在の影に取り憑く。
さうして、過去世に存在したものもまた、絶えず現在にあり得、
また、未来にもあり得るのだ。

その為に、世界は幾ばくの悔し涙を欲してゐたのか。
世界を変容させる起動力は、
存在の怨嗟と屈辱に屈した悔し涙であるのだ。

ならば、存在は悔し涙を流せばいい。
さすれば、世界は少しは恐怖を知るかもしれぬのだ。
現存在の夢は、つまり、此の宇宙を存在の怨嗟で
恐怖のどん底に落とし震へ上がらせる事なのだ。
それが為し得た暁に、やうやっと存在はその使命を終へる。
さうして現存在は双肩でアトラスの如く蒼穹を支へ、
自分の居場所を確保する。

泥濘に嵌まるやうにして

もう二進も三進もゆかぬどん詰まりに追ひ詰めなければ
何とも居心地が悪い俺は、
何時も進んで泥濘に嵌まるやうにして
藻掻きながら泥濘に呑み込まれるといふ快楽を本能的に知ってゐる。
それはいかにも卑怯な事であり、
現実逃避の一つの形態なのだが、
それを知りつつも、一度泥濘に嵌まってしまったならば、
その居心地の良さから遁れる事は温い世界が大好きな存在にとっては不可能と言ふもの。

そして、俺は泥濘に嵌まるやうにして
存在に軛を課し、
その事により、存在の尻尾を捕まへやうと
手抜きを行ってゐるのだ。
生きる事に対する此の手抜きは
面倒ぐさがりの俺にとってはとてもよろしく作用し、
さうして図太く此の世に憚る悪人と化して生き延びるのだ。

例へばそれはこんな構図をしてゐるのかもしれぬ。

俺は蜘蛛の巣に捕まった羽虫の如く、また蟻地獄に落ちた蟻の如く、
死の陶酔の中で酔ひながらの恍惚の中、死を迎へるに違ひない。
囚はれものの狭隘な世界の中で全宇宙を知ったかの如き錯覚の中で
一時の生を繋いでゐるのだ。

最初、泥濘としか思へなかったものが
何時しか底無し沼へと変はってゐて
最早其処から出られぬ俺は
その二進も三進もゆかぬ状況を是認してゐるのだ。

つまり、そもそも俺は敗者でしかない。
敗者でしかないために、何の向上心もなく、
唯の泥濘が底無し沼へと変化しても
それを是認できるのだ。
それは何とも哀しい事には違ひないのであるが、
さうである俺を俺は心の何処かで安寧を持って歓迎してゐるのも確かなのだ。

そもそも俺は俺である事に胡座を舁いてゐないのか。
恥の塊でしかない俺が俺である事に胡座を舁くなんて
全く信じられぬと言ひたい処なのであるが、
しかし、偽者でしかない俺は、
鉄仮面の如く何食はぬ顔で俺である事に胡座を舁いてゐても
何ら不思議ではないのである。

さうして世界中に陥穽を仕掛けたかの者の餌になればいいのだ。
俺が底無し沼の上で胡座を舁いてゐるのを知らぬは仏ばかりに
何にも知らない筈はないのであるが、
其処は既に俺に対して俺が開き直ってゐるのかもしれぬ。

どうあっても俺が俺として此の世に棲息したいのであれば、
則天無私でなければ、他に対して申し開きが出来ぬではないか。

これが時代遅れと言ふ輩は、
既にZombie(ゾンビ)と化してゐる。
つまり、既に死んでゐるのだ。



ギリシャ悲劇のやうには

ギリシャ悲劇の登場人物のやうに
個人の意思ではどうあっても抗へぬ
「運命」、若しくは「宿命」に対して、
将に筋書き通りに生きてしまふ哀しさは、
それ故に悲劇と呼ばれるのであるが、
そんなギリシャ悲劇が持て囃された時代は
ギリシャの爛熟期から没落してゆく時代であった。

ギリシャ悲劇に登場する人物は、
ごく普通の運命は誰も課されてをらず、
それは偏に堕ち得るべく悲劇性が先験的に課された人間でなければ、
ギリシャの人人は敢へて外の時間に費やすよりも
悲劇を鑑賞する筈はなかった。

それは時空すらも登場人物の運命には膠着し、
当然世界もギリシャ悲劇に登場する人たちに対しては連れなくて、
何処か世界はそれらの人人を先験的に見捨ててゐるのだ。
だから、其処に人間を魅了して已まぬ人間による抗へぬ力が働き、
それを観衆は自分の置かれた運命に重ね合はせて溜飲を下ろしたのであらう。

心は量子力学のやうに波性であるために、
様様な感情が同時に存在可能なのだらうが、
だからか、ギリシャ悲劇は映画を観るやうでゐて、
それとは違ふ脳髄の疲れが生じるだ。

ギリシャ悲劇は人の心を押し潰す。
ぺちゃんこに押し潰し、
金属をプレスするやうに
人人の心には奇っ怪な印象を残すのだ。

――何故、さうなるのか?

これはギリシャ悲劇の幕開けから続く疑念であり、
一つのギリシャ悲劇が終はって後もその疑念がずっと心に残り、
糸を引くのだ。
その粘性は納豆の如くであり、
既にそれで人はギリシャ悲劇に巻き込まれてしまってゐるのだ。
とはいへ、ギリシャ悲劇に対しての疑念は消えることなく、
それは或る違和として心に巣くって
ギリシャ悲劇の違和に悩まされる事になる。

それはまるで空が降ってくるといふ杞憂にも似て、
あり得ないSituationに絶望してゐるのか。

唯、空は降る事はないが、
大地が空へ飛翔する事はあり得るのだ。
つまり、ギリシャ悲劇には蓋然性が封じられ、
登場する人人に「自由」なる観念は既に封印されてゐる。
それが、粘性の正体で、
ギリシャ悲劇の登場人物は全て人に非ず、神人といふ類ひの存在で、
神が滅びる美しさに人人は恍惚となるのだ。

ギリシャ悲劇に登場するのは、徹頭徹尾、神なのだ。
だからキリストがRosario等で今も尚、磔刑され続けてゐる理由に
それはぴたりと重なり、
それが納豆のやうな粘性で人間存在にくっつくのだ。

「宗教は阿片」と言ったものがゐたが、
将にそれは阿片にも似たもので、
それに嵌まると最早出られぬ粘っこい粘性で人の心を誑かす。

ギリシャの没落はギリシャ悲劇と言ふ
神の死の物語とともに訪れたのだ。
作品名:闇へ堕ちろ 作家名:積 緋露雪