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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Grail

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― 十七年前 ―

 心を大きく歪ませるような出来事。この男は本当に覚えていないのではなく、心理的に忘れているだけだ。そうでなければ、こんな簡単に人を殺せるはずがない。その見解を聞いた古野は、ショートホープの煙をぷかぷかと宙に浮かせた。
「どんな形であっても、忘れていることには変わりないんじゃないか?」
 会話の相手は、横領で職場を追われた産業医の松井。人間の心を覗き見るのが仕事で、何もない空き地に名前と理由をつけることにかけては、右に出る者はいない。古野は手を振り、一緒に自分が吐き出した煙を重苦しい空気ごと追い払うと、意見を求めるように真横に座る工藤の顔を見た。
「どう思う?」
「おれに聞くなよ。それは先生の仕事だろ」
 工藤は肩をすくめながら言うと、冷めたコーヒーをひと口飲んだ。松井は工藤がカップを置くのを待ってから、持論を再び頭の外へ出し始めた。
「結論から言うと、適性はある。ただ、得体が知れないことだけは、頭に留めておいた方がいい」
 工藤が顔をしかめながら器用に笑った。古野は同じように笑いながら、ショートホープをガラスの灰皿に揉み消した。
「その、先生が言うトラウマ? みたいなやつは、仕事の邪魔になるのか?」
「それは分からない。何かがトリガーになって思い出す可能性はある。そのとき、どこへ銃口を向けるかは、この男次第だ。あんたらかもしれないし、自分の頭かもしれない」
 古野は顔をしかめた。仕事柄、銃口はそのどちらに向いても困る。少なくとも、前金分の仕事はしなければならない。松井は、最後に発言したのが自分のままになっていることが耐えられないように、話題を切り替えた。
「名前はつけたのか?」
「まだだ。もうかけてないけど、メガネって呼んでる。それでいいかもな」
 古野が言うと、今度は松井が笑った。工藤が愛想笑いを浮かべたとき、古野は弁解するように言った。 
「とにかく、仕事のやり方はひと通り教えた。後は知らないからな」
「物覚えは早かったか?」
 松井が訊くと、古野は何度もうなずいた。
「奴は、一回聞いたことは忘れない。体力もあるし、機転も利く。殺しに関しては」
 コーヒーを飲み干した工藤は、空になったカップを受け皿の上に置いて古野の方を向いた。
「じゃあ、何を教えた?」
「人の殺し方以外は、ほとんど全部。あいつは無頓着すぎるんだ。ゲームみたいに勝手に死体が消えると思ってる。引き金を引くことしか考えてない」
 誰も声に出すことはなかったが、場が静かな苦笑いで満たされた。この場に居合わせる三人は揃って四十一歳、メガネは二十七歳でひと回り以上若い。工藤と古野は、そのような道を通って生き延びてきたわけではなかった。二人はメガネよりも若いころからこの業界に身を置いてきたが、運転手や見張りを経て実際に一人前になったのは、色んな人間の背中を見て立ち回りを覚えてからだった。人を殺すところから始めたメガネは、そのキャリアを逆に辿っている。
 松井が大きな銀縁眼鏡をずり上げたとき、それが相談時間の終了を示していることを読み取った工藤は立ち上がった。古野が後を続き、骨董品のエアコンが轟音を鳴らす雑居ビルのエレベーターホールで、二人は会話を再開した。
「もう、手を離すのか?」
 工藤が言うと、古野は新しいショートホープをくわえて、火を点けながら器用に笑った。
「とりあえずはな。蜂の巣になった死体をドアに挟んだまま、終わりましたとは言わないはずだ。後は、適当に誰かと組ませりゃいい。それこそ、島木大師匠なんかどうだ?」
 古野の口から飛び出した名前に、工藤ははっきりと苦笑いを浮かべた。島木はこの業界の最年長組で、ちょうど五十歳。信じられない数字のようで、その背中がすでに見え始めていることにぞっとするが、自分があと九年を生き延びたとしても、島木のようになるとは思えない。それは、自分が二十七歳のころにメガネほど効率よく人を殺せなかったのと同じだ。
「メガネは退屈するんじゃないか?」
 工藤が言うと、古野は煙草の煙をトラックのように勢い良く吐き出しながら笑った。
「それが目的だよ。島木さんは殺さない殺し屋だからな」
 古野は、濁った水が張られた背の高い灰皿に煙草の先端を叩きつけて、灰を落とした。島木は、自分に仕事を教えた師匠でもある。組織に属している以上はこの稼業も『サラリーマン』と同じだというのが、島木の口癖だ。銃の撃ち方も、車の運転方法も、何ひとつ教えてはくれなかった。ただ、その広い交遊関係の中には弁護士や不動産ブローカー、商社マンに会計士まで、ありとあらゆる職業の人間が含まれていた。その膨大なコネの中でも特別なのは、通称マルキュー。警察官の内通者だ。何人もいて、全員がその呼び名で呼ばれる。由来は初代の丸久巡査部長で、そのまま読めばマルヒサとなるところを言い換えたのが定着した。
 工藤は少しだけ緩んだネクタイを締めなおすと、小さくため息をついた。
「メガネが、マルキューと上手くやれると思うか? 人付き合いができるようには思えない」
「それを、島木さんの背中から学ぶんだよ。あいつにはブレーキが要る」
 古野はそう言うと、エレベーターのボタンを押して煙草を灰皿に揉み消した。四十歳の丸久は今や警部。同い年の妻に八歳の息子がいて、絵に描いたような三人家族だ。しかし、若いころは色々と問題を抱えていた。今でも尾を引いているのは、麻薬中毒の弟と、それをネタに強請りをかけてくる卸業者。この手の業者はいつも警察の協力者を作ろうとしていて、その気持ちはよく分かる。しかし、島木がその間へ割り込むとは思ってもいなかった。引き金を引く『指』に徹する仕事とは、根本的に異なる。弱り切っていた丸久に『保護』を申し入れただけだ。その代わり、丸久のところへ訪れた卸業者の面々は、時折忽然と姿を消すことになった。その実行役は島木ではなく垂水で、熊のように巨大な体躯で相手を力任せに地面へ叩きつけ、頭をブーツで踏みつぶして殺す。その間、丸久の不肖の弟は好き勝手に麻薬をやって、警察さえ避けていれば安泰の身だ。
 島木は、人を動かすプロだ。自分が動かないプロと言ってもいい。しかし、初代マルキューのお陰で、標的を県内に引き込めさえすれば、ほとんど法律を無視して仕事を完了させることができるのも事実。
「どうなるだろうな」
 古野が言うと、工藤はエレベーターのカゴへ乗り込みながら笑った。
「それは、こっちのセリフだよ」
     
     
― 現在 ― 
 
『私有地』と書かれた門からさらに数キロ歩いて、登山客がつけたようなピンク色の布切れを目印に、山の中をひたすら登る。ほとんど苦行のような行程の先にぽつんと建つ、ロッジのような造りの小屋。それが島木の『隠れ家』で、組織を辞めてから今までの間、ずっとここで過ごしてきた。
「久しぶりだな」
 島木は、うっすらと汗を浮かべているメガネに言った。この場所を教えていた、唯一の人間。組織から脱出するのを手伝ってくれたからだ。その間の良さは、今でも思い返すたびに神がかっていたと実感する。島木は言った。
「辞めたのか?」
「組織は抜けました」
作品名:Grail 作家名:オオサカタロウ