Grail
「時間がかかりましたが、色々と分かったことがあります」
島木が表情を険しく固めたとき、メガネは続けた。
「レイコさんを撃った弾は、頸椎と頭蓋骨の隙間から頬を貫通した後、キッチンの窓を割って外に飛び出しました。フルメタルジャケットの45口径です。田んぼの近くに落ちていました」
「その弾は、お前が見つけたのか?」
島木が言うと、メガネはうなずいた。
「線条痕を見てもらいましたが、身内の銃でした。つまり自然に考えれば、あの夫婦を撃った銃は、組織が用意して卸業者に渡したということになります」
メガネがノートパソコンの画面をさらに切り替えたとき、島木はテーブル下のM36に意識を集中させた。メガネは顔写真を表示して、言った。
「卸業者は、この三人です。これは、ハイエースの車番から追いかけました。丸久さんの部下は協力的でしたよ」
「その三人は、殺したのか?」
島木はM36のグリップに静かに指を回した。人差し指が引き金に触れたとき、メガネは言った。
「はい。ただ、そっちと話はついていたはずだと言ってました」
メガネの態度は冷静そのもので、島木はその成長ぶりに思わず口角を上げた。引退するための、厄介払い。それはマルキューとの接点を完全に切ることだ。弟の件を通報して卸業者に便宜を図るだけで、全てが終わるはずだった。島木は言った。
「お前は、探偵向きだな。懸賞金がかかってからおれのところに来るのは、いかにも殺し屋らしいが。結局、どっちでもない。で、誰なんだ?」
「依頼人ですか? 丸久智樹です」
メガネは呟くように、その名前を口に出した。『生き残ってしまった』のは、インプレッサのエンジン音が直前で卸業者を追い払ったからだった。
「息子か。特殊な業界なのに、よく依頼まで辿り着いたな」
そういうと、島木は小さく息をついた。全ての輪が見えるとは限らない。今こうやって、かつての生徒をテーブル下から撃とうとしている。まるで、隠れて過ごした十七年間が無駄に終わったようだ。
「依頼のやり方は、自分が伝えました」
メガネがそう言ったとき、島木は目を見開いた。
「顔を合わせたのか?」
「あの日、島木さんを空き地まで送った後、すぐに丸久さんの家に戻りましたから。二階に逃げていて無事でしたが、危なかったですね」
「なんて言ったんだ?」
島木が呼吸を整えながら言うと、メガネは口角を上げた。
「忘れられなかったら、自分に依頼しろと」
「元気にしてるのか?」
本心から島木が尋ねたとき、メガネはうなずいた。
「階級は巡査部長だと言ってました。二十五歳ですから、相当優秀かと」
「ちゃんと父親の背中を見てたってことか。それにしても、お前はもうおれの知ってるメガネじゃないな。ここまで成長するとは思わなかったよ。結局、名前はもらえたのか?」
「神崎と呼ばれてました」
「いい名前だ」
そう言うと、島木はテーブルの下でM36の引き金を引いた。鋏を閉じたような鈍い音が鳴っただけで弾が出ず、再度引き金を引こうとしたとき、リュックサックの中からブローニングバックマークを抜き出した神崎は言った。
「自分は、山越えをしてここまで来ました。着いたのは昨日の夜です」
「ダミーカートか」
神崎は、夜にグロック19とM36の弾を全て差し替えたときのことを思い出しながら、うなずいた。残念だが、さすがに家の中までイノシシが入って来ることはない。
22口径の銃口と対峙した島木は、言った。
「依頼人は、二十五歳の巡査部長か。おれの首には、いくらかかってるんだ」
神崎は肩をすくめた。
「ゼロ円です」
引き金を引き、島木の頭ががくんと後ろへ逸れたとき、神崎は椅子から立ち上がった。復讐を代行した、自分の手。あまりに簡単に引き金を引くから、医者から入れ知恵されたらしい工藤や古野には、何か隠れたトラウマがあるんじゃないかと冷やかされた。何もないなら、お前は精密機械だと。実際、そのときはまだ何もなかった。いかにも人間らしい傷を負ったのはそれから二週間も後のことで、二階のクローゼットに隠れている智樹を見つけたときだ。
『殺さないでください』
そう言った智樹の目には、自分は親を殺した人間と同じに見えていただろう。咄嗟に『おれは違う』と言いかけたとき、実際には何も違わないとすぐに思い直した。
人間のように振舞っているが、結局はただの手に過ぎない。
八歳の男の子から家族を奪うことを止められなかったのも、『先生』に一人前だと言われて、飛びつくように握手を交わしたのも、同じこの手だ。その情けなさと未熟さに対する後悔は、もう手の届かない場所で静かに燃え続けている。
皮肉なものだが、それが自分をここまで生き延びさせた。
だから、その炎を消さない限りは、この手も『一人前』でありつづけるのだろう。