Rattler
吉井は対面の席に向かって話すように、静かに言った。電車は三駅で吉井の最寄り駅に着く。話せるのは十分程度だし、興味本位でそれ以上捕まえたいとも思わない。ただ、自分にとっての個人的な安全地帯が消えるかもしれない、それだけの話だ。高島は言った。
「あそこの親父さんは、変人で有名でした」
吉井は、つい昨日のことを思い出したように強くうなずいた。
「あの家の前の蓋だけ、どれだけ入れ替えてもたてつけが悪いんですけど。理由知ってますか? クレームを入れるためらしいです」
「わざわざ?」
「そういう人だったんですよ、あそこの親父さんは。実際、あの日だって……」
吉井がそこまで言って言葉を切り、レールの継ぎ目を踏む音だけが車内に響いた。高島は敢えて先を促さなかったが、吉井は今でも自分の身に起きたことが信じられないように、首をかしげながら言った。
「周りにはずっと、静電気だって言ってたんですけど。大人になって考えると、そんな軽いものじゃなかったと思うんです。思い切りバチってきたんで」
「感電みたいな?」
高島が補足すると、吉井は小さくうなずいた。
「なんとも言えないです。ただ、それでびっくりしてよろけたのは本当です。中西の親父さんだとしても、驚きませんけどね。電気に関することなら何でもできる人なんで」
吉井の言葉が過去形でないことに少しだけ寒気を感じた高島は、それを振り払うように体を捩ると、言った。
「存命なんですかね」
「いや、確か三年前に死んだと思います」
最寄り駅に着いて、少しずつ速度を下げる電車に合わせて体を傾けながら、吉井は言った。
「あの日は、ホームが学生でごった返してました。その中で、どうしても忘れられない声があるんです。それが自分にかけられたものだったのかすら、今では分からないんですけど」
完全に止まった電車の中で、席から立ち上がった吉井は続けた。
「結構、年配の声で。こいつか? って」
ひとりになってからも、高島は考え続けた。イベント時は学生でごった返す、危険な最寄り駅。近づいてくるにつれて、頭の中で連想していた通りの人だかりができていることに気づき、高島は思い出した。今日は共通試験の日だ。ドアが開き、大勢の学生と入れ違いにホームに降りると、まさに吉井が経験した通りの世界が広がっていた。足の踏み場がない。人の波にできるだけ乗って階段を目指し始めたとき、すれ違った学生の手から静電気が伝わり、高島は肩をすくめて小さく頭を下げた。同時に、小学生だった吉井が自分自身に言い聞かせてきたことを完全に否定した。静電気でいくら驚いたとしても、よろけてホームに落ちるわけがない。もっと強い電気だ。電光掲示板が快速通過に切り替わり、学生が何人か大げさにため息をついた。高島はその様子を眺めながら、思った。ショウヤを問い詰めたくても、もう聞けない。三年前に死んだのだから。ただ、何もできないのが、どこか安心ではある。そこまで考えたとき、高島は無意識に首を傾げた。しかし、道田運送には今もクレームが入り続けている。確かに、ショウヤは変人だった。しかし、『気難しいけど電気のことを色々教えてくれる人』でもあった。リョウタの言葉を思い出した高島は、勢いでその続きも思い出した。確か、こう言っていたのだ。
『師匠みたいなもんだよ』と。
そして、吉井が記憶に残していた言葉。あれは、誰宛てなんだろう。高島はその言葉を思い出した。仮に、それを言ったのがショウヤだとして。
『こいつか?』というのは、誰に言ったんだ?
その答えが出たとき、高島は強い力で体を押されてホームに頭から落ちた。
血まみれの顔を上げたときには、猛スピードで迫る快速電車がすでに迫っていた。
中西美津子が町の人間を繋ぎとめる接着剤で、実際に修理の腕を振るうのは息子の良太。トラブルメーカーだった中西翔也が死んでからは、中西電器の役割分担は単純だった。奥でコンデンサを基盤にハンダ付けしている良太は、二十年前に製造廃止になったテレビを修理しようとしている。
「助かるわあ」
常連の城島は、扉の隙間から微かに見える良太の背中に目を向けて、手術を見守るように顔をしかめた。
「買い替えたらって、言われるんだけどねえ」
「使えるものは、使いましょ」
美津子が言ったとき、城島はずっと言おうと決めていたことを突然思い出したように、息を大きく吸い込んだ。
「ホームに転落防止の対策ができないかって、市に言っといたわ。こないだ、亡くなったでしょ」
共通試験の日、人並みに押されてホームに落ちた男性が死んだ。城島が相槌を待っていると、美津子は良太の方を振り向いてから、前に向き直った。
「良太は、あの現場にいたの。助けようとしたけど、到底間に合わなかったって」
城島は表情だけで『まあ』と言うと、その続きを言葉に出した。
「大人を引き上げるのは大変よ。自分が落ちたら危ないじゃないの」
とりあえず、今回は電気を使うなと釘を刺した。美津子はうなずくと、呆れたような笑顔をお面のように顔へ貼り付けた。
「でもね。こうって決めたら、先に体が動いちゃう子なのよ」