死神と魔法使い1
よくある町の、よくある集合住宅の、その一室で。
スルスルと、幾本もの箒が床を滑っていく。その柄を持つ手はなく、まるで自らの意志で動き回っているかのよう。
後を追うように雑巾が床を這いずり、天井付近をハタキが舞う。
摩訶不思議な光景が生み出されているこの部屋で、年若い男性が開け放した窓から街並みを見下ろしていた。
栗色の髪が陽の光で黄金に輝き、薄い緑の瞳が楽しげに輝いている。魔道士である彼は、自らの魔法で掃除用具を動かしながら、もうすぐやってくる同居人の姿をいち早く見つけようと、雑踏に目を凝らしていた。
「楽しみだなあ、本物の死神に会えるなんて」
紹介状を手にやってきたのは、皺のないブラックスーツが妙に場違いな、くたびれた壮年の男だった。スーツと同じ色の髪に乗せた帽子を持ち上げ、おざなりな挨拶を口にする。うろんげな黒い目を細めて、部屋の主人である青年を上から下まで眺め回すと、
「お前、頭おかしいだろ」
「おっと、いきなりの豪速球」
「いくら魔道士だからって、同居相手に死神を指名するな」
くしゃくしゃにされた紹介状を受け取り、青年は嬉しそうに顔を綻ばせた。
そこに書かれている文は、間違いなくルイスの魔道士としての師匠からのものだった。ルイスからの「同居人に死神を紹介してほしい」という無茶振りに、完璧に応えてくれている。
「本当に、本物の死神なんですね。会えて光栄です。僕はルイス=アットウェル。ルイスと呼んでください」
手を差し出すルイスに、相手は呆れたような顔で、
「ヴィクトル。……死神は家名を名乗らない」
「罪人だから?」
遠慮のない物言いに、ヴィクトルは唇を歪めて笑った。
死神は、罪を犯した魂が死後に神の御許へ行くことを許されず、彷徨いながら生者の命を刈り取ると広く信じられている。だからこそ、人々は死神と関わることを嫌うのだ。
「お前も大概じゃねえか」
「僕たち気が合いそうですね。良かった。お茶を淹れるので、どうぞ座ってください」
真っ白なクロスがかけられたテーブルには、花と果物、皿に盛られたクッキーが乗っている。
嬉々としてキッチンに向かうルイスの背中に向かって、ヴィクトルはやれやれと首を振った。
「死神が飲み食いすると思うか?」
「じゃあ、本当にしないんですね! わあ、凄いなあ。聞いた通りだ。それは必要ないから? そもそも不可能で?」
「……出来るが、必要ない。腹が減るわけじゃないしな。無駄になるだけだぞ」
「無駄こそ人生の彩りですよ、ヴィクトル。テーブルのクッキーをどうぞ。ここのチョコチップクッキーを食べたら、世界が変わりますよ」
ヴィクトルは盛大に溜め息をつきながら、手近な椅子に腰掛けた。
「やっぱ、魔道士ってのは頭おかしいな」
「そりゃそうでしょう。まともなら魔道士になりません」
ルイスが笑いながらティーセットを持ってくる。
「なにせ僕らは、神の理を解き明かす大罪人ですから」
スルスルと、幾本もの箒が床を滑っていく。その柄を持つ手はなく、まるで自らの意志で動き回っているかのよう。
後を追うように雑巾が床を這いずり、天井付近をハタキが舞う。
摩訶不思議な光景が生み出されているこの部屋で、年若い男性が開け放した窓から街並みを見下ろしていた。
栗色の髪が陽の光で黄金に輝き、薄い緑の瞳が楽しげに輝いている。魔道士である彼は、自らの魔法で掃除用具を動かしながら、もうすぐやってくる同居人の姿をいち早く見つけようと、雑踏に目を凝らしていた。
「楽しみだなあ、本物の死神に会えるなんて」
紹介状を手にやってきたのは、皺のないブラックスーツが妙に場違いな、くたびれた壮年の男だった。スーツと同じ色の髪に乗せた帽子を持ち上げ、おざなりな挨拶を口にする。うろんげな黒い目を細めて、部屋の主人である青年を上から下まで眺め回すと、
「お前、頭おかしいだろ」
「おっと、いきなりの豪速球」
「いくら魔道士だからって、同居相手に死神を指名するな」
くしゃくしゃにされた紹介状を受け取り、青年は嬉しそうに顔を綻ばせた。
そこに書かれている文は、間違いなくルイスの魔道士としての師匠からのものだった。ルイスからの「同居人に死神を紹介してほしい」という無茶振りに、完璧に応えてくれている。
「本当に、本物の死神なんですね。会えて光栄です。僕はルイス=アットウェル。ルイスと呼んでください」
手を差し出すルイスに、相手は呆れたような顔で、
「ヴィクトル。……死神は家名を名乗らない」
「罪人だから?」
遠慮のない物言いに、ヴィクトルは唇を歪めて笑った。
死神は、罪を犯した魂が死後に神の御許へ行くことを許されず、彷徨いながら生者の命を刈り取ると広く信じられている。だからこそ、人々は死神と関わることを嫌うのだ。
「お前も大概じゃねえか」
「僕たち気が合いそうですね。良かった。お茶を淹れるので、どうぞ座ってください」
真っ白なクロスがかけられたテーブルには、花と果物、皿に盛られたクッキーが乗っている。
嬉々としてキッチンに向かうルイスの背中に向かって、ヴィクトルはやれやれと首を振った。
「死神が飲み食いすると思うか?」
「じゃあ、本当にしないんですね! わあ、凄いなあ。聞いた通りだ。それは必要ないから? そもそも不可能で?」
「……出来るが、必要ない。腹が減るわけじゃないしな。無駄になるだけだぞ」
「無駄こそ人生の彩りですよ、ヴィクトル。テーブルのクッキーをどうぞ。ここのチョコチップクッキーを食べたら、世界が変わりますよ」
ヴィクトルは盛大に溜め息をつきながら、手近な椅子に腰掛けた。
「やっぱ、魔道士ってのは頭おかしいな」
「そりゃそうでしょう。まともなら魔道士になりません」
ルイスが笑いながらティーセットを持ってくる。
「なにせ僕らは、神の理を解き明かす大罪人ですから」