鉄オタ(続・おしゃべりさんのひとり言174)
学校にいる間も校舎の3階なら、はるか遠くに走る電車の姿を確認できましたので、休み時間の度に眺めに行き、仲間も増えました。
それ以降、放課後に結構な頻度で電車を見に線路まで通っていたのです。多い時は8人くらいで行きました。
カメラを持っていた岡山君も参加して、電車の写真を撮ることに熱中しました。
線路脇ばかりじゃなく、トンネルの出口付近には、線路の上をまたぐ歩道橋があって、そこが僕らのお気に入りのスポットになりました。
その頃には、どんな列車が何時何分に通過するか全部把握していて、お目当ての電車にカメラを構えて待つような感じです。
トンネルに「ゴ~~~」って音が聞こえてくると、歩道橋のその軌道上で待ってトンネルの中を凝視します。
暗闇の奥に見えるライトの数や配置の間隔で、どんな車両がやってくるかまで判るんです。
僕はスリーライトと呼ばれるヘッドライト三灯の特急が好きでした。
この当時の特急は運転席部分が新幹線みたいなボンネット型と、連結時に内部を通り抜ける通路がある貫通型の『L特急』がありました。ベージュ地に赤いラインが客車の窓周辺にデザインされた国鉄カラーが主流な時代です。
そんな485系L特急『雷鳥』が、2~3時間に一本通過します。(←現在では『サンダーバード』と改名されているやつです)
でもなぜか極たまに、スリーライトが見えるので、『雷鳥』が来ると思っていたら、ベージュより白っぽい下地に、窓のラインは青色の583系(通称、ゴンパチサン)という珍しい車両の希少な寝台L特急『明星』が通ることがありました。
スリーライトが来ると興奮して、トンネルの出口に注目します。そして、「ゴゴ~~~~!」と轟音とともに飛び出してきて、僕らの足下を通り抜けていく訳です。
岡山君は、その瞬間を狙って、毎日シャッターを切っていました。
ある日僕らは、近くの駅に行った時、切符に『入場券』というのがあることに気付きました。
当時は100円くらいで、子供料金はその半額でしたので、僕らでも購入できる金額です。
「入ってみよう」そう言って、ホームに行くといつもと違う写真が撮れました。
そのホームに停まる電車のドアが開いた時、岸木君がナント、その車両に乗ってしまったのです。
彼は手で、(来い来い)と合図します。すぐにドアは閉まりそうです。
僕と岡山君たちはそれに飛び乗りました。考える暇がなかったんです。
ドアが閉まってしまいました。(乗って大丈夫かな? 岸木君は分かってるのかな?)
「この先に〇✕車庫があるから、電車がいっぱい停まってるのが見えるよ」と岸木君が言いました。
何駅か通過して、広大な車両基地の横を通りました。車窓から見える景色に並ぶのは、普段見れない路線の電車やブルートレインの客車の数々です。
岡山君はシャッターが間に合いません。あっという間に通り過ぎました。
僕らは新大阪駅で折り返して、もう一度車庫の横を通過中に写真を撮って、元の駅に戻りました。
ちょっとした冒険気分でした。でも、これってキセル乗車ですよ。
岸木君は「他の駅の改札を出なければいい」なんてことを言っていましたが、僕でもその乗車がダメなくらい分かっていました。もう半世紀近くも前の話です。許してください。
年齢がまだ一桁のこの時が、僕が一番『鉄オタ』だった瞬間です。
最後にそんな僕の最高にすごい鉄道の思い出を話します。
親戚が引っ越しをした日、父さんはそれを手伝いに行ったんです。
そこに僕も付いて行きました。なぜなら、その新居が東海道線の間際の家だったからです。
僕らの街から電車で30分ほどの距離です。その家に着いても僕は何もすることがありません。
物干し台から、ずっと線路を眺めていました。
そこはもう大都市に近いだけあって本数も多いし、僕たちの街には来ない電車も走っていました。
その中で一編成、とんでもない電車を目撃したんです。
はじめは上り線に485系L特急が走って来たのに気が付きました。その家から一番近い軌道上を走って来ます。
(こんな時間に特急が来るとは、僕の街とダイヤ違うな)と感じました。
でも、そのヘッドマークは『試験運転』でした。色はベージュ地に赤いライン・・・(ん?)
途中から青いラインになった。(なんで??)
そしてまた赤いラインの客車がつながっていて、また青色が挟まれている。(なんだこれ???)
大概の特急は12両で編成されていて、先頭から最後尾までが長いのですが、線路があまりに近すぎて全貌が見えませんでした。
そして最後尾の気動車が通過した時、それは青いラインのゴンパチサン(583系)だったのです。しかもヘッドマークが『明星』です。忘れもしません。そのマークは光っていました。
「うわーー!!!」僕は思わず大声で叫んだのを覚えています。
そんなことがあるはずないじゃないですか。先頭が『雷鳥』車両で、最後尾は『明星』ですよ!
学校で岸木君にこの話をしても、「ホンマかぁ~?」くらいにしか聞いてもらえませんでした。
今思えば、新規車両を車両基地に運ぶ『甲種輸送』だったのかもしれません。
そのことを思い出したので、先日ネットで調べると、赤の485系と青の583系を連結した試験運転の写真を一枚だけ見付けました。(このひとり言の扉絵参照)
まさしくこれがそうだったんでしょう。
つづく
作品名:鉄オタ(続・おしゃべりさんのひとり言174) 作家名:亨利(ヘンリー)