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オオサカタロウ
オオサカタロウ
novelistID. 20912
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Rattler

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 学生時代を最後に、最寄り駅ではなくなるはずだった。高島は、へこみだらけになった扉が開くのを眺めながら、三年前の決心をぼんやりと思い出していた。大学卒業と同時に、新社会人とひとり暮らしを両方スタートさせた高島にとって糸が切れた瞬間は、日常が電車のドアのような『繰り返しの作業』に落ち着いたときだった。人によっては、ようやくサイクルができたとひと息つくチェックポイントのようなものだが、自分にとっては違った。高島はほとんど人がいない昼下がりの電車から降りると、背後でギリギリと音を立てながら閉まるドアを振り返った。ほとんど無人になった電車は、軋みながら次の駅へと向かっていった。
 音の洪水からひとり取り残された後でも、地元に帰ってきたという感じは、特にしない。ただ、すごろくの最初のマスに戻ったような印象だ。転職先と引越し先はすでに見つけているし、やるべきことは果たしている。ただ、古い友人の道田は、二年で転職は早いかもしれないと心配してくれていた。今日これから飲みに行く予定だが、おそらくその話で持ち切りになるだろう。本音を言うと、説教めいた言葉はあまり聞きたくない。なぜなら道田は、ここで父親が経営する運送屋で働いているからだ。ほとんどハンモックのようなセーフティネットがあるのは、羨ましい限り。
 幼少期にはたくさんあった安全地帯。今残っているものがあるとすれば、中西電器ぐらいだった。店番はミツコという女の人で愛想が良く、ラジコンが趣味だった小学校時代の高島からすると、長居しても怒らない神様のような人だった。そして、中西電器のひとり息子であるリョウタはよく店の手伝いをしていて、十歳も年上だが小学校のころから可愛がってもらっていた。リョウタは機械いじりが得意で、壊れたものを分解して元通りにする才能に長けていた。部品がなくなっていても、その辺の資材をうまく切ったり繋げたりして、新しく即席の部品を作ってしまう。即席の応急処置で買い替えまでの間も動くように修理してくれるということで、中西電器自体は地元で頼りにされていた。子供のころは気づかなかったが、それはあくまで電気屋としての評判で、中西家自体は組合の中で立場が悪かったらしい。
 原因は、大黒柱で名義上は店主のショウヤ。リョウタの父親とは到底思えないぐらいの変わり者で、中西電器自体は妻に任せたまま、日本全国を渡り歩いて電気工事の仕事をしていた。一度だけ店で見たことがあるが、不機嫌な客と見間違えたぐらいに愛想がなく、掴みどころがなかった。しかし目印は分かりやすくて、塗装の褪せた青いミラージュが横の駐車場に停まっていたら、確実に帰ってきている。
 一度姿を見てからは会う度にショウヤの話が出るようになり、リョウタはよく『気難しいけど電気のことを色々教えてくれるからなー』と言っていた。その続きの言葉を思い出そうとしたとき、カメラを抱えた数人が歩いてくるのが見えて、高島はホームの真ん中へ体を避けた。
 この駅のホームは相変わらず狭く、近所にある大学でイベントがあったり試験の時期が近づいてくると、危険なぐらいに混み合う。そんな光景と一緒に思い出すのは、七福神のようなミツコの笑顔と、少し呆れたようなのんびりした言葉遣い。
『こうって決めたら、先に体が動いちゃう子なのよ』
 リョウタがホームに落ちた小学生を片手で引っ張り上げて救出したのは、十年前。高島は高校に上がったばかりで、近所の噂話でそのことを聞いた。その話をしようと買い物に行ったがリョウタはおらず、ミツコから顛末を聞いた。
『高島くんも、混んでるときは気をつけて』
 高校にも何人かその様子を目撃した同級生がいて、みんな足がすくんで動けなかったところを、人だかりを割りながらホームから手を伸ばしたのが、リョウタだったらしい。 この一件がきっかけになって、中西電器は組合の中で少し立場を上げた。電化製品のことでしか頼りにされなかった個人商店にも、人の血が通っているということを皆が知ったのだ。ショウヤだけはただの厄介なおじさんで居続けたが、店にまつわる全てが生まれ変わったように、リョウタはショウヤの話をしなくなった。
 高島は早足で改札から出ると、道田からのメッセージを開いた。
『いつもの店は予約でいっぱいだった。第二候補の地図送るわ』
 道田にとっての『いつもの店』がどこなのか、高島は知らなかった。学校にいない時間帯のことまで、全てをお互いが把握できていたのは小学校高学年ぐらいまでで、中学校では全く別のグループに属し、高校で完全にその姿を見なくなった。成人式で再会したのがきっかけになって、そこから付き合いが復活している。小学校のころは中西電器へラジコンを一緒に見に行ったが、今思い返せばさほど興味がなかったのだろう。
『妹が風邪ひいてるから、世話しないと』
 ラジコンを見に行こうと誘ったのは、このときが最後だった。おそらく道田の妹は本当に風邪を引いていて、早く帰らなければならなかったのだろう。ただそのときの救われたような口調を見て、これ以上誘うべきではないと自覚したのをよく覚えている。
 高島は道田から届いたメッセージに添付された位置情報を地図に登録してから、時間がどの程度余るか計算した。中西電器を経由して向かっても、充分時間がある。最後に立ち寄ったのは、就職が決まったときだから四年前。リョウタに『お世話になりました』と挨拶をした。なんとなくその方向へ歩き出しただけだったが、道は記憶に刻まれていて、どこで曲がればいいか考えるまでもなく、いつもの一方通行の道路へと出た。家電メーカーの看板が道路に張り出していて、実際の道路幅より少し狭く感じる。トラックが走ってくるのが見えて、高島は無意識に身構えた。この道は細い割りに国道まで一本道で繋がっていて、抜け道として人気があった。だから子供のころは、猛スピードで通り抜ける車に気をつけなさいと、店から出る度にミツコに言われていた。トラックが予想に反して手前の交差点で曲がっていくのを見届けてから、高島は改めて店の前に立って全景を見渡した。看板も屋号もそのままだ。店の反対側にある排水溝の蓋ですら、たてつけが悪くてガタガタ音が鳴るものがそのまま置かれている。
 営業時間は昔は十九時までだったが、それが上からテープで張り直されて、十八時に短縮されていた。それでも、個人商店にしては開いている方だと思うし、『緊急時のご用命は』と但し書きがされた下には、携帯電話の番号すら書いてある。駐車場に青色のミラージュが停まっていないことを無意識に確認してから、高島はアルミ製の引き戸を開けた。店の設備は古いが、埃は全く積もっていないし、展示品は最新のものだ。
「いらっしゃい。お、高島くん?」
 少し掠れているが、リョウタの声だった。高島がレジの方へ顔を向けると、スマートフォンをレジの横に置いたリョウタが手を振った。
「やっぱりそうだよな、間違えてたらどうしようと思った」
 高島は社会人の習慣で頭を下げてから、どうやってレジまで歩いていくのが普通だったか思い出しながら、足を踏み出した。
「リョウタさん、お久しぶりです。仕事が変わって地元に戻ってきました」
作品名:Rattler 作家名:オオサカタロウ