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猫の女王

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猫の女王


1 中年刑事と見習い女性刑事


階下から物音がしてこない。
夜になっても電気がつかない。
ポストからチラシがはみだしている。
気になるので念のため、と二階の住民が知らせてきた。
管理事務所の職員は、もしや孤独死(こどくし)、と急ぎ部屋を訪ねた。

呼び鈴を押し、返事をまった。
だが部屋の主、米田(よねだ)トメの反応はなかった。
職員は、鍵のかかっていないベランダ側の窓からなかに入った。
名を呼びかけながら、ダイニングキッチン、六畳、そして奥の四畳半まで進んだ。
すると部屋の中央に布団が敷かれ、人が寝ているような乱れかただった。
「米田(よねだ)さん、米田トメさん」
職員は大声で呼びかけた。やはり返事はなかった。

職員は腰を落として歩みより、そっと布団をめくってみた。
すると布団の下から、人の形に脱ぎ捨てられたパジャマがでてきた。
そしてボタンの外れたその胸から、一匹の猫が顔をのぞかせていた。
白い歯を見せたその猫は、干乾び、すでに死んでいた。
奇妙なおどろきを胸に職員は事務所にとんで帰った。
上司に報告し、すぐ警察に連絡した。

警官とともに、二人の刑事がやってきた。
刑事は現場を確認し、二階の住民から話を聞いた。
その結果、米田トメと親しくしていた一人の男が浮かびあがった。
男の名は高田銀次郎(ぎんじろう)。
銀次郎は、五階建てのこの古い日ノ元団地(ひのもとだんち)で米田トメと言葉を交わしていた唯一の人間だった。

名前からくる印象よりも若く、二十六歳で独身だった。
会社勤めをやめ、貯金と死んだ父親が残したわずかな財産で、世間と隔たるように暮らしていた。母親はすでになく、兄弟もなかった。
実は兄がいたのだが、生まれてすぐに亡くなり、次男の銀次郎の名がついた。

銀次郎は日ノ元団地の三街区の14号棟、米田トメは15号棟に住んでいた。
双方はこの独身者用の棟の一階でとなり同士だった。
この二つの棟と棟のあいだには、幅三メートルほどの共有通路があった。
表側の庭にぬける空間になっていた。
銀次郎が住む部屋の玄関ドアはその通路に面している。
庭へ抜ける空間を隔て、米田トメのドアと向かいあっていた。
 
日の元団地は、雑木林や森を開発してできた大規模な公団住宅だ。
敷地内にはたくさんの木々が茂り、所々、欅(けやき)の大木が自然の姿のままに残されていた。
また、各棟の南側に面した表には、五、六十メートルもの広さの芝生の庭があった。
銀次郎の住む15号棟の芝の斜面には、三本の紅葉が仲良くならんでいた。

団地は一街区から八街区まであった。
世帯数は四千余り。住民数は一万三千ほど。
全盛時代には子供の声であふれていたという。
しかし、当時から五十数年がたっている。
今は、多くの年寄りたちが住む生活の場に変わっていた。
銀次郎は駅からバスで二十分で、木立に囲まれた環境が気に入り、しばらくの安息の地のつもりで越してきた。


だが、越してきた次の日の朝、ぼそぼそした女性の声で目がさめた。
「いったい……ですか」
「さがしても……なのですか」
「気をつけて……ようにするんですよ」
はっきりはしなかったが、そんな言葉が耳に入ってきた。

棟と棟のあいだの通路から聞こえるくぐもった声だ。
誰かになにかを注意をしているような口調だった。
それが建物の壁を伝い、低く部屋に侵入してくる。
毎日、朝の七時くらいから二十分ほども続いた。

ためらった末だった。
なにか一言をと勇気をだし、静かにドアを開けた。
首をのばし、表の庭にぬける通路の左側をのぞいた。
ショートカットの六十くらいのおばさんだった。
小柄で細身で、花柄のパジャマを着ていた。

銀次郎から見て横向きに、こっちの14号棟の壁に向かい、なにかを話していた。
おばさんの前には誰もいない。
だが、その足元には三匹の猫がいた。
話し相手は猫だったのだ。
そしてその猫が、まるで親しい仲でもあるかのように、そろって首をのばし、じっとおばさんを見あげていた。

「あ、ねこかあ……」
『壁際(かべぎわ)の会話はやめてください、響いて聞こえてくるんです』とお願いするつもりだったが、そう声をあげていた。
三匹の猫は闖入者(ちんにゅうしゃ)の声におどろき、その場を離れようと身がまえた。
猫は知らない人間には敏感である。

が、おばさんは銀次郎のほうに青白い顔をむけ、うん、とうなずいた。
おばさんは『あ、ねこかあ』の一言に、銀次郎の心を読みとったのだ。
銀次郎は猫とともに育った記憶がある。
両親は数匹の猫を飼っていた。
だから銀次郎は、赤ん坊のときは子守用の藁(わら)の丸籠(まるかご)のなかで一緒に眠った。

おばさんは、餌を用意することもなく猫に話しかけていた。
猫たちは声もださず、おばさんの話を聞いていた。
信頼し、よくなついているときの光景だ。
おばさんにうなずき返し、銀次郎は顔をひっこめた。
それで銀次郎は、そのおばさんを『ネコババア』と勝手に呼ぶことにした。

ぼんやりしているだけの毎日だった。
それからは、朝の時間に聞かされるぼそぼそ声が、気にならなくなった。
ここ何日かの朝の静けさに、ネコババアもたまにはどこかに行くのだな、と一人安堵(あんど)していた。

だがその日、銀次郎は二人の刑事に朝寝を邪魔(じゃま)された。
訪れた七千代署(ななちよ)の中年の刑事は、八田(はった)と名乗った。
背後にもう一人、若い刑事をつれていた。
前髪を額にたらした軟弱そうな刑事だった。

玄関に立った八田刑事は顔をこわばらせ、いきなり詰問した。
「高田銀次郎さん、あなたはとなりの米田トメさんと親しかったんですよね。まちがいないですね?」
日焼けした中年刑事が、青白い顔の銀次郎をにらむ。
いきなりきつい言葉をあびせ、なにかの動揺を観察するかのがごとき態度だ。

銀次郎は食料の買い物以外、ほとんど外出しなかった。
髪はぼさぼさで、耳にかぶるまで伸びていた。
鼻毛も鼻の穴からのぞいている。
顔もまだ洗っていなかった。
「米田トメさん?」
銀次郎は上がり框に立ち、寝起きの眼をまたたかせた。
「すみません、その人って、誰ですか?」
「あれ? とぼけないでよ。おとなりの15号棟の109号室の人でしょう?」
刑事の八田は戸口から、ちらりとなりの棟のほうに顔をむけた。
「それでしたら、たまに口くらいは効きましたけど」

銀次郎は、ネコババアの本当の名前も知らなかった。
この人となら話しぐらいはしてもいいかなと、軽い気持だった。
一階に設置されたポストにも名前は表示されていなかった。
表札もでていなかった。だが銀次郎は、ネコババアに親しみを感じていた。

「とにかく、高田銀次郎さんと米田トメさんは、付き合いがあったんだよな」
刑事は、自問自答するかのように決めつけた。そして、スマホを取りだした。
「このパジャマに見覚えありますか?」
くしゃっとなったパジャマが写っていた。写真はズボンの部分だった。
「はい、朝、おばさんはそういう花柄のパジャマで猫と話をしていました」
「猫と話をしていた? 米田トメさんは猫と話ができたのか?」
「話せたみたいですよ」
銀次郎はまじめ顔だった。
作品名:猫の女王 作家名:いつか京