化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助
化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助
仇討ち新之助
1
木立のなかに石畳の路が伸びている。
小さな庭である。
石畳を踏み、絣の着物に前掛け姿のおかみさんがやってくる。
地蔵堂に人影はなかった。
おかみさんは左右の下駄の先をあわせ、地蔵堂のまえに立った。
「お助け地猫蔵さま、うちの長屋に住んでる新之助さんのことなんです。新之助さんは仇相手をさがしています。でも、なかなか見つからないんです。一日もはやく相手がでてきて無事に仇が討てますよう。どうか、よろしくお願いいたします」
二つ手を拍ち、頭をさげた。
そのあと、胸高に帯をしめた女の子の二人連れが姿を見せた。
「お助け猫地蔵さま、お願いします。新之助さんとおっ母さんのお雪さんとお千ちゃんの仇が、きっとあらわれますように」
「仇相手が見つかったときは、すごく強い助っ人が駆けつけてくれ、またもとのお殿さまにお召しかかえになれますように」
「どうか、よろしくお願いいたします」
二人で手を合わせ、そろって頭をさげた。
願をかけるときはお地蔵様に聞こえるよう、他人には聞かれないように語らなければならない。言い伝えだ。
お地蔵様は長い年月を経、顔形もはっきりしていない。
赤い涎掛(よだれかけ)をつけ、お堂の中で胸を反らしている。
地蔵堂の間口は百八十メートルほど、左右の柱の高さは三メートルほどだ。
屋根は厚みのある茅葺きである。
そのお堂のすぐ横には、一本の椎の木が太い幹をかしがせている。
地蔵堂は古くて小さかったが、がっしりした造りだった。
そしてその天井裏の格子窓から、緑色の目の二匹の猫が庭をのぞいていた。
二人の女の子が去ってしばらくすると、向こう鉢巻の棒手(ぼて)売りがきた。
棒手売りは、商品を天秤棒で担いで町の家々に売りあるく小売商(こあきない)だ。
「いざというときは八五郎も留も助太刀をするっていってやす。おいらもそのときは、その覚悟でおりやす。はやく相手がでてきますよう、よろしくお願いいたします」
浪人風情の男もやってくる。
頭のてっぺんの月代(さかやき)が、ぞろりとのびていた。
「梶原(かじわら)殿がみごとに仇を討てますよう。拙者も助太刀をいたす所存でございます。拙者の大活躍におどろいたお雪さんが心強く思ってくれ、うまいぐあいに夫婦になれて、仕官の道がひらけたりするなんて……ちと虫がよすぎるかな」
浪人は、ほろ苦そうな笑顔を浮かべた。
蒲鉾(かまぼこ)型の眠たそうな目だった。
頭を掻くと雲脂(ふけ)がこぼれた。
ここのところ、同じ長屋の住民とおぼしき人たちが何人も願をかけにきた。
長屋はすぐ近くにあり、仇討が話題になっているようだった。
話によれば、梶原新之助とやらは十四、五歳。
妹のお千は十歳くらい。
母親のお雪はかなりの美人らしいが病弱である。
一家は父の仇討ちのため、江戸にでてきたばかりだ。
《仇討ちだってさ》
牝のブチ猫が白い鼻先を隣のトラ猫にむける。
《遺恨があるようだな》
雄のトラ猫が、短い髭のある顎を左右にふり、眉をよせた。
ブチ猫も頬の毛をふくらませ、首をすくめる。
《仇討ちの手助けなんて、できないよな》
《相手と戦って、どっちかが死ぬんだからね》
《仇討ちなんてやめな》
《せっかく出てきたんだから、お江戸で新しい人生をはじめなよ》
二匹は、ぼさぼさの赤茶毛におおわれたからだを寄せ、緑色の丸い目をまばたかせた。トラ猫は赤茶の毛に薄い縦縞の黒い毛がまじり、ブチ猫も赤茶の毛でおおわれているが鼻先から口、喉、そして腹が一面に白い。
実は、トラ猫とブチ猫の二匹は化け猫だった。だが、人間に恨みをもっている訳ではない。おどろおどろしく人にとりつく訳でもない。
たまたま二匹の親の血を受け継ぎ、この世に生をさずかっただけである。
二匹は旅の途中、人で賑わう地方の城下でめぐりあった。
たがいに相手の存在を全身で感じ、瞬間にすべてを悟った。
猫はもともと単独で行動する生き物である。
だが、同種の仲間は貴重だった。
孤独だった二匹は、身を一つにするように寄り添い、旅をつづけた。
江戸に着くと、神田駿河台下の地蔵堂に住みついた。
しばらくそこで落ち着くつもりだった。
お堂に祭られた古いお地蔵は『お助け地蔵』と呼ばれ、地元の人たちに親しまれていた。
困ったとき、願い出れば助けてくれると言い伝えられていたのだ。
二匹はそんな謂れも知らず、偶然そこに住みついた。
二匹は、天井裏で人々の願いごとを聞いているうち、なにがあったのだろう、どうしたのだろうと、つい引き込まれた。
願をかけにきた人の後をつけたりもした。
《新之助って、十四、五で、まだ子供のようじゃないか》
二匹とも、仇の相手探しなどに手を貸したくはなかった。
とは云え、気になった。
《どんな子なのか、ちょっとだけようすを見にいってみようよ。毎日、日本橋にでているっていうしさ》
牝の猫が、もう天井裏の板壁の隙間のほうにむかっていた。
2
二匹が化けられるのは、人間だけである。
鳥になり、空を飛び、一気に日本橋にいくような真似はできない。
町を歩くときは、たいてい猫のままである。
人を助けるときも、人間に化けるとは限らない。
どう助けたらいいかと迷っているうち、機会を失うときだってある。
二匹の猫が町の通りを歩くと、ぼさぼさの毛が江戸の風になびいた。
どこから見てもただの野良猫である。
二匹は前後になりながら、日本橋の大通りにでた。
通りの左右に、白木屋、越後屋、大丸屋、松坂屋、近江屋と、それぞれに大店の暖簾(のれん)がはためいている。
町娘、職人、侍、旅人、物売り、髭の奴、小僧をしたがえた黒い羽織の番頭などが行き交う。
犬がたたずんでいれば猫もいる。
大店(おおだな)と大店の間の、木戸のむこうの路地をのぞけば、子供たちが声を上げて遊んでいる。
人をよけながら、にぎやかな大通りを歩く。
木組の橋が半円形状に盛り上がっている。
人間たちが造った見事な造形だ。
木の香りがぷーんと漂ってきそうだった。
《これが日本橋だよ》
《すごいね》
トラとブチの赤茶猫が足をとめ、ならんで首をのばした。
欄干のむこうに富士山がのぞいていた。
人通りも一段と多くなった。
橋のたもとに、人が集まっていた。
例の少年を囲っているようだった。
橋番がいたが、橋の中央に立ち、むこうから人垣をながめていた。
二匹は人間たちの脚のあいだを、からだをくねらせ、まえにでた。
少年が茣蓙(ござ)の上で膝をそろえていた。
細面だった。色白で撫肩である。
筒袖襦袢(つつそでじゅばん)に紺袴姿だ。
わきには赤鞘(あかざや)の刀を置いている。
新之助だった。
となりには、澄んだ目の女の子が座っていた。
前髪をたらし、瓜実顔だ。妹のお千である。
トラもブチも、腕力のありそうないかつい顔つきの少年を想像していた。
だが目の前の少年は、温和しそうで、いかにも弱々しそうだった。
赤鞘の刀だけが異様である。
仇討ち新之助
1
木立のなかに石畳の路が伸びている。
小さな庭である。
石畳を踏み、絣の着物に前掛け姿のおかみさんがやってくる。
地蔵堂に人影はなかった。
おかみさんは左右の下駄の先をあわせ、地蔵堂のまえに立った。
「お助け地猫蔵さま、うちの長屋に住んでる新之助さんのことなんです。新之助さんは仇相手をさがしています。でも、なかなか見つからないんです。一日もはやく相手がでてきて無事に仇が討てますよう。どうか、よろしくお願いいたします」
二つ手を拍ち、頭をさげた。
そのあと、胸高に帯をしめた女の子の二人連れが姿を見せた。
「お助け猫地蔵さま、お願いします。新之助さんとおっ母さんのお雪さんとお千ちゃんの仇が、きっとあらわれますように」
「仇相手が見つかったときは、すごく強い助っ人が駆けつけてくれ、またもとのお殿さまにお召しかかえになれますように」
「どうか、よろしくお願いいたします」
二人で手を合わせ、そろって頭をさげた。
願をかけるときはお地蔵様に聞こえるよう、他人には聞かれないように語らなければならない。言い伝えだ。
お地蔵様は長い年月を経、顔形もはっきりしていない。
赤い涎掛(よだれかけ)をつけ、お堂の中で胸を反らしている。
地蔵堂の間口は百八十メートルほど、左右の柱の高さは三メートルほどだ。
屋根は厚みのある茅葺きである。
そのお堂のすぐ横には、一本の椎の木が太い幹をかしがせている。
地蔵堂は古くて小さかったが、がっしりした造りだった。
そしてその天井裏の格子窓から、緑色の目の二匹の猫が庭をのぞいていた。
二人の女の子が去ってしばらくすると、向こう鉢巻の棒手(ぼて)売りがきた。
棒手売りは、商品を天秤棒で担いで町の家々に売りあるく小売商(こあきない)だ。
「いざというときは八五郎も留も助太刀をするっていってやす。おいらもそのときは、その覚悟でおりやす。はやく相手がでてきますよう、よろしくお願いいたします」
浪人風情の男もやってくる。
頭のてっぺんの月代(さかやき)が、ぞろりとのびていた。
「梶原(かじわら)殿がみごとに仇を討てますよう。拙者も助太刀をいたす所存でございます。拙者の大活躍におどろいたお雪さんが心強く思ってくれ、うまいぐあいに夫婦になれて、仕官の道がひらけたりするなんて……ちと虫がよすぎるかな」
浪人は、ほろ苦そうな笑顔を浮かべた。
蒲鉾(かまぼこ)型の眠たそうな目だった。
頭を掻くと雲脂(ふけ)がこぼれた。
ここのところ、同じ長屋の住民とおぼしき人たちが何人も願をかけにきた。
長屋はすぐ近くにあり、仇討が話題になっているようだった。
話によれば、梶原新之助とやらは十四、五歳。
妹のお千は十歳くらい。
母親のお雪はかなりの美人らしいが病弱である。
一家は父の仇討ちのため、江戸にでてきたばかりだ。
《仇討ちだってさ》
牝のブチ猫が白い鼻先を隣のトラ猫にむける。
《遺恨があるようだな》
雄のトラ猫が、短い髭のある顎を左右にふり、眉をよせた。
ブチ猫も頬の毛をふくらませ、首をすくめる。
《仇討ちの手助けなんて、できないよな》
《相手と戦って、どっちかが死ぬんだからね》
《仇討ちなんてやめな》
《せっかく出てきたんだから、お江戸で新しい人生をはじめなよ》
二匹は、ぼさぼさの赤茶毛におおわれたからだを寄せ、緑色の丸い目をまばたかせた。トラ猫は赤茶の毛に薄い縦縞の黒い毛がまじり、ブチ猫も赤茶の毛でおおわれているが鼻先から口、喉、そして腹が一面に白い。
実は、トラ猫とブチ猫の二匹は化け猫だった。だが、人間に恨みをもっている訳ではない。おどろおどろしく人にとりつく訳でもない。
たまたま二匹の親の血を受け継ぎ、この世に生をさずかっただけである。
二匹は旅の途中、人で賑わう地方の城下でめぐりあった。
たがいに相手の存在を全身で感じ、瞬間にすべてを悟った。
猫はもともと単独で行動する生き物である。
だが、同種の仲間は貴重だった。
孤独だった二匹は、身を一つにするように寄り添い、旅をつづけた。
江戸に着くと、神田駿河台下の地蔵堂に住みついた。
しばらくそこで落ち着くつもりだった。
お堂に祭られた古いお地蔵は『お助け地蔵』と呼ばれ、地元の人たちに親しまれていた。
困ったとき、願い出れば助けてくれると言い伝えられていたのだ。
二匹はそんな謂れも知らず、偶然そこに住みついた。
二匹は、天井裏で人々の願いごとを聞いているうち、なにがあったのだろう、どうしたのだろうと、つい引き込まれた。
願をかけにきた人の後をつけたりもした。
《新之助って、十四、五で、まだ子供のようじゃないか》
二匹とも、仇の相手探しなどに手を貸したくはなかった。
とは云え、気になった。
《どんな子なのか、ちょっとだけようすを見にいってみようよ。毎日、日本橋にでているっていうしさ》
牝の猫が、もう天井裏の板壁の隙間のほうにむかっていた。
2
二匹が化けられるのは、人間だけである。
鳥になり、空を飛び、一気に日本橋にいくような真似はできない。
町を歩くときは、たいてい猫のままである。
人を助けるときも、人間に化けるとは限らない。
どう助けたらいいかと迷っているうち、機会を失うときだってある。
二匹の猫が町の通りを歩くと、ぼさぼさの毛が江戸の風になびいた。
どこから見てもただの野良猫である。
二匹は前後になりながら、日本橋の大通りにでた。
通りの左右に、白木屋、越後屋、大丸屋、松坂屋、近江屋と、それぞれに大店の暖簾(のれん)がはためいている。
町娘、職人、侍、旅人、物売り、髭の奴、小僧をしたがえた黒い羽織の番頭などが行き交う。
犬がたたずんでいれば猫もいる。
大店(おおだな)と大店の間の、木戸のむこうの路地をのぞけば、子供たちが声を上げて遊んでいる。
人をよけながら、にぎやかな大通りを歩く。
木組の橋が半円形状に盛り上がっている。
人間たちが造った見事な造形だ。
木の香りがぷーんと漂ってきそうだった。
《これが日本橋だよ》
《すごいね》
トラとブチの赤茶猫が足をとめ、ならんで首をのばした。
欄干のむこうに富士山がのぞいていた。
人通りも一段と多くなった。
橋のたもとに、人が集まっていた。
例の少年を囲っているようだった。
橋番がいたが、橋の中央に立ち、むこうから人垣をながめていた。
二匹は人間たちの脚のあいだを、からだをくねらせ、まえにでた。
少年が茣蓙(ござ)の上で膝をそろえていた。
細面だった。色白で撫肩である。
筒袖襦袢(つつそでじゅばん)に紺袴姿だ。
わきには赤鞘(あかざや)の刀を置いている。
新之助だった。
となりには、澄んだ目の女の子が座っていた。
前髪をたらし、瓜実顔だ。妹のお千である。
トラもブチも、腕力のありそうないかつい顔つきの少年を想像していた。
だが目の前の少年は、温和しそうで、いかにも弱々しそうだった。
赤鞘の刀だけが異様である。
作品名:化け猫地蔵堂 2巻 1話 仇討ち新之助 作家名:いつか京