猫の女王
4ドラ猫合唱隊
1
「朝飯、食べましたか?」
茶白(ちゃしろ)のマダラが、三毛猫の銀次郎に声をかけた。
さっきから心地よい匂いが鼻を刺激し、落ち着かなかった。
舌の両脇から、じくっと唾が湧きでていた。
灰猫の八田刑事も白猫の新米刑事のうららも、そわそわしていた。
「食べにいきましょう。どうぞ」
マダラは、仲間とともにぞろりと歩きだした。
その後に、三匹もあわててついていく。
「目覚めてから猫嫌いの女房に見つからないようにって、夢中で家をでてきたんで、なにも食ってねえ。腹減ってふらふらだ」
「猫になってしまったので、昨日の被疑者の高田銀次郎の家にいけばなんとかなるだろうって夢中でとんできたけど、私も昨日の夜からはなにも食べてない。目まわってるみたい」
他にもなにかがあって、刑事たちは忙しく、コンビニのサンドイッチすら口にしていなかった。
やれやれと家に帰ってうとうとし、目を覚ましたら猫になっていたのだ。
「とにかく目覚めてベッドから落ちたら、見事四本の足で着地していた。開いたドアから夢中で外にとびだした。夜も朝も食ってない。おれも腹減ったあ」
銀次郎も、自分の身におきた衝撃と、腹のぐあいを報告する。
「高田銀次郎、確かにマタタビあそこにあるんだな、人間にもどれるやつ」
「もっと深く掘ればきっとでてきます。朝飯食ったら、すぐ作業再開しましょう。またちゃんと人間にもどれるんだから安心してください」
自分でもそう信じることにした。
同時に、今まで知らなかった猫の世界をのぞくのも悪くはないのでは、という思いが、ちらっと頭をかすめた。
芝生の斜面を横切ってツツジの垣根をくぐると、団地内の通路にでる。
通路を横断すると支援センターの看板をかかげた建物がある。役所の出張所だ。
「猫の世界にも悪いやつがいるようだな。おれが警官になったのは悪いやつを捕まえるためだ。どんなのがいるのかなあ」
八田刑事は、なにかを期待するかのようにつぶやく。
支援センターの建物の裏側を、マダラの仲間の猫、そのあとを三毛猫の銀次郎、灰色猫の八田、白猫のうららがついていく。
支援センターのとなりに、集会場の建物があった。
裏の植木の根元をぬけていくと、石の階段がある。
七、八段ほどの下は円形の石の広場だ。
広場の正面には管理事務所があり、この団地の中心点となっている。
猫たちの食欲をそそる匂いは、広場の端からながれていた。
広場の隅の物置小屋の前に、細身のおばさんと太めの禿(はげ)のおじさんが立っていた。
銀次郎は一見、体の細いおばさんがネコババアかと思ったがちがっていた。
マダラと仲間が走っていく。
団地内の他の野良猫も集まっている。
みんな腹を減らしているのだ。
新参(しんざん)の猫になりたての三匹も、遅れまいとついていく。
二人の人間の足もとには、三つほどの大皿が置かれていた。
その皿に、持ったバケツほどの容器からお玉ですくい、煮物があけられる。
待ちわびていた十二、三匹の猫たちが頭を低くし、突進する。
駈けよった銀次郎も、八田もうららもはじき飛ばされ、石畳の上にころがった。
野良たちの、食べ物を前にしたときの容赦ない勢いだった。
2
「あららら、新入りだわ」
「なんだ、なんだ、三匹もいるのか」
人間の二人が腰をかがめ、転がった猫をのぞきこんだ。
おばさんがバケツの脇にそえて持っていた皿状の容器をとりだし、石畳の上に置いた。
「まあ、まあ、まあ、新入りの猫ちゃんたち、どこからきたんだかね。三毛に灰毛に白ちゃん。さあさあ、ごはん食べな」
お玉から煮物が皿にあけられた。
ぷーんといい匂いが、目と鼻を刺激する。
とにかく腹が減っていたので三匹はマナーを忘れ、ふがふがと鼻を鳴らした。
魚の荒煮(あらに)にご飯をまぜた餌だった。
銀次郎は、さっきからこの匂いで口のなかが唾でいっぱいだった。
くしゃくしゃ音をたてて食った。
「あららららっ」
またおばさんの声がした。
夢中でかぶりついている背後からだった。
「植松(うえまつ)さん、ほら見て。この灰毛猫ちゃん……やだよ、こっちの三毛ちゃんもだわ」
銀次郎はあわててふり返った。
後ろに立った二人が、自分の尻を指さしていた。
「この子たち、タマつけてるじゃないのよ」
「あ、ほんとだ。しょうがねえなあ、さっそくキンヌキだな。団地の規則だからな。この分だと仲間の白毛も手術だな」
銀次郎と八田とうららは、わっと声をあげ、口から食べ物をこぼした。
「逃げよう、うらら。股ひろげられて卵巣(らんそう)とられるぞ」
八田がよけいな一言を加え、ささやく。
どうしようかと三匹が腰を落としかけたとき、植松さんという禿のおじいさんがつぶやいた。
「でも左江子さんよ。たまには子猫見たくないか?」
左江子さんとは餌を配っているそのおばさんだ。
「子猫? 見たいよ。生まれてほどない子は、手のなかでふわふわの体でくりくりの目玉であたしを見あげ、にゃあごお~って鳴くんだよ」
「うん。かわいいよなあ」
おじさんは目に涙をにじませそうだった。
「そうだよ~、子猫ちゃん、また抱いてみたいよお」
左江子さんは餌の入ったバケツを足もとに置くと、両手を胸にあて、目をほそめた。
「だろう? だから去勢(きょせい)してないこの三匹、管理事務所にも自治会にも内緒にしておこうぜ。知らん顔してて子猫が生まれたら『気がつかなかった、あれえ?』ってとぼけてな。それで、自分たちで処分するからって言って、どっかで飼っちゃえばいいんだよ」
「三毛と白毛の子がいいかな。それとも灰と白かな。うん、やっぱり三毛と白だね」
左江子さんはもう、具体的なイメージを頭に描こうとしていた。
「うん、三毛と白毛がいいね。どんな毛色の子が生まれるかなあ……あれ? よく見るとこいつ、キンタマつけてる三毛じゃないかよ、おい」
植松のおじさんが、大きな声をあげた。
「あら、キンタ……いいえ、三毛猫のくせに玉つけてるねえ。気がつかなかった。ほんと、牡(おす)の三毛猫だわ。はじめて見る」
三毛の銀次郎の尻をのぞきこむ。
「おどろいたな。どうしようか?」
「どうしようかって、なにを?」
「めずらしいから、売れるよ。百万円はするよ」
「なに言ってんのよ。そんなのあたしが許さないからね。白ちゃんの子供産ませてくれるんだから」
「冗談だよ。とにかく三毛の牡は貴重品だから、大事に見守ろう。これも二人で内緒にしとこうな」
「はい。内緒ね。ところで三毛猫の牡って、なにかすごい力とか持っているんでしょう。貴重品なんでしょう」
「牡のなかの牡、男のなかの男だな。強いんだよ。猫のスーパーマンだ。女にも持てる」
猫好きの二人の話が、勝手にはずんだ。
三毛猫の銀次郎は、いつの間にかスーパーマンになっていた。
そして白毛のうららとの間に、子供までもうけることになっていた。
「うららさん、あんなこと言ってますけど、どうします?」
つい面白くなり、銀次郎は口にした。
「ふざけないでよ高田銀次郎。あなたは米田トメさんに対する容疑者なんだからね」
冗談半分のつもりの銀次郎だったが、うららに一蹴された。