合わせ鏡のようなマトリョシカ
「タイムトラベル」
という発想は結構ベタになってきている。
というのも、
「若い人たちは歴史に対して、どうにも苦手意識しかないだろうから、なかなか普通の時代小説では食いついてこない。何と言っても、時代小説が、フィクションであっても、そのまわりは、史実に基づいていることが多いからだ。史実の中に、フィクションを混ぜることで話を面白くしようとしているのに、何が史実なのかということすら分からない連中に時代小説の面白みが分かるわけがない」
本来なら、そんな連中は、放っておけばいいのに、そんな連中まで取り込もうとして、「SF、しかも現代からのタイムスリップなどという手法を使わないと読まれることはない」
と考えることで、本来の時代小説が好きな人が離れていく可能性があることに、気付かないのかも知れない。
これだって、一種の裏表ではないか?
そう考えると、
「時代小説で、最後に辻褄を合わせるという、タイムパラドックスと、パラレルワールドのような関係は、本当にいいのだろうか?」
と思えてきたのだ。
「結局は、歴史という者を理解していないと、時代小説も書くことはできない」
ということなのだろう?
「本能寺キリシタン関与説」
さらには、信玄タイムスリップ説」
というような小説も、どこか裏の部分を書こうとして、
「実は表だった」
というオチではないだろうか?
とにかく、時代小説を書くにしても、歴史をしっかり認識していないとできないということを思い知らされた。
これこそ、合わせ鏡のような、マトリョシカなのかも知れない。
( 完 )
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作品名:合わせ鏡のようなマトリョシカ 作家名:森本晃次