エーテル論者と天球儀
01.スターゲイザーは沈思する
かつて実家だった山奥の一軒家。その庭で一人、俺は天体望遠鏡をのぞき込んでいる。
別に何かのイベントがあるわけじゃない。彗星が近づくわけでもなく、食が起こることもない、天文マニアにとってはただの夜。そんな夜に、俺はただ星くずが散らばる夜空をレンズを介して飽かず眺めている。いや、本当の目的は別にあるのかもしれない。どちらかといえば、俺は星ではなくここでしか味わえないもののためにここにいるんだと思うときがある。
それを見透かしているからだろうか、付き合っている彼女は俺のこの行動を快く思っていない。天体観測が趣味であることは知っているし、旧実家であるここの住所もちゃんと伝えているというのに。ただ、観測の最中はスマホの電源を切るので連絡は取れない、と伝えたのがお気に召さなかったようだ。
少し前、彼女が一度だけここに押し掛けてきたことがあった。田舎の山に数十年前に建てられ、ずっと住んでいた両親もさじを投げてマンションに移ったようなボロ家に。まあ、部屋にでかいムカデやクモがはい回っているのを見た瞬間、震え上がってタクシーを呼び出し、数分もせずに帰っていったが。
あいつはそれでもつまらない疑念を抱いているようで、俺がここに泊まる度に、やれ画像や動画を撮ってここにいた証拠を見せろだの、GPSタグを持っていろだのとまくし立ててくる。別にやましいことは何もないので承諾したが、一瞬を切り取る画像や数分程度の動画が、誰かと過ごしていなかったことの証明にならないのはあいつもよく分かっているだろうし、GPSタグなんてこの家に置いて出かけるか、誰かをここに連れ込めばなんの意味もない。
そんなに疑うのなら相応の金を出してこの家に監視カメラを取り付けても構わないと話したのだが、そこまでして自分の嫉妬深さと向き合う勇気はないのか、はたまた外聞が気になるのか、俺がそこまで大きく出たせいで多少の信用を得られたのか、不満な顔をしつつも最近は何も言わなくなった。
愛する人を怒らせながらもなぜここに来てしまうのか。正直な話、俺自身もよくわかっていなかった。だが、星々とともに一夜を過ごし続け、彼らを眺めながら時を忘れているうちに、なんとなく脳内に渦巻いていた思考の断片が、少しづつまとまってきた気がする。
恐らく、星と向き合うという作業は究極の自分本意な時間なんだ。
そこに他者は存在しない。仮に誰かがいたとしても、一度レンズの向こうに目をやれば、その存在は瞬時にかき消えてしまう。
それはプラネタリウムという場においてもよくわかる。始まる前はともかく、いざ天蓋に星空が映し出されれば、周囲にいる他者は暗闇に溶けて消え失せる。カップルシートなんてものも最近はあるようだが、どう頑張ったって星空ととなりの恋人を同時には見られない。どうしたって、今しか見られない光年という途方もない単位の遠景に目を向けるしかない。自分を中心に広がる、一生をかけてもたどり着けない途方もない空間に目と意識を向けざるを得ないのだ。
そのような圧倒的な世界を前にして、ちっぽけな人間は何を考えるだろう。答えはもう出ている、何を考えたっていい。眼の前に映るまばゆい瞬きに思いをはせても、自己を見つめて内省的な時間に浸っても、哲学的な命題に心を砕いても、やがて来る死についておびえても。
星空を前にすれば、どんな自由な思考も許されるのだ。
英語で天文学者を意味するスターゲイザーという語が、夢想家という意味でもあるのはうまくできているなと感心してしまう。そう。星を見つめている人間の大半は、星を見つめてはいない。そいつらははるか遠くの星を眼前にしながら、全く別のことを考えている。
こういうやつらは、身近な愛すべき人々のことや仕事のスケジュール、株価の変動や世界情勢のような現実と地続きなことはまず考えちゃいない。こいつら、いや、俺たちと言ったほうがいいか。俺たち夢想家は、ありていに言えばあまり金にならないことをぼんやり考えている。百万年先の都市はどうなっているかとか、紀元前のローマにしょうゆがあったらどうだろうとか、朝にいいからアサイーボウルというダジャレを今年どれだけのおじさんが思いついたのかとか。やり方次第では金になるかもしれないが、基本的にはくだらないこと。そんなことに星を見ながら時間を費やしている。
だが、こんなくだらないように思える時間がある種の人間にとってはものすごく大切なのだ。スマホの電源を切って彼女を不機嫌にさせようとも、俺だってあまり好きではない虫たちがのたくるボロ家で仮眠を取ろうとも。
それに、後ろめたいことがあるから連絡手段を断っているわけじゃないことをきちんと理解してほしい。貴女を含めた全ての他者を拒んで一人になりたいだけなんだ。何度か説明を試みたが、どうやら彼女には到底この気持ちが理解できないようだ。まあ、寂しがり屋なのは付き合っている俺が一番よく知っているので、わかりあえることはないだろうと思ってはいたけども。
ただ、この件に関してはあまりにもこちら側が好きにやりすぎているなあと自分でもちょっと思う。これからはもう少しここに来る頻度を落として、一緒の時間を作ることも考えたほうがいいだろう。
かなたの星を見上げていて足元がおろそかになり、井戸に突っ込んだ大昔の哲学者のようにはなりたくないからな。
作品名:エーテル論者と天球儀 作家名:六色塔