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ふたりでリハビリを (掌編集・今月のイラスト)

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サーキットは雨……あの日と同じように……。

 今日開催されるのはJ-GP3、250㏄以下のマシンで争われるバイクのレースで、若手ライダーの登竜門的な性格を帯びている。
 このレースに出場する義彦は大怪我からの復帰戦、リハビリを続けている間にエースの座は奪われ、このクラスからの再出発となった。
 あいにくの雨とあって観客は多いとは言えない、普段はそのまぶしい肢体を見せびらかすようにあちこち歩きまわって笑顔を振りまくレースクイーンたちも、今日はピットの屋根の下からなかなか出ようとはしない。
 だが沙耶はコースに出て彼と彼のマシンに傘をさしかけている。
 レースクイーンたちが傘を持っているのは、彼女たちの美貌を際立たせるためでも、自慢の白い肌を陽に晒さないようにするためでもない。
 レーサーやマシンが少しでも良い状態でスタートできるようにするために持っているのだ。
 (でも、まあ、仕方ないわね……)
 沙耶はため息を漏らす。
 多くのレースクイーンたちは芸能プロやモデル事務所から派遣されている。
 これを足掛かりに上を目指そうと野心を持って参加する娘も少なくない。
 だがさほど注目もされないこのレースではその旨味はあまりない、まして観客も少ない雨の日に愛嬌を振りまきながら歩き回るのは億劫でもある。
 
 沙耶は自分を「レースクイーン」ではなく「レースメイド」だと思っている。

 レースに華を添えるのももちろん大事な役割だ、モータースポーツの発展に少しでも寄与できれば露出の多い衣装を着ることも厭わない。
 近年、バイクレースでは厳しくなる一方の排ガス規制の流れに逆らえず、強大なパワーを持つマシンを投入できなくなってきている。
 バイクレースの醍醐味は、ギリギリまで車体を傾けてコーナーを回って行くライダーのテクニックと、コーナーからの立ち上がりで見せる爆発的な加速だ。
 だが雨の日のレースではライダーたちもギリギリまで攻められない、四輪のタイヤはいわばバームクーヘン型で接地面が大きいが、バイクのタイヤはいわばドーナツ型、接地面積は四輪よりはるかに小さい、雨の日は身の危険だけでなくマシンの危険も大きくなる、転倒すればその場でレースが終わってしまう場合もある、何とかコースに復帰できたとしてもエンジンやレバー、ペダル類が露出しているバイクは大きなダメージを受けている可能性が高いのだ。

 そんなギリギリのレースに挑むレーサーやマシンが少しでも良い状態でスタートできるようにするため、沙耶は自分の身体が真夏の太陽に焼かれることも、雨に打たれることも厭わず傘をさしかける。
 出来る限りレーサーやマシンに奉仕する、だから「レースメイド」なのだ。
 レースの主役はレーサーでありマシンであり、そしてチームやファクトリーのはず、決してレースクイーンではない、沙耶はそう思っている。

 沙耶がバイクの楽しさを知ったのは小学6年生の時。
5歳年上の兄・勝がバイクの免許を取り、125㏄の中古を手に入れた、兄がバイクにまたがってさっそうと走る姿がかっこよくて後ろに乗せて欲しいとせがんだのだ。
父が運転する、鉄とガラスに囲われているクルマとはまるで違う世界がそこにあった。
兄の背中に守られているとはいっても風を切って走る爽快感はクルマにはないものだ。
60km/hで走れば18m/sの風を受ける、それほどの風は自転車では味わえない。
そして「風景を見る」のではなく「風景の中に身体ごと飛び込んで行く」ような感覚はバイクでしか味わえない。
そして兄と一緒に身体を傾けながらコーナーを回って行く快感も沙耶を虜にした。
16歳になると沙耶も免許を取り、兄のお古を譲り受けた。
そしてその頃、兄は既にモータースポーツの世界に足を踏み入れるところまで来ていた。

兄がチームと契約してプロのライダーとなると、沙耶はレースクイーンに志願した。
『勝のメッチャカワイイ妹』はチーム内でも評判になっていたので一も二もなく採用された、そして『レースメイド』を自認し、ライダーとマシンを第一に考える沙耶は、チームになくてはならないメンバーとして受け入れられた。
 
 そんな沙耶と兄を悲劇が襲ったのは二年前。
 今日と同じように雨が降りしきるサーキットで、兄のバイクはコーナーでグリップを失った。
 ライダーは頑丈なヘルメットに数々のプロテクターを仕込んだ分厚い革ツナギに守られている、素直に転倒して滑っていれば大きな怪我はしないで済んだはず、だが勝は何とかマシンを立て直そうとした。
 ひとたびバランスを失ったバイクはライダーの意のままに動いてはくれない、左右に大きく揺れた挙句に横倒しに、そして、コース上に投げ出された勝は運悪く後続のマシンに撥ねられてしまい、コース上に横たわって動かなくなった。

 すぐさま病院へと搬送された勝だったが、手術室から運び出された時、その顔には白い布が掛けられていた。

 まだ25歳、これからレーシングライダーとしての絶頂期を迎えようとしていた勝。
 家族や友人、チームの皆がその早すぎる死を悼んだが、とりわけその事故を目の当たりにし、救急車に同乗して救急隊員の懸命な処置にも関わらず刻々と血の気を失っていく兄の様子を見守らなくてはならなかった沙耶の心痛は大きかった。
 初めてバイクの後ろに乗せてもらった時の、頼もしくもカッコ良かった兄の背中。
 その背中を追うようにしてきたのに、それは永遠に失われてしまったのだ。
 そして、沙耶もサーキットを離れた。

 沙耶がサーキットに戻ることを決意したのは、義彦の怪我がきっかけだった。
 義彦は兄と同い年、最大のライバルであり、親友でもあったライダー。
 その義彦がやはりレース中に転倒し、命に別状はなかったものの、膝を複雑骨折してしまったのだ。
 亡き兄の親友の、一生松葉杖を手放せなくなるかもしれない大怪我、だが沙耶はなかなか見舞いに行く決心がつかなかった、その病院はあの日兄が搬送された病院だったからだ。
 だが、義彦が数回にわたる手術を乗り越え、リハビリを始めるところまで回復したと知り、沙耶はようやく見舞いに行く決心がついたのだ。

「やあ、沙耶ちゃん久しぶりだね」
 沙耶が病院に着いた時、義彦はリハビリ室にいた。
 まだ手すりにつかまらなくては歩行もままならない状態、それでも義彦の顔は明るかった。
「まだこんなザマだけどね、これでも随分と良くなったんだぜ」
 額に汗滲ませてリハビリに励む義彦の姿に、療養士は沙耶の方を向いて肩をそびやかせた。
「今日はもうこれくらいにした方が良いよ、彼女さんからもそう言ってあげて」
 彼女さん……そんな風に思ったことはなかったし、見舞いだってずいぶん遅くなっていたのに……。
「あっ、それを言う?」
「だって彼女が見舞いに来てくれるんだって喜んでたじゃないか」
「お、俺、彼女だなんて言ってないよ」
「そうだったっけ? あ、そうか、好きな娘が来てくれるって言ったんだっけ」
 好きな娘? あたしが? そんなの聞いたことない……。
「まあ、いずれにしてももうこれくらいにした方が良い、骨が砕けるくらいの怪我だったんだからさ」