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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Tread

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 どう頑張っても、怪我をした方とは逆に傾いた身体。
 松葉杖はいい仕事をしているけれど、馬鹿みたいだ。
 高落沙也加は、トイレの鏡に映る自分の姿を眺めながら、頭の中で呟いた。十七歳にして、こんな風にキャリアを絶たれるとは。やれやれって感じがする。ソフトボール部のエースで、試合に勝つ以外のほとんどを免除してもらっている身なのに、まさかケーキ屋さんに寄ろうとして違う道を通った挙句、左折してきた車に右足を巻き込まれるなんて。
 全治二ヶ月で、今は退院して一週間。学校に復帰して二日が経つ。でも、医者の言う全治なんて、あくまで医者本人の身体能力が基準だ。だとしたら、入院中に売店で買い物をする姿を見たことがあるけど、ギリ歩けるかってぐらいがあの医者の言う『全治』なのだと思う。
「おーい、痛むの?」
 ネムが隣に立って、長いまつげが鏡にくっつきそうになるぐらいに、洗面台に身を乗り出しながら言った。丸尾音夢。名前の語感通り、いつも授業中は眠っている。本人は帰宅部で『文武ほどほど』がモットー。でも、何かに長けている人間と仲良くするのが上手い。
同じ大学に行こうと約束している仲だけど、大学で新たな交友関係が生まれた後もこの友人関係が続くのかは、正直分からない。高落はネムの方を向いて、誰にも聞かれたくないように声を落とした。
「痛くはないんだけど。マジで、一生このままかも」
「骨は、またくっつくって。うちの兄貴だって全身バキバキから蘇ってたし」
 ネムの兄は大学生。ロードバイクが趣味で、去年、時速六十キロで転倒した。家族で病院に駆け付けたとき、あまりの怪我に母はその場で気を失ったらしい。ネムはそのときの話をよくするけど、いつも表情が笑顔だから今イチ信用できない。というより、自分が怪我をしてから初めて疑念が生まれるようになった。わたしの怪我を人に話すときもそんな顔をしているのなら、友達関係はちょっと薄めたいかもしれない。
「お兄ちゃん、また大学通ってるの?」
「雨の日は痺れて痛いつって、休んでるよ。ママも甘々だし、マジ貴族」
 噛まずに何度も『マ』を連発できるネムは、『高落沙也加の親友』という理由で、催事の司会進行やアナウンス役に選ばれることが多い。先生からの評価も高くて、大人から見れば優等生に見えるのだろう。試合で相手を叩きのめすことで評価を得てきた自分からすれば、ネムも十分貴族だ。
「戻ろ。肩貸す?」
 ネムが言い、高落は首を横に振った。
「大丈夫。慣れとかないと」
 松葉杖を使いながらだと、今までのスピードでは教室まで戻れない。それに、ネムの『肩を貸す』案だって、その華奢な体を見ていればすぐに分かるけど、こっちがどれだけ肩を借りたい状況だったとしても、実体のない愛想でしかない。心持ち歩くスピードを落としているネムは、自分ごとのように沈んだ表情で呟いた。
「つーかさ、話があるって。なんなんだろね」
「分かんないよ。大人ってなんで、後で話があるって言うんだろ。今言えよって感じ」
 高落はそう言うと、顔をしかめた。ついさっき、昼休みが入ってすぐに担任の岡本先生から声を掛けられた。後で話したいことがあるから、六限が終わったら職員室に寄れと。ネムは高落の横顔を見ながら、一度咳ばらいをして低い声を作った。
「おれが看病してやる。彼女になれ。とかじゃね?」
「発想やべー、岡ちんに限ってそれはないと信じたい」
 そう言うと、高落はようやく笑った。ネムは安心したように自分も笑顔になると、教室に戻って扉を開いた。そして、黒板の前に立っている『宿敵』を見るなり、高落に囁いた。
「お絹、ボランティア張り切ってんねー」
 絹山京子、通称『お絹』。午後の授業がつつがなく進むよう、先生のために黒板を綺麗にしている。学級委員長で、文武の文に特化したタイプ。高落は今のところ、県大会優勝の表彰式で段取りを一方的に伝えられたときしか、話したことがなかった。大体、住む世界が違いすぎる。自分はどちらかというと、ネムに合わせて背伸びしているとは言え、派手で目立つ方だ。対してお絹は地味で、ほとんど肩に近い位置で括った髪は、常に同じ藤色のヘアゴムで留められている。結構マメに新品に換えられていて、在庫が家に何個もあるということを想像すると、それで爆笑していたネムほどではないにしても、やはり笑ってしまう。
「日直、誰だっけ」
 高落が言うと、椅子を引きながらネムは笑った。
「知らねーのかよ、わたしだって。いや、お絹がいたら楽で助かるよ」
 松葉杖を立てかけて隣に着席した高落は、気まずくなって肩をすくめた。今までは部活優先で、それとなく全ての当番を免除されてきた。日直を代わりにやってくれるのは、ほとんどの場合ネムの取り巻きだった。絹山はワインレッドの細いメガネ越しに、黒板の隅から隅までチェックしている。制服の着こなしから、真っ白を通り越して光って見えるシャツの袖口まで、全てが初期設定みたいだ。
 ぼんやりとそう思っていると、絹山が突然振り返り、強制的に目が合った。高落は思わず、宙に視線を泳がせた。絹山はハンカチで手を拭きながらつかつかと歩いてくると、すでに謝罪の表情を作り始めたネムをやり過ごして、高落の目の前で止まった。
「足の具合はどうですか?」
「目下、治療中でっす……」
「痛くて早退したいなどあれば、私までお願いします。先生に言うより、クラスにいる私の方が早いと思いますので」
 絹山は澱みない口調で言い終えると、小さく一礼してから黒板の前に戻っていった。ネムが大げさに息を吐き出して、宙を仰いだ。
「殺されるかと思った。心臓に悪いって」
 そこまで思うなら、今からでも手伝えばいい。高落は絹山の後ろ姿を目で追いながら、同じようにレーダーのような目を向ける男子生徒の数を読んだ。あんな感じだけど、ネム曰く絹山は『顔面の下地が良い』らしく、男子からの評判は結構高い。ただ、その扉は鉄壁で、誰もガードを崩せた試しはない。絹山は、誰にでも分け隔てなく敬語で接する。だから話しかけるにあたって、物怖じする必要はない。ただ、会話できたとしてもそこが終点だから、誰もその先には踏み込めない。
 午後の授業が始まる直前、ネムがスマホをじっと見つめて、呟いた。
「めずらし、お絹が三位って」
 進学校ではあるから、成績は十位までが公表される。掲示板に張り出されているはずだが、見る気にもならない。ネムも友達からのメッセージで知ったようだし、あんな紙切れに躍起になっているのは、上位争いをしている生徒だけだ。ただ、勝手に耳に入ってくる噂の通りなら、絹山は一年生の間、ずっと学年一位だった。
「まー、浮き沈みあるんでしょ」
 高落が言うと、ネムは口角を上げた。
「期末に期待だねー。まあ、文武ほどほどが一番ですよ」
 自分の片足が折れているからだと思いたいけど、今はネムに少し黙っていてほしい。高落が愛想笑いでごまかすと、その会話は続くことなく、午後の授業が始まった。そして六限が終わるまで、担任が温めているらしい『話』が何なのか、気になって何も頭に入らなかった。部活の話だろうとは思うが、それなら顧問の大橋先生に呼ばれるはずだ。教室がざわざわと動き出して、高落は独り言のように言った。
作品名:Tread 作家名:オオサカタロウ