闇へ堕ちろ
宇宙開闢以前の《世界》は《存在》する
――例へば此の世に幽霊が存在し得るのであれば、其処は「現存在」の背である筈だ!
――それは何故かね?
――何故って、それは、唯一、此の世で「現存在」が裸眼で直接見られぬ処だからさ。
――此の宇宙開闢以前の《世界》もまたどう足掻いても見えぬぜ。
――へっ、つまり、端的に言へば、背中が、若しくは後ろの正面が《存在》するといふ事は、宇宙開闢以前にも《世界》が《存在》していた証拠になるのさ。其処は幽霊の、つまり、数多の《死者》の怨嗟に満ち溢れてゐた《世界》だ、ちぇっ。
――しかし、触覚の感触だけは背中にもあるぜ。つまり、「現存在」は背中の《存在》を端から《認識》してゐる。また、《他》には《吾》の背ははっきりと見える。
――だから、どうしたといふのかね? しかし、《他》は《吾》の内部は見えやしない。つまり、それは、尚更、宇宙開闢以前の《世界》は、《吾》が背中の《存在》を《認識》してゐるのであれば、必ずあるといふ事さ。
其処で、ゆるりと陽炎が揺らめき、《吾》の影が嗤ったのだ。「ふっふっふっ」と。
《生者》と《死者》が交はる処
吾(わ)が《五蘊場》に手を突っ込み弄(まさぐ)ると、
其処は、《生者》と《死者》が交はる後ろの正面に至る。
――ほら、肩が凝らないかい? 何故って、《生者》は無数の無辜の《死者》の影が見(まみ)える背を背負ってゐるからね。
さうなのだ。《生者》は後ろの正面で無数の無辜の《死者》に出会ってゐる。
だから、《生者》の背に《死者》が、つまり、幽霊が蝟集するのだ。
此処で、再び、「そいつ」が「ふっふっふっ」と嗤ふのだ。
そして《吾》は堕落する
――さて、《吾》は何処へとやって来たのだらうか?
辺りを見回しても《吾》の周りには何も《存在》せず。
そこで、《吾》は日陰に隠れて、
《吾》を島尾敏雄のやうな手捌きで《吾》自体を裏返してみては
《吾》を海鼠と同じ《存在》に変容したかのやうな錯覚の中、
――これは「夢」の中なのか?
と、独白しては、「えへら、えへら」と力ない嗤ひに《吾》なる《もの》を唾棄するのだ。
――何が堕ちて行くのだ! 《吾》は此処ぞ。そして、《吾》は確かに《存在》したのだ!
たが、《吾》から立ち上る白い影は精霊になり得ることを確信したやうに
断固として《吾》を投げ捨て、そして、《吾》を天日干しするのだ。
それ、苦しめ
――それ、苦しめ。お前のゐる場所は此処ではない。
さう言って「そいつ」は、
――ふはっはっはっ。
と哄笑したのだ。
何かが《吾》の背に宿ってゐて、《吾》の視界の境界辺りでちらちらと姿を現はしては「にまり」と醜悪な笑みをその相貌に浮かべるのだ。
さうして、「そいつ」は《吾》を鞭打つのだ。
――何を持ってお前は《吾》を鞭打つのだ?
――そんな事はお前は既に知ってゐるではないか? さうだ。お前が此の世に《存在》してしまってゐることが既に「罪」なのだ。
――《存在》が「罪」? 「原罪」を《存在》は先験的に背負ってゐる?
――否! お前の《存在》のみが「罪」なのだ!
――私のみ?
――否! お前が名指す《吾》さ。
さうして、「そいつ」は再び《五蘊場》の闇に消ゆる……。
未来永劫の《吾》
其処は何の変哲もない《日常》の《世界》でしかなかった。
唯一つ、違ってゐたのは《吾》と《異形の吾》がはっきりと分離してゐた事だった。
それが地獄の全てであったのだ。
最早《吾》は進退谷まったのだ。
何処にも逃げ道はなく、《吾》は只管《吾》であることを強ひられし。
――嗚呼、《吾》が何をしたぞ。
――ふっ、《存在》してしまったことが運の尽きだ。
さう言ふと《異形の吾》は昇天し、《吾》のみが何にもない地獄に未来永劫に残されし。
人非人
彼の国の或る男が煉獄へと送られし。
没義道甚だしき仕業也しが、
燃盛る炎の中で、
その男は何を思ったであらうか。
《吾》の御霊のみ中有の中に漂ひ、
《吾》の《五蘊場》で彼の男の御霊と会ひしか。
――さて、何を語らうか。
――何、黙してゐればそれで善し。
――……。
――……。
無音のしじまの中に彼の男の御霊は佇み、
さうして、一息すうっと深呼吸して、
彼の世へと飛び立ちし。
これで善かったのだらうか。
と、後悔ばかりが先に立つ。
楽しき日日は何処へと行きしか。
《吾》一人、《五蘊場》に佇立する
そして、きりっと直立しては
天を小さな双肩で支へるのだ。
さうしなければ、煉獄へ送られし彼の男の御霊は
無事に昇天出来ぬではないか。
――ぶはっ。炎も水も同じことよ。
微睡
睡眠薬を飲み、次第に微睡へと没入する《吾》の狼狽ぶりに嗤はざるを得ない《吾》とは、
一体、何なのだらうかと不意に疑問が湧き立つのであるが、
ままぁ、えいっと、それを放ったらかしにて、微睡に没入しゆく《吾》の瞼理に表象される《吾》為らざる《吾》の思考に、《吾》は暫く戯れるのだ。
さうしてゐる内に眠りと言ふ名の深き海へと沈み込む《吾》は一息ふうっ息を吐いて、その深海に沈み込み完全な眠りにつく。
――へっへっへっ。それが本当の眠りかい? それは無理強ひした眠りもどきの愚劣な《吾》隠しの逃げ口上でしかないぜ。
――何、それで構はぬのさ。土台、此の世で安らぎは得られるのだから。
――ではなぜ眠る?
――現実逃避がしたいだけさ。さうすることで「現存在」はやうやっと此の世に生き恥を晒して《存在》出来るのだ。
薄明の中で
其処には薄ぼんやりと今にも闇に隠れそうな《存在》の実相が
仄かに見出だされ、《存在》は昼間の作り笑顔を已めていい時間へとやって来たのだ。
――ほら、これこれ。これが「私」だ。
と、薄明の中、鏡に見入る《存在》共は
己の本性が漏れ出てしまふ薄明の中で、
奇妙に蠕動する《吾》と言ふ《存在》の本音を見ては、
――ぶはっはっはっ。
と哄笑するのだ。
そして、《存在》共はすぐそばまでやってきている闇の時間に没入するべく、
《吾》に対して昼間には隠さざるを得なかった本性を
ちょろちょろと出してみては独り言ちてゐるのだ。
――ほらほら、これが「私」なの。どう? 「私」は《吾》に変貌していいかしら。
と、一人の少女が薄明の中さう呟いたのだ。
と、そこでたまゆらに真白き精霊がその少女から飛び立ち、
さうして一つの命が途絶えたのだ。
――やっと「私」は《吾》になり得、さうして、地獄へ行くのかしら?
犇めく《もの》
《吾》の内奥で犇めく《もの》どもは
一斉に美麗な声でマーラーの「大地の歌」のやうな歌を歌い出した。
それは余りに美しく、そして、余りにも哀しい歌詞で、
かう《吾》の内奥に響き渡るのだ。
――何たることよ。《吾》の羸弱なるその《存在》に対し、
《吾》は歌ふしかないのだ。
嗚呼、《吾》が《吾》に留め置かれる哀しさよ。
そして、現在にのみ放り出されし《吾》は、
未来永劫に亙り《吾》為りし。
過去も未来もともに反転可能な此の《世界》の有様は、
唯、《吾》を哀しませるだけなのだ。
何もかも流されるがいい。
しかし、時間はどうして流れゆく《もの》なのか。
――例へば此の世に幽霊が存在し得るのであれば、其処は「現存在」の背である筈だ!
――それは何故かね?
――何故って、それは、唯一、此の世で「現存在」が裸眼で直接見られぬ処だからさ。
――此の宇宙開闢以前の《世界》もまたどう足掻いても見えぬぜ。
――へっ、つまり、端的に言へば、背中が、若しくは後ろの正面が《存在》するといふ事は、宇宙開闢以前にも《世界》が《存在》していた証拠になるのさ。其処は幽霊の、つまり、数多の《死者》の怨嗟に満ち溢れてゐた《世界》だ、ちぇっ。
――しかし、触覚の感触だけは背中にもあるぜ。つまり、「現存在」は背中の《存在》を端から《認識》してゐる。また、《他》には《吾》の背ははっきりと見える。
――だから、どうしたといふのかね? しかし、《他》は《吾》の内部は見えやしない。つまり、それは、尚更、宇宙開闢以前の《世界》は、《吾》が背中の《存在》を《認識》してゐるのであれば、必ずあるといふ事さ。
其処で、ゆるりと陽炎が揺らめき、《吾》の影が嗤ったのだ。「ふっふっふっ」と。
《生者》と《死者》が交はる処
吾(わ)が《五蘊場》に手を突っ込み弄(まさぐ)ると、
其処は、《生者》と《死者》が交はる後ろの正面に至る。
――ほら、肩が凝らないかい? 何故って、《生者》は無数の無辜の《死者》の影が見(まみ)える背を背負ってゐるからね。
さうなのだ。《生者》は後ろの正面で無数の無辜の《死者》に出会ってゐる。
だから、《生者》の背に《死者》が、つまり、幽霊が蝟集するのだ。
此処で、再び、「そいつ」が「ふっふっふっ」と嗤ふのだ。
そして《吾》は堕落する
――さて、《吾》は何処へとやって来たのだらうか?
辺りを見回しても《吾》の周りには何も《存在》せず。
そこで、《吾》は日陰に隠れて、
《吾》を島尾敏雄のやうな手捌きで《吾》自体を裏返してみては
《吾》を海鼠と同じ《存在》に変容したかのやうな錯覚の中、
――これは「夢」の中なのか?
と、独白しては、「えへら、えへら」と力ない嗤ひに《吾》なる《もの》を唾棄するのだ。
――何が堕ちて行くのだ! 《吾》は此処ぞ。そして、《吾》は確かに《存在》したのだ!
たが、《吾》から立ち上る白い影は精霊になり得ることを確信したやうに
断固として《吾》を投げ捨て、そして、《吾》を天日干しするのだ。
それ、苦しめ
――それ、苦しめ。お前のゐる場所は此処ではない。
さう言って「そいつ」は、
――ふはっはっはっ。
と哄笑したのだ。
何かが《吾》の背に宿ってゐて、《吾》の視界の境界辺りでちらちらと姿を現はしては「にまり」と醜悪な笑みをその相貌に浮かべるのだ。
さうして、「そいつ」は《吾》を鞭打つのだ。
――何を持ってお前は《吾》を鞭打つのだ?
――そんな事はお前は既に知ってゐるではないか? さうだ。お前が此の世に《存在》してしまってゐることが既に「罪」なのだ。
――《存在》が「罪」? 「原罪」を《存在》は先験的に背負ってゐる?
――否! お前の《存在》のみが「罪」なのだ!
――私のみ?
――否! お前が名指す《吾》さ。
さうして、「そいつ」は再び《五蘊場》の闇に消ゆる……。
未来永劫の《吾》
其処は何の変哲もない《日常》の《世界》でしかなかった。
唯一つ、違ってゐたのは《吾》と《異形の吾》がはっきりと分離してゐた事だった。
それが地獄の全てであったのだ。
最早《吾》は進退谷まったのだ。
何処にも逃げ道はなく、《吾》は只管《吾》であることを強ひられし。
――嗚呼、《吾》が何をしたぞ。
――ふっ、《存在》してしまったことが運の尽きだ。
さう言ふと《異形の吾》は昇天し、《吾》のみが何にもない地獄に未来永劫に残されし。
人非人
彼の国の或る男が煉獄へと送られし。
没義道甚だしき仕業也しが、
燃盛る炎の中で、
その男は何を思ったであらうか。
《吾》の御霊のみ中有の中に漂ひ、
《吾》の《五蘊場》で彼の男の御霊と会ひしか。
――さて、何を語らうか。
――何、黙してゐればそれで善し。
――……。
――……。
無音のしじまの中に彼の男の御霊は佇み、
さうして、一息すうっと深呼吸して、
彼の世へと飛び立ちし。
これで善かったのだらうか。
と、後悔ばかりが先に立つ。
楽しき日日は何処へと行きしか。
《吾》一人、《五蘊場》に佇立する
そして、きりっと直立しては
天を小さな双肩で支へるのだ。
さうしなければ、煉獄へ送られし彼の男の御霊は
無事に昇天出来ぬではないか。
――ぶはっ。炎も水も同じことよ。
微睡
睡眠薬を飲み、次第に微睡へと没入する《吾》の狼狽ぶりに嗤はざるを得ない《吾》とは、
一体、何なのだらうかと不意に疑問が湧き立つのであるが、
ままぁ、えいっと、それを放ったらかしにて、微睡に没入しゆく《吾》の瞼理に表象される《吾》為らざる《吾》の思考に、《吾》は暫く戯れるのだ。
さうしてゐる内に眠りと言ふ名の深き海へと沈み込む《吾》は一息ふうっ息を吐いて、その深海に沈み込み完全な眠りにつく。
――へっへっへっ。それが本当の眠りかい? それは無理強ひした眠りもどきの愚劣な《吾》隠しの逃げ口上でしかないぜ。
――何、それで構はぬのさ。土台、此の世で安らぎは得られるのだから。
――ではなぜ眠る?
――現実逃避がしたいだけさ。さうすることで「現存在」はやうやっと此の世に生き恥を晒して《存在》出来るのだ。
薄明の中で
其処には薄ぼんやりと今にも闇に隠れそうな《存在》の実相が
仄かに見出だされ、《存在》は昼間の作り笑顔を已めていい時間へとやって来たのだ。
――ほら、これこれ。これが「私」だ。
と、薄明の中、鏡に見入る《存在》共は
己の本性が漏れ出てしまふ薄明の中で、
奇妙に蠕動する《吾》と言ふ《存在》の本音を見ては、
――ぶはっはっはっ。
と哄笑するのだ。
そして、《存在》共はすぐそばまでやってきている闇の時間に没入するべく、
《吾》に対して昼間には隠さざるを得なかった本性を
ちょろちょろと出してみては独り言ちてゐるのだ。
――ほらほら、これが「私」なの。どう? 「私」は《吾》に変貌していいかしら。
と、一人の少女が薄明の中さう呟いたのだ。
と、そこでたまゆらに真白き精霊がその少女から飛び立ち、
さうして一つの命が途絶えたのだ。
――やっと「私」は《吾》になり得、さうして、地獄へ行くのかしら?
犇めく《もの》
《吾》の内奥で犇めく《もの》どもは
一斉に美麗な声でマーラーの「大地の歌」のやうな歌を歌い出した。
それは余りに美しく、そして、余りにも哀しい歌詞で、
かう《吾》の内奥に響き渡るのだ。
――何たることよ。《吾》の羸弱なるその《存在》に対し、
《吾》は歌ふしかないのだ。
嗚呼、《吾》が《吾》に留め置かれる哀しさよ。
そして、現在にのみ放り出されし《吾》は、
未来永劫に亙り《吾》為りし。
過去も未来もともに反転可能な此の《世界》の有様は、
唯、《吾》を哀しませるだけなのだ。
何もかも流されるがいい。
しかし、時間はどうして流れゆく《もの》なのか。