Tread
絹山が恥ずかしそうにうなずき、高落はひとつ前の駅で降りた。絹山が住んでいるのは市街地から少しだけ離れた公園の外周道路に並ぶ一軒家で、木々に囲まれていた。その閑静で洗練された雰囲気に圧倒されて、高落は呟くように言った。
「すごい、おとぎ話みたいな場所だ」
絹山は愛想程度にうなずくと、公園の真ん中にある池とその近くのベンチに目を向けた。高落は同じ方向を目で追った。中学生らしき女子が三人、話しているのが見える。
「なんかいるけど、あの子たち?」
「そうです」
絹山が答えると、高落は松葉杖を素早く前へ出して歩き始めた。絹山は、早足で横を歩きながら言った。
「一番背が高いのが、お向かいの大内さんです」
「あー、いるね。リーダーぽいな」
高落は十メートル手前まで近づくと、片足立ちになり、松葉杖の先端を手で掴んだ。トイレでこそこそと噂話をしていた、ネムの取り巻き。あのときに感じたのと同じ力が、右手に籠っている。大内と二人の仲間が話しているすぐ横に、木製の小屋がある。高落は息を大きく吸い込み、やり投げのようなモーションで松葉杖を構えた。力を込めて振りかぶったとき、絹山が横から慌てて止めた。
「何してるんですか、ちょっと待ってください!」
片足立ちでバランスを崩した高落は、絹山と一緒にその場に転倒した。松葉杖が足元に落ちて情けない音を鳴らし、ベンチで話していた三人が慌てて立ち上がった。
「大丈夫ですかあ?」
そう言いながら真っ先に駆けてくる大内の姿が見えて、真横に倒れた高落は絹山に引き起こされながら、思わず笑った。
「大内さんだっけ? 声、めっちゃでかいね」
「すみません、止めて。どうするつもりだったんですか?」
「あの小屋に松葉杖を突き刺して、ビビらせてやろうって思ってた。肩は現役だからね」
高落が小声で言うと、絹山はふっと息を漏らせて笑った後、しばらく俯いて肩を揺すっていたが、やがて声を出して笑い始めた。
「なんですか、それ……。そんな世紀末みたいな」
大内が目の前まで来て、高落の手から飛んで地面に落ちた松葉杖を拾い上げると、絹山が肩を貸している隙間に差し込んだ。
「大丈夫ですか?」
「ごめん、慣れなくてさ」
高落がそう言ったとき、大内は絹山に気づいて目を見開いた。
「あれ、おキョン? え、めちゃ笑ってる」
高落は絹山の肩を借りたまま、苦笑いを浮かべた。学校では鋼鉄の委員長『お絹』で、地元では『おキョン』。大内は普通に覚えていたし、絹山は少なくとも地元では親しみのあるキャラらしい。そして大内のコメントによると、滅多に笑わない点だけは一貫しているようだ。
「大内法子さん」
絹山は真顔に戻ると、委員長の口調で言った。フルネームを呼ばれた大内が背筋を伸ばしたとき、高落は自分の制服が突っ張っているのを感じて思わず視線を落とし、絹山の手がシャツの裾を掴んでいることに気づいた。絹山は息を整えると、毅然とした口調で続けた。
「あなたの声は本当に、良く響くんです。特に夜は。私が勉強しているとき……、本当に……」
高落は、大内の表情を観察した。目を丸く見開いたままだが、どこか泣き出しそうにも見える。どんな不良かと思っていたが、松葉杖も拾ってくれたし、声のボリューム調整が壊れているだけの優しい子だった。
「ごめんなさい。気をつけます」
大内は、池の周りにいた鳥が飛び立つぐらいの大きな声で言うと、頭を下げた。高落は、三人組が公園から出て行くのを見届けた。
「あなたのような危険人物は、放っておけませんね。あんな風に、直感で松葉杖を投げようとするなんて」
絹山が少し冗談めいた口調で言った。高落が誇らしげに肩を揺すって笑うと、絹山は続けた。
「でも、おかげさまでちゃんと言えました。ありがとうございます」
「いえいえ。てか、そろそろ放して」
掴まれたままになったシャツの裾が、丸めたティッシュのようになっている。絹山は力を緩めると、ほとんど肩にそのまま乗っている高落の体を跳ね返すように、身を捩った。
「もたれすぎですよ。杖、使ってないですよね?」
「バレた?」
高落はそう言うと、松葉杖を支えにして完全に体を離した。絹山は高落の制服から手を離すと、小さく息をついた。お互い、再び自分の力で地面に立った後、高落は前を向いたまま言った。
「一位、また目指してよ」
絹山はうなずき、高落の方を向いた。
「部活への復帰を待ってます。でも、委員会には居てほしい」
何の抵抗もなくすっと飛び出してきた本音に、高落は微笑んだ。
「わたしは、どこにもいかないよ。そっちだって、一位になった瞬間ツンってしないでよ」
今までの人間関係なら、そうする方が普通だった。それに、高校の中だけ通用していた友人関係の先なんて、想像すらつかなかった。黒板があって、先生がいて、教室の見慣れた窓があって、初めて成立するものだと思っていたから。
でも今は、その先に一本の道がうっすらと見えている。
お互い、志望校は全く異なる。でも大学に入ったらまず、新生活がどんな感じなのか絹山に聞きたい。就職先だって、全く違うだろう。でも、頭の回転が速い絹山が仕事に対してどんな感想を編み出すかは、今からすでに気になっている。
またどこかで、同じシェイクを飲みながら。
そこには、相手の軽さに呆れながらも時折口角を上げて笑うガリ勉の絹山と、相手の重さを笑いながらたまには真顔に戻るスポ根のわたしがいる。
ほとんど正反対でありながら、まるで鏡に映したような二人が。