あなたに似た人1
ひんやりとした空気に満ちた遺体安置所で、ベッドとも言えないような台に寝かされた遺体。グレーの覆いを前にした男は、ゆっくりと握り拳を作った。立ち会っている職員は、身じろぎせずに彼を見守っている。
何度目であろうと、この瞬間は慣れない。慣れたいとも思わない。意を決して、顔が見えるように覆いをめくった。
精気の無い顔をたっぷり一分間は見つめ、フーッと息を吐き出し、結果を告げる。
「違います。弟ではありません」
目の前で、見覚えのある男が、自分が、自分の体が、倒れるのを、瞬きせずに見つめていた。
その体は白目を剥き、口から泡を吹いている。先程まで細かく痙攣していたが、今では微動だにしない。
椅子に座らされ、意識はあれど指一本動かせなかった。身動きできぬまま、声が耳を通り抜けていく。
「ふむ。息絶えたか。まあ、概ね予想通りだ」
スーツ姿の男が、ペンを素早く動かし、手帳に書き込んだ。身を屈め、こちらの顔を覗き込んでくる。その目は冷静な観察者のそれで、じっくりと検分した後に、満足そうな顔で体を起こした。
「魂が定着するのに、時間がかかっているようだ。じっくり調べたいところだが、ここを嗅ぎつけられてしまってね。実に残念だよ。君はいい被検体だったのに」
首を振って、スーツの男は手帳を内ポケットにしまう。
「君と別れるのは名残惜しいが、私も自分の身が可愛いのでね。踏み込まれる前に逃げなければ」
男は背中を向け、手を挙げてひらひらと振り、首だけこちらに向けてきた。
「さようなら、名も知らぬ君。私の実験台になってくれてありがとう」
海から吹き付ける風が、男の巻き毛を激しく乱す。
男は、ぼんやりとした目で、崖上に取り残された鞄を見た。黒い、革の鞄。ありふれて、持っていない人物を探すほうが難しそうなそれに手を伸ばし、中を漁る。
財布、定期、手帳、ハンカチ、ボールペン、白い封筒に入れられた便箋に、ありきたりな言葉で死を選んだ理由が書いてあった。
最後に、母親への感謝の言葉と、「ルロイ・ハート」という署名。
「母親……か」
のろのろと便箋を封筒に戻すと、財布の中から免許証を取り出す。そこに書かれた住所に溜め息をつくと、無造作に財布へ戻し、鞄の底に落とした。鞄を手に、男は重い足取りで崖を離れる。タクシーを拾える幸運は、自分に振りかかってこなそうだと考えながら。
何度目であろうと、この瞬間は慣れない。慣れたいとも思わない。意を決して、顔が見えるように覆いをめくった。
精気の無い顔をたっぷり一分間は見つめ、フーッと息を吐き出し、結果を告げる。
「違います。弟ではありません」
目の前で、見覚えのある男が、自分が、自分の体が、倒れるのを、瞬きせずに見つめていた。
その体は白目を剥き、口から泡を吹いている。先程まで細かく痙攣していたが、今では微動だにしない。
椅子に座らされ、意識はあれど指一本動かせなかった。身動きできぬまま、声が耳を通り抜けていく。
「ふむ。息絶えたか。まあ、概ね予想通りだ」
スーツ姿の男が、ペンを素早く動かし、手帳に書き込んだ。身を屈め、こちらの顔を覗き込んでくる。その目は冷静な観察者のそれで、じっくりと検分した後に、満足そうな顔で体を起こした。
「魂が定着するのに、時間がかかっているようだ。じっくり調べたいところだが、ここを嗅ぎつけられてしまってね。実に残念だよ。君はいい被検体だったのに」
首を振って、スーツの男は手帳を内ポケットにしまう。
「君と別れるのは名残惜しいが、私も自分の身が可愛いのでね。踏み込まれる前に逃げなければ」
男は背中を向け、手を挙げてひらひらと振り、首だけこちらに向けてきた。
「さようなら、名も知らぬ君。私の実験台になってくれてありがとう」
海から吹き付ける風が、男の巻き毛を激しく乱す。
男は、ぼんやりとした目で、崖上に取り残された鞄を見た。黒い、革の鞄。ありふれて、持っていない人物を探すほうが難しそうなそれに手を伸ばし、中を漁る。
財布、定期、手帳、ハンカチ、ボールペン、白い封筒に入れられた便箋に、ありきたりな言葉で死を選んだ理由が書いてあった。
最後に、母親への感謝の言葉と、「ルロイ・ハート」という署名。
「母親……か」
のろのろと便箋を封筒に戻すと、財布の中から免許証を取り出す。そこに書かれた住所に溜め息をつくと、無造作に財布へ戻し、鞄の底に落とした。鞄を手に、男は重い足取りで崖を離れる。タクシーを拾える幸運は、自分に振りかかってこなそうだと考えながら。