自転車事故と劇場型犯罪
「このパンデミックの期間、溜まっていたものが爆発したのが今だったのかも知れない」
と言えるだろうが、正直、赤坂自身も、精神的にかなり荒れた生活をしていて、どうしようもないところまできていたということから、察するしかないようだった。
やはり、劇場型のバイク暴走も彼の仕業で、警察の捜査を混乱させようという意図があったようだが、まったく意味がないということを、考えられないほどに、赤坂という男は、、
「浅はかな男だ」
と言えるのではないだろうか。
佐和子が事故の時、赤坂があまりにも狼狽しているのを見て感じた直感は正しかったのかも知れない。
少しの間、
「あれも、したたかな計画の一つだったのか?」
と思ったが、そのわりに、あの時の狼狽は、いかにもだった。
もし、わざとだということであれば、もう少しは分かったであろうからである。
そんなことを考えていると、
「どこまでがわざとで、どこからが偶然なのか分からない」
と思えてきた。
本当にあの事故、つまり、ゆかりが意識不明で、今記憶が半分欠落したというのが、
「ただの偶然だった」
と言われれば、そうかも知れない。
いや、
「あれは、仕組まれたことだ」
と言われれば、こちらも何とも言えないということになる。
どうして、分からなくなったのかというと、赤坂が起こした、
「劇場型犯罪」
あれが、まったく意味のないことだったからだ。
見えていないだけで、何かの効果があるのかどうなのか?
それを考えると、最初の自転車事故も分からない。
佐和子は、
「刑事がそういう風に考えているのではないか?」
と考えた。
もし、この事件、いや、事故に関して、誰もがパズルのピースを数枚持っていないので、完成させることができないのだ。
そのピースを持っているのは佐和子であり、佐和子自身に、そのピースを持っている自覚、あるいは、その自覚があったとして、それを説明できるかどうか、よくわかっていない。
「ゆかりさんの失った意識、あるいは記憶。それを分かるとすれば自分しかいない」
と佐和子は思っていて、その理由が、
「私の頭の中にあるんだわ」
という思いだったということを、誰も知る由もなかった……。
( 完 )
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作品名:自転車事故と劇場型犯罪 作家名:森本晃次