蜀への長い道のり
霧に閉ざされた蜀への長~い道のり 中国旅行記(第3報)
1 蜀の都、成都までの長~い一日
(1) 中国人の団結力を思い知る
上海虹橋空港国内線出発ロビーは何だかごった返している。午前8時40分発成都行きの便に乗るため早めにホテルを出たので7時半に空港に到着した。搭乗券をもらう時、搭乗ゲートが3番から2番に変更された旨を知らされたが別に深く考えない。チェックインしてゲート2番の待合室で座席に着く。モニターに掲示される各便の出発時刻はすべて遅延を示している。「遅延か」よくあることではないかと思ったが、しばらくしてどうも様子がおかしいことに気づき始めた。
7:30発の北京行きがまだ出発していない。もう1時間の遅れである。場内アナウンスは中国語、英語、日本語が交互に流れている。しかし、出発遅延の理由は中国語だけなので聞いてもよく分からない。これは国内線放送のためによるのか、英語と日本語は搭乗手続きのアナウンスしかない。
どうやら一昨日以来の悪天候のため離発着ができず天気回復を待って出発するということらしい。前天(きのうならば中国語では昨天である)と言っているから一昨日に違いない。すると二日間もこんな状態が続いているのか、名古屋空港を出るとき雨が降っていたが、上海に着いた時は雨が上がっていた。が、中国の広い範囲が悪天候の状況らしい。
きのうホテルで成都に着いたらまずどこへ行くか検討した。成都空港着が11:30だからホテルに直行せず武侯祠に寄ろうと考えた。しかしこの分では2時間遅れることを前提に計画を練り直すしかない。先にホテルにチェックインして荷物を置き、そして武侯祠から市内見物としようか。しかし、今はもう昼近いではないか。いつのまにか成都行き便の掲示がモニターの先頭にきているが、出発時刻のところは空欄のままである。
後発の他都市行きの便はすでに出発し、あるいは出発時刻が示されている。空港に着いて4時間経過し、そろそろ焦りだした。今日中に成都に行けるのだろうか。待合室には餐庁(食堂)があり、そこの壁に掲示された赤い横断幕には次のような言葉があり目を引いた。
1997年7月1日 中国政府 対香港回復行使主権
洗雪百年国恥 慶祝香港回帰 共創美好未来 喜迎香港回帰
そういえば1997年の中国10大ニュースを後日TVで見たが、その一番目に香港返還を挙げていた。翻って沖縄返還時のことを思い出したが、洗雪十余年国恥とは誰も言わなかったはずだ。戦後われわれはずっと民主化の中でゆるふんをずり落とさないようにして暮らしてきたことを思いしらされる。
成都行きの乗客に弁当の支給があった。弁当を食べ終わりさらに2時間経過、最悪のケースを想像し始める。今日は中国旅行最初の日程である。今日中に成都に着かなければそれからの予定がすべて狂う。「まずい!」中国の事情がよく分からないだけに非常にまずい。時刻が14:30になる頃、2番搭乗カウンターを成都行きの乗客が取り囲んで騒然となりだした。乗客と上海航空地上乗務員とのやり取りが激しくなる。その引き金になったのがFM661便13:10発沈阳(瀋陽)行き(同じ上海航空の便であるが沈阳は北で成都は西で方向は異なる)の出発時刻が14:48と掲示され搭乗が始まったのだ。それに南京空港からは成都行きが出ているらしい。(南京や上海から成都までは飛行条件はほとんど同じである)
なぜ上海空港から成都行きが出ず、午後の便である同じ公司の沈阳行きが先発するのか、やり取りはよく分からないが、「沈阳に飛行機を出せるくらいなら成都に回せ」と、だいたいそんなところが争点だ。15時になっても断続的に乗客と地上乗務員との応酬が続く。この間、乗務員は携帯で上海航空本部と連絡したり、空港本部へ行き来している。乗客に事情を説明するとまた声高に応酬が繰り返される。私も仲間に入りたいが言葉が分からないので遠巻きに傍観する。カウンターを取り囲む人の輪はますます大きくなる。思わず乗客たちに向かって頑張れと声援する。
15:15頃、飛行機を出し渋っていた上海航空側がついに折れた。昆明行きの便(雲南省の首都)を出発させるという。どうなっているのかよく分からない、たぶん成都経由で昆明に向かわせる、いわば寄り道飛行を意図しているらしい。みんなの後について乗り込む。上海空港にこれ以上いても仕方がない。
15:30離陸する。実におもしろい経験をさせてもらったが、成都見学はあきらめるしかない。それにしても中国人はねばり強い、団結力がすごい。成都空港18:50着、やっとの思いで空港に降り立つ、いやはやすごい霧である。この濃霧の中をよく着陸できたものだ。そうでなければ遠隔地の昆明まで連れていかれるところだった。ほっとしたが、すっかり予定は狂ってしまった。
1 蜀の都、成都までの長~い一日
(1) 中国人の団結力を思い知る
上海虹橋空港国内線出発ロビーは何だかごった返している。午前8時40分発成都行きの便に乗るため早めにホテルを出たので7時半に空港に到着した。搭乗券をもらう時、搭乗ゲートが3番から2番に変更された旨を知らされたが別に深く考えない。チェックインしてゲート2番の待合室で座席に着く。モニターに掲示される各便の出発時刻はすべて遅延を示している。「遅延か」よくあることではないかと思ったが、しばらくしてどうも様子がおかしいことに気づき始めた。
7:30発の北京行きがまだ出発していない。もう1時間の遅れである。場内アナウンスは中国語、英語、日本語が交互に流れている。しかし、出発遅延の理由は中国語だけなので聞いてもよく分からない。これは国内線放送のためによるのか、英語と日本語は搭乗手続きのアナウンスしかない。
どうやら一昨日以来の悪天候のため離発着ができず天気回復を待って出発するということらしい。前天(きのうならば中国語では昨天である)と言っているから一昨日に違いない。すると二日間もこんな状態が続いているのか、名古屋空港を出るとき雨が降っていたが、上海に着いた時は雨が上がっていた。が、中国の広い範囲が悪天候の状況らしい。
きのうホテルで成都に着いたらまずどこへ行くか検討した。成都空港着が11:30だからホテルに直行せず武侯祠に寄ろうと考えた。しかしこの分では2時間遅れることを前提に計画を練り直すしかない。先にホテルにチェックインして荷物を置き、そして武侯祠から市内見物としようか。しかし、今はもう昼近いではないか。いつのまにか成都行き便の掲示がモニターの先頭にきているが、出発時刻のところは空欄のままである。
後発の他都市行きの便はすでに出発し、あるいは出発時刻が示されている。空港に着いて4時間経過し、そろそろ焦りだした。今日中に成都に行けるのだろうか。待合室には餐庁(食堂)があり、そこの壁に掲示された赤い横断幕には次のような言葉があり目を引いた。
1997年7月1日 中国政府 対香港回復行使主権
洗雪百年国恥 慶祝香港回帰 共創美好未来 喜迎香港回帰
そういえば1997年の中国10大ニュースを後日TVで見たが、その一番目に香港返還を挙げていた。翻って沖縄返還時のことを思い出したが、洗雪十余年国恥とは誰も言わなかったはずだ。戦後われわれはずっと民主化の中でゆるふんをずり落とさないようにして暮らしてきたことを思いしらされる。
成都行きの乗客に弁当の支給があった。弁当を食べ終わりさらに2時間経過、最悪のケースを想像し始める。今日は中国旅行最初の日程である。今日中に成都に着かなければそれからの予定がすべて狂う。「まずい!」中国の事情がよく分からないだけに非常にまずい。時刻が14:30になる頃、2番搭乗カウンターを成都行きの乗客が取り囲んで騒然となりだした。乗客と上海航空地上乗務員とのやり取りが激しくなる。その引き金になったのがFM661便13:10発沈阳(瀋陽)行き(同じ上海航空の便であるが沈阳は北で成都は西で方向は異なる)の出発時刻が14:48と掲示され搭乗が始まったのだ。それに南京空港からは成都行きが出ているらしい。(南京や上海から成都までは飛行条件はほとんど同じである)
なぜ上海空港から成都行きが出ず、午後の便である同じ公司の沈阳行きが先発するのか、やり取りはよく分からないが、「沈阳に飛行機を出せるくらいなら成都に回せ」と、だいたいそんなところが争点だ。15時になっても断続的に乗客と地上乗務員との応酬が続く。この間、乗務員は携帯で上海航空本部と連絡したり、空港本部へ行き来している。乗客に事情を説明するとまた声高に応酬が繰り返される。私も仲間に入りたいが言葉が分からないので遠巻きに傍観する。カウンターを取り囲む人の輪はますます大きくなる。思わず乗客たちに向かって頑張れと声援する。
15:15頃、飛行機を出し渋っていた上海航空側がついに折れた。昆明行きの便(雲南省の首都)を出発させるという。どうなっているのかよく分からない、たぶん成都経由で昆明に向かわせる、いわば寄り道飛行を意図しているらしい。みんなの後について乗り込む。上海空港にこれ以上いても仕方がない。
15:30離陸する。実におもしろい経験をさせてもらったが、成都見学はあきらめるしかない。それにしても中国人はねばり強い、団結力がすごい。成都空港18:50着、やっとの思いで空港に降り立つ、いやはやすごい霧である。この濃霧の中をよく着陸できたものだ。そうでなければ遠隔地の昆明まで連れていかれるところだった。ほっとしたが、すっかり予定は狂ってしまった。
作品名:蜀への長い道のり 作家名:田 ゆう(松本久司)