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田 ゆう(松本久司)
田 ゆう(松本久司)
novelistID. 51015
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逆説「新村八分理論」

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他方、過疎化についてはこれを引き起こした原因は高度経済成長にあったが多くの若者がリタイアして年金生活に入ったいま、もう一度親元の実家へ戻ることができればこれに越したことはない。しかし、一度都会に住み慣れた者が持家を子供に譲ってまで親の面倒を見るために実家に戻るケースは極めて稀であるし、親元に戻ることを他人が勧告すべきことでもない。実に親と子の関係というメンタルな問題が横たわっている。
昨今は介護は福祉施設に委ねるという個人主義の考え方が優先される傾向にあるなかで、親の介護のため実家に戻るという話は「二十四孝」に数え上げられるほどの孝行話になりかねないようなそんな寒い時代へ向かいつつあるのが現状である。その流れを断ち切り逆流させる動きも当然出てくることになるが、一説では病院から自宅で死期を迎える人が30%程度になる時代が来ると予見している。そうなれば看護や介護はどうするのか、すべて人任せというわけにはいかないだろう。そのような流れの中でオランダのように尊厳死が法的に認められる日もそんなに遠くないと思われる。

8) 再び山口で起こった殺人放火事件を取り上げたい。このケースは村落共同体のあり方を考える場合に貴重な示唆を与えてくれることについてはすでに述べた。大都会の川崎市で生活をしていた彼は親の面倒を見るために実家に戻ってきたと報道されている。川崎市を転居するまでの仔細な事情は別にして前節で書いた事柄から判断すると親元へ戻ってきたことは「二十四孝」の孝行話に相当する。そこで次のような疑問点が浮かんでくる。
彼が実家に戻って親の面倒を見ることに対して集落は歓迎する意思を示さなかったのであろうか。もしそうだとしたら彼のしたことは全く個人的なことであり集落としては評価するに値しないと彼が感じた時どういう気持ちが彼を襲ったのか想像するに難くない。それが「火つけして煙よろこぶ田舎者」と張り紙をするほど集落に敵対する感情となって表れたのではないか。
集落が彼を歓迎する強い意思を示さなかったのは結果としてまずかったと言わざるをえないが、仕方のないことでもあった。もともと集落には救済という目的は限られた範囲にしか適用されない。今なお根強く残っているいわゆる村二分の慣例がそれに該当する。従ってこの救済の範囲を日常的な救済まで拡張する考え方が必要となってくる。
これが新・村八分理論であり救済の論理である。集落の構成員を救済することが集落の機能維持のために必要となれば親元に戻ってくる者は貴重な存在であり歓迎に値すると構えておけば事件は起こらなかったかもしれない。集落運営の根幹は構成員の救済にありそこに軸足を置くことで集落を再生する以外に道がないように思う。

9) 旧「村八分」は制裁の論理であり新「村八分」は救済の論理である。そして救済の論理によらなければ集落の再生は果たせないと考える。その根拠に挙げたのは一つには欧米のようなキリスト教の隣人愛にもとづく広汎で継続的なボランティア精神を期待することが困難である。二つにはグラウンドワークトラストやCDC'SのようにNPOが核となり近隣パートナーシップによる地域再生も無理である。なぜならそれらが成功するためにはそれを支えるボランティアの存在が不可避でありわが国のように災害時に発揮される救済のためのボランティアでは機能しないからである。
新・村八分と名前を変えずに使っているのは、かつて村八分が制裁という懲罰制度の下ではあるが村落共同体の存続に大きく寄与し、村や自然のルールを守りながら互助・互酬の絆が長く保たれてきたことに拠っている。今後この救済の道は個人と集落との間の契約という行為によって行使されるので集落の自治を司る自治会則に盛られることになり会則や規約の変更・作成が必要となってくる。
わが集落ではすでに集落法人化申請時に会則が作成されているので必要箇所を変更することで足りるが、そのほかに救済のための契約約款などの新規策定が必要となる。会則の変更は会則変更条項により3分の2以上の賛成を要するが十分な議論の上で合意形成ができる範囲内で収め、そこから始めたとしても試行錯誤が伴うことを心得て置かなければならないだろう。
救済を目的に掲げる自治会則は皆無に近いと思われるが集落の機能を存続させ良好な環境を保全するためにはこの道以外にない。共同体再生は時代の逆行ではないし過去へのトレンドでもない。これからの地域社会のあり方を考えるとき救済を理念とした組織体の再編が最も重要かつ必須だと確信しているからである。