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京都七景【第十八章】後編

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 大学の薬学部の門に佇んで待っていたこともある。だが通りかかる学生に妙な目で見られるようになってから、行くのはやめた。薬学部の教務課に聞くのが一番確かかもしれないが、里都子さんや古川家に多大な迷惑がかかることを恐れて、そこまではしていない。
 事件から三ヶ月くらい過ぎたある日の午後、非難されるのを覚悟で、西洋館に古川医師を訪ねてみた。医師は相変わらず不在で、管理人さんにだけ会うことができた。
 その管理人さんによると、ここだけの話、お嬢さんは、おかわいそうに、新たに別な症状を発症した様子で、現在神経科に移って治療を受けているという。古川医師はその病院の近くにアパートを借り、お嬢さんを看護しながら、病院勤務を続けている。だから家政婦の自分が家と下宿の管理をしている。もし誰か訪ねてくる人があっても、しばらく不在にするとだけ伝えて、そのほかのことは一切口外しないよう古川医師から固く禁じられている、とのことだった。
 さてここで、おれの話は終わりだ。これ以上どこにもとりつく島がない。唐突な終わり方ですまないが、これがおれの失恋話の顛末さ。

「何がなし悲しい顛末だな。だが、ぼくには、この話がここで結末を迎えたとはどうしても思えない。というより、思いたくない。できれば、その里都子さんに自分の思いのままの人生を歩んでほしいと切に願う。
 ぼくの信条には、「女性を悲しいままにしておいてはいけない」、という直感がある。急いでつけ加えるが、これは「女性を悲しませてはいけない」ということではないから誤解なきように。それで、今回の件はそれにあたっていると思う。だから、里都子さんを悲しませたままにしておかないためにも、野上には、さらにひと働きも二働きもすることを期待もするし、かつ心から応援もする」

 さすが神岡、女性について並々ならぬ説得力のある意見を持っている。他のみんなも、眠気と必死に闘いながら、そうだそうだと、お互いうなずき合っている。

「ありがとう。神岡をはじめみんなの応援に感謝する。おれもまだ諦めたわけではない。失恋したにせよしてないにせよ、せめて里都子さんの成人式を立派に見届けたいという強い思いに変わりはない。これからも、真如堂の定点観測は欠かさないつもりだ」
「おおう、おう、そ、そ、そのちょうしら、しっくりがんふぁるんだじぇ」と、堀井がまどろみの中から声をかける。

「それじゃあ、時間も遅いことだし、忍耐力も底をついて来たようだから、名残惜しいが今夜の失恋話はここまでとしようか」と大山が今夜の事態の収拾を図る。

「あ、いや、申しわけない。まだ待ってもらえないかな。一つ提案したいことがある。実は失恋話で関係地の一筆書きができないかと皆に相談したことは覚えているだろう。その結果だが、今の野上の話を最後に、ひとまず一筆書きができ上がるにはでき上がるんだが、良い道順と言うには、どうも物足りない。まだもう少し改善の余地がある。
 目下一筆書きは、東山安井のバス停から始まり法然院に来て止まっている。これを無理なく百万遍につなげられれば、百万遍から振り出しの東山安井までは東大路を真っ直ぐ進むだけで済むから、上々の仕上がりと言えるだろう。
 そうするためには、どうしても銀閣寺のところで一度、今出川通に曲がって、百万遍を目指すのが最良の策と思う。だから銀閣寺付近で、短くてもいいから、誰か一つ、失恋話を持ち合わせていないだろうか。そうすれば、名所旧跡を、それなりにうまく取り込んでいて、散策コースとしては、まあまあの出来だと言えるんじゃないか。な、どうだろう?」と露野が真顔で提案する。どうやら頭の中の興味・関心の位置が、われわれ普通人とやや異なっているようだ。まあ、そこが露野の斬新さの淵源なのだが。

「そうか、わかった。そういうことなら、不肖この堀井、最も短い失恋話で送り火失恋夜話のトリをつとめさせてもらおうじゃないか。だが一つ露野に質問がある。どうしてそんなに関係地と一筆書きにこだわるんだ? 何か哲学的意味でもあるのかい?」
「いや、そんな深い意味はない。ただ、五年先、十年先、いや数十年先のことを考えてみたんだ。これから先、俺たちはたぶん、いろいろな時期に、個人でそして友人や家族とともに、何度も京都を訪れるにちがいない。そのとき、たまたまこのコースを歩いて、今夜のみんなの話を東山の景勝地から思い出すとすれば、それはそれで少し洒落た京都の味わい方の一つになるのではないかと、ふとそう思っただけさ。余計な時間を取らせてすまなかった。さあ、堀井、始めてくれ」

 みんなは、露野にゆっくりとうなずいたあと、堀井に顔を向けた。