Sandpit
寧々が振り返って笑顔を向け、健と京美が声を揃えて『いらっしゃい』と言った。一見さんは、喫茶店が朝から中学生のたまり場になっていることに驚いている。その視線を跳ね返すように、修哉は優奈と礼美が座るテーブル席に腰を下ろした。礼美は小さく咳ばらいをすると、修哉に言った。
「初来店やね。ようこそ、喫茶シャレードへ。先ほど、中林君とも話していたんですが。交際一週間ですな」
「はい、今後ともよろしくお願いします」
修哉は深々と頭を下げると、顔を上げてひと息ついてから、仕切り直すように言った。
「あの一件以来、兄貴が学校でモテだしたらしい。中林さんによろしく言うといて、とのことです」
「後藤兄弟、春来すぎ」
礼美が言い、優奈が笑った。
「レミたん。今、普通に春」
本当に、今は春だ。これから自分を取り囲むこと全てに、新しい色が乗っていく。優奈は店内を見回して、言った。
「今度は、外の世界が怖くなるな。そんなことない? 二人ともさ」
三国の顔は、一家惨殺事件で最後に命を落とした被害者として、全国ニュースに載った。二歳の子供すら殺した柿虫陣の生い立ちは、色々な角度からワイドショーに食いつくされている。そんな人間と真正面から顔を合わせて死なずにすんだのは、ほとんど奇跡だ。
礼美が優奈と同じように店内を見回したとき、修哉はスピーカーに目を向けながら言った。
「外が怖い分、ここは居心地がほんまに最高やと思う。ドアーズのロードハウスブルース流れてるし」
「めっちゃ早口で、なんか言うたな。最後の何?」
優奈が食いつくと、コーヒーを三杯持ってきた京美が言った。
「名曲やで。後藤くん、渋い音楽の趣味してるんやね」
修哉は寧々に視線を向けて、一礼した。社長の座に収まった寧々が最初に喫茶シャレードへ持ってきたのは、二年分のコーヒー代。そこには、修哉の分も含まれていた。
角砂糖を放り込みながら、礼美が言った。
「もう一回言って」
「ドアーズの、ロードハウスブルース。一九七〇年の曲」
「出た。古い後藤、出た! ほんまに、古い話好きやんな」
優奈はそう言って笑い、角砂糖を放り込む直前で手を止めた。礼美が眉をひょいと上げると、言った。
「お、その道のプロ。ブラックに挑戦するん?」
しばらく考え込んでいた優奈は、首を横に振ると角砂糖を投げ込んだ。背伸びをする必要はないし、何かを背負う必要もない。今の自分はもうサイコロを振り終えて、すごろくのゴールの先にいる。
だから、神様だってもう関係がない。
大切なものは、全部ここにあるから。