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イン・シトゥ

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「だから、これからを考えようじゃないか。土人に対処する方法を考えよう。俺たちが寝ている間に、個室に鍵をかけるという判断をしたのは正しい。俺も起きていたらそうしていただろう」四村はそこで一旦言葉を区切り、小さく息を吸った。「それから、お前の推測と同じで、俺も眠りの奥深くに到達したものが、現実世界に舞い戻ってくるのだと思う。夢を食い破る、というのは言いえて妙だな。ただ、そのトリガーは不明だ。土人に転じる到達すべき夢の階層が存在するのか、それとも特定の何らかの条件があるのかは分からない。その何かをきっかけに、化け物として目覚めるのだろう。この事象は、君の言うように、ひどく、そしてむごいことだ。化け物とはいえ、元は人間で、誰かがそれに手をかけなくてはならないからな」
「もたもたしていれば、患者たちも土人となって目覚めてくるかもしれない。四村、一体どうすればいいんだ」
「俺だって分からないさ。俺たちは、今、起きている者の命をつなぐことで精一杯だ。仮に、今の状況で眠りにつく誰かを起こしにいく選択をしたら、夢の階層に深く潜り込んでいく必要があるし、秋君たちの話を聞く限り、そこでも土人が現れる。非常に危険だし、夢に囚われる可能性が高い。仮に、それが成功して、起きている者を現実世界で増やしたとしても、食料には限界があるし、統率を取ることもままならなくなる」
「まさに八方塞がりだな」鷺沢が小さく呟いた。彼女の後ろ向きな言葉は珍しい。しかし、この状況を考えれば当然のことだろう。

 ふいに廊下の突き当たりから、微かな足音が聞こえてきた。硬い靴底が規則的に床を叩く音は、この静まり返った病棟には不自然なほど大きく響いた。やがて、その音の主が、ゆっくりと姿を現した。
「四村先生、起きたのですね?」芹澤が四村に声をかけた。
「ああ、芹澤先生。先程、鷺沢班にキックされたところです」
「それでは、例の件の状況説明も受けましたか?」
「ええ」
「そうですか。私の班は壊滅的状況で、一人が土人となり死亡、三人が土人との戦闘により重症。この三人は容態は安定しつつありますが、まだ予断は許さない状況です。私の班で動けるのは私を含めて三人。現在、私たちの組織は大きな打撃を受けている危機的な状況です」芹澤はそう言ってから、無言で鷺沢に目を向けた。鷺沢は一点を見つめていた。
「土人化に関しては、誰も予想はできませんでした。誰かを責めることはやめましょう、芹澤先生。もはや俺たちはお互いに協力しないと生きていけないんです。孤独は脅威です。一人孤独でいると、誰にも起こされることなく、夢に囚われていく世界ですから。必ず誰かに、その手で、起こしてもらわなくてはならない。人と人が争うことを否定する世界なんです。土人という脅威もいる限り、これからも協力していきましょう」
「ええ、分かっていますとも。人として、協力はしていくつもりです」と芹澤は言った。まるで至極真っ当で否定する余地のない四村の言葉に気圧されているようにも見えた。それから芹澤は落ち着いたような口ぶりで鷺沢に声をかけた。「鷺沢先生。鷺沢先生も相当お疲れでしょう。パプリカの時間も短くなってしまいます。早めにお休みになるのがよろしいかと思います。紘一さんの看病も、私と四村先生で面倒を見ますので、安心して眠りについてください」四村の言葉に影響を受けたのかは分からないが、今は彼の言葉をそのまま受け取っておくしかないだろう。
「紘一のこと、どうかお願いします」と亜衣が頭を下げて言った。
「頭を上げてください。勿論ですとも。人を救うのが我々の使命ですから」それから芹澤は少し言い淀んでから、言葉を発した。「……初めて貴方たちが病院に訪れた時の私の態度については謝ります。土人の発生もあったばかりで、かつ外部のコミュニティと接触したのが初めてだったので。内部のコミュニティの混乱の発生をまずは抑えるべきと考えたのです。どうかご理解ください」
 この言葉も今はそのまま受け取っておくしかない。四村の言ったように、この世界は人と人とが争うことを否定する世界なのだ。人を信用しなければ、孤独に陥り、そして眠りのなかに囚われていく。
 僕たちの周りには暗く重い空気が漂っていた。これを打ち消すかのように、四村が息を大きく吸い込んでから、手のひらをパチンと鳴らした。張り詰めた空気が少し緩んだように思えた。「まあ、ずっと考えていても、良い考えはすぐには浮かびませんよ。眠ると、夢のなかで良い考えが浮かぶこともある。だから鷺沢。まずは眠ることだ。ゆっくりと身体を休ませろ」

 鷺沢は206室、僕と亜衣はそれぞれ207、208室に入室した。内装は四村のいた診察室とまったく同じだった。僕は壁際の簡素なベッドへと向かう。シーツは糊が効いているのか、ひんやりと硬い。軋む音を立てないよう注意しながら横になると、消毒液の匂いが微かに鼻をくすぐった。天井の染みをぼんやりと眺めてみる。
 目まぐるしく変化していく日常。いや、もう僕たちには、いつものありふれた日常は存在しない。非日常がこの世界に大きく横たわっている。そこから逃避するかのように、僕のなかから意識が徐々に遠のいていく。よほど、疲れていたようだ。まぶたが重くなり、思考の波が次第に穏やかになっていく。やがて、ベッドのなかに飲み込まれるかのように、意識が沈み込んでいき、深い眠りのなかへと落ちていった。
作品名:イン・シトゥ 作家名:篠谷未義