そらのわすれもの9
音楽室の脇にある小部屋に知秋と琴恵は向かった。
「念のため防音できるし、ここにしたわ。」
琴恵は扉を締めながら、知秋に言った。
「あのさ…。」
扉が締まるのを確認し、知秋は悩みながら話を切り出した。
「こないだ、知春に会った?」
「会った。」
「何を話したの?」
「話はしていない。知春とは会話らしい会話をしたことは無いわ。今回も会話にはならなかった。」
「連れ帰るって叫んでいたらしいけど。」
琴恵の表情が固くなったような気がした。
「それを私に話して、あなたはどうしたいの?」
琴恵は知秋に聞いた。知秋は言葉に詰まった。
「それを聞いて、あなたは私のもとに来てくれるの?」
「…。」
6年前の会話が知秋の頭によぎった。
「ごめん。私はあなたを連れ帰る資格はない。」
当時、そう琴恵は知秋に伝えていた。
琴恵の表情は固く、あの時に似た冷たい目をしていた。
知秋は自分の視界がぐらつく感覚を覚えた。
自分の正体が人間じゃないと知った時、竜也が父親でないと知った時、心がすごく不安定だった。そんな時に偶然知り合ったと思っていた琴恵にどれだけ救われ、どれだけ裏切られ、絶望の淵に突き落とされたか。
「私がどういう人間だか理解して付いてこれる?私にはどんな血が流れているか理解している?空の精霊さん。」
琴恵は知秋に触れた。正確には知秋が普段は見えないよう触れられないようにされている知秋の精霊姿の翼に触れた。琴恵の体温の低めな冷たい手、でも、かつて依存していた低いけれど心の温もりを感じた気になっていた手。それが知秋の翼の形をなぞり、羽根を1枚抜き取った。
ピッと髪の毛を抜かれるような感覚。
失敗した…
知秋は自分がいかに愚かな行動に出ていたか気づかされた。
琴恵はそれを知秋に見せるように目の前にちらつかせ、握った。
「あなたのことを気に入って連れ帰りたいと言ったと思った?この間は中川くんが何も分からずに色々言うから、イラついて勢い余って言っただけ。あまり期待されても困る。」
琴恵は言い残して出ていった。
ギリギリ。いつもギリギリで知秋は平常心を保っていた。ギリギリで頑張っていた。でも、何かが激しく崩れていくのを感じた。
琴恵が出ていったのを境に聞こえたサイレンのような音が自分の泣き声だと気付くのに知秋は少しかかった。