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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Jailbirds

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二〇〇八年 二月 十五年前

 買ったばかりのスマートフォン。数時間前まで綺麗だったディスプレイはすでに濁っていて、血まみれの指が滑った跡は、まるで蛇のようにのたくっている。
「くそっ……」
 ヤスは地面へ文句を吐き捨てると、電話帳をスクロールした。使い慣れていない携帯電話は、こういうときに全く役に立たない。ついさっき、ようやく充電と設定が終わって使えるようになったばかりだ。その間に何件の着信を逃したか、今となっては分かりようもない。四十歳になって、今さら大昔に『担任の先生』から聞いた教訓が蘇ってくる。遠足は、履き慣れた靴で。 携帯電話の買い替えを思いついたのは昨日の昼で、得意客の仙谷とコーヒーを飲んでいたときだった。仙谷は古い物にこだわるタイプだが、『慣れたらこんなに便利なものもないぞ』と言って、自分が買ったばかりのスマートフォンを見せびらかした。そこまで言うなら買うかと思って店に寄ったのが、夕方。その二十四時間後にこんなことになるとは、思っていなかった。今は頼れるものなどなく、自分の規範だけが頼りだ。それは、連絡がつかないときは自ら現場に出向くということ。ここを待ち合わせ場所だということは、前もって把握していた。それにしても。
 今目の前に見えている光景は、非現実的ですらある。真っ暗な産業道路の路肩で青白い排気ガスを上げる、ワインレッドのスズキカルタス。運転席の窓は粉々に割れていて、その手前に男が倒れている。自分が撃ったのだから、倒れて当たり前ではある。
 血で霞んだディスプレイを上着の袖で拭ったとき、右手の中で細い煙を上げるコルトダイヤモンドバックの銃身が手に触れて、微かな熱気にヤスは顔をしかめた。六発とも撃ったから、弾倉は空っぽだ。放たれた弾丸は一発が運転席の窓を割り、残り五発が中をガラス越しに覗き込んでいた男に吸い込まれた。今は地面に倒れていて、右手にはまだベレッタM71が握られている。撃ち返された一発はこちらの手の甲を掠って、真っ暗闇に吸い込まれていった。ヤスはスマートフォンの操作を諦めて、後部座席のドアを開けた。そして、丸く盛り上がった毛布から顔を出した美夜子に言った。
「もう大丈夫」
 美夜子は毛布から体を出さないように固く丸まっていたが、ヤスの顔を見て小さく息をついた。ヤスはダイヤモンドバックのシリンダーを開いて38スペシャルの薬莢を手の上に落としながら、周囲を見回した。どちらの方向も真っ暗で、仮に誰かがライフルを構えていたとしても弾を食らうまでは気づきようがない。
「紗季ちゃんは?」
 ヤスが訊くと、美夜子は毛布を引っ張った。妹の紗季が頭を出して、涙で光る頬を歪めながら愛想笑いを浮かべた。十歳の双子で、笑ったときの表情以外は完全なクローンのようによく似ている。ヤスはポケットから新しい弾を六発取り出すと、シリンダーに一発ずつ装填しながら言った。
「お父さんとお母さんは、どこに行ったか分かる?」
 美夜子と紗季は首を横に振った。ヤスは、割れた運転席の窓から手を差し込んで暖房を全開にすると、風ができるだけ中に入らないように窓を体で覆った。二人の両親は、音無環樹と新堂雪奈。虫一匹殺せない性格でいながら、法律の反対側で生きてきた夫婦だ。音無ボデーショップという車の整備工場がアジトで、屋号には『車検代行』や『新車販売』の文字が躍る。従業員は五十代の菅野と二十歳になったばかりの庄内、工場内に三台を並べるのが限界の小さな整備工場だが、実態はありとあらゆる犯罪者のニーズに対応する『装備屋』だ。取り扱う商品には、車だけでなく銃やナイフのような武器も含まれる。ヤスは、二人が向かったと思しき方向へ目を凝らせた。このまま『現場』に出向いたとして、六発で何ができるだろうか。同時に、美夜子と紗季も守らなければならない。ただの勘だが、おそらく二人は帰ってこない。ついさっき真後ろから六発を撃ち込んだ相手の男は、取引現場から戻ってきたのだろう。だとしたら、この男が戻らない限り、誰かが追加で確認に来る可能性が高い。こちらから出向けば、確実にその顔を拝むことができるだろう。しかし、それが人生で目にする最後の光景になる可能性は、捨てられない。
 それに、自分が興味本位で死んだら、一体誰がこの姉妹を助けられる? 
 そう思ったとき、いつの間にか車から降りた紗季が、ヤスの上着の裾を掴んで揺すった。
「行こう?」
 ヤスはうなずいた。今、仙谷さんがいてくれれば。あの45口径を必ず持ってきただろうし、二人で乗り込んで皆殺しにするぐらい造作なかっただろう。頭にふとよぎった『たられば』を打ち消し、ヤスは無言で運転席のドアを開けると、座席の上に散ったガラスの破片を払いのけてカルタスに乗り込んだ。暖房の温度を調節し終えたとき、紗季が車の外で男の死体をじっと見下ろしていることに気づき、運転席から再び降りた。
「紗季ちゃん、見たらだめだって」
 ヤスが言うと、上着のポケットに両手を突っ込んだまま歯をカチカチ鳴らしている紗季は、凍った保冷材のように固い動きでカルタスの後部座席に戻った。ヤスは運転席に戻ってシートベルトを締め、小さく息をついた。今は、この二人を安全な場所まで送り届けなければならない。
「ちょっと風が寒いけど、ごめんな」
 ヤスはそう言うと、カルタスのシフトレバーをドライブに入れた。美夜子は凍えている紗季の頭に毛布を被せて抱きしめながら、呟いた。
「どこに行くの?」
「一旦、家に戻る」
 ヤスが言うと、美夜子は小さなくしゃみをした。
「ヤスさん。お父さんとお母さんは?」
 ヤスがバックミラー越しに目を合わせると、美夜子は到底直視できないような物分かりの良い表情で、うなずいた。ヤスは視線に耐えられなくなって、運転を言い訳にするように目を道路へと戻した。いつかこうなるかもしれないとは、常に考えていたが。こんな風に、わざわざ携帯電話を買い替えた日に起きるとは、思っていなかった。
 顔の右半分を麻痺させるように吹き付ける寒風に耐えながら、ヤスは照明柱の下を通り抜けるときにバックミラーをちらりと見た。美夜子だけでなく、紗季までが毛布から顔を出していて、自分を見る目は四つに増えていた。紗季が美夜子の方をちらりと見て、美夜子はその視線に応えるように、言った。
「仙谷さんは来る?」
「いや、連絡がつかない。このまま、おれが家に送るよ」
その後は? ヤスはハンドルを強く握ると、この状況を面白がるように降り始めた雪で濁る景色に、目を凝らせた。音無夫妻はこんな稼業に身を置いていながら子煩悩で、姉妹には絶対に留守番をさせなかった。目を離したが最後、誰かに奪い取られる。二人の目にはいつも、野生動物のような緊張感が漂っていたように思える。同じことが、自分にもできるだろうか。何年も前に、音無と交わした約束。
 それは、お互いの身に何かが起きたら、残された家族の面倒を見るということ。


二〇二三年 十二月

「音無ボデーでっす。こんちは、もう着きます?」
 受話器を耳と肩の間に挟んだ美夜子がペンをくるくる回しながら言い、来客用のソファを目一杯使って横になっている紗季が、ヘッドホンをずらせながら顔を上げた。
「ちょっと早いな」
作品名:Jailbirds 作家名:オオサカタロウ