マルチリベンジ
その時、ヘッドコーチを自分から、
「この人をお願いしたい」
として推挙したのが、アーノルドだった。
彼は、引退後、そのチームで打撃コーチをしていたが、
「日本での成功を手土産に」
ということで、東鉄側も了承した。
その後二人は二人三脚で、東鉄を支え、優勝することもあったが、低迷の時もあった。それでも、5年間という契約期間を満了し、二人は、野球界から遠ざかることになった。
戸次は、元々夢であった、世界旅行を、妻の麻衣子とすることにした。
「主要な土地を見て回る」
それが主な目的だったが、その時彼が、野球界への復帰を考えていたかいなかったかということは、不明である。
しかし、何度となく復活してきた戸次に、
「少しでも可能性があれば、ありえることだ」
と誰もが思うようになっただろう。
「マルチリベンジ」
まさに、戸次のような男にふさわしい称号ではないだろうか?
( 完 )
1