悠々日和キャンピングカーの旅:⑳信州・東北(気まま過ぎた旅)
※ タイトルの「悠々日和」は「のんびり」の当て字
■プロローグ(序章)
2011年3月11日に発生した大地震、その未曽有の津波被害も含め、後に「東日本大震災(3.11)」と名付けられ、壊滅的な被害は10年以上経った今でも、人の記憶に鮮明に残っている。
同年5月、静岡県西部の自宅をバイクで出発し、被災地の福島県相馬から宮城県石巻までを走りながら、その状況を目に焼き付け、その夜は、自衛隊の野営地になった石巻市の専修大学内に設けられたテント村で、夜遅くまで、ボランティアの方と会話する機会を得た。
その2ヶ月後、コミュニティFM放送局「ラジオ石巻」を取材して分かったことは、ラジオ放送に関わる多くの人の奮闘で、津波被災直後から放送を途絶えることなく続けることができ、その結果、孤立した状況にあった津波被災地の多くの人々は、ラジオからの情報で救われ、励まされ、そして助け合ったことだった。そこには、地域密着型ならではのコミュニティFMの「使命感」があり、それを教えてくれた女子アナの語りに、涙が浮かんだ。
■プロローグ(序章)
2011年3月11日に発生した大地震、その未曽有の津波被害も含め、後に「東日本大震災(3.11)」と名付けられ、壊滅的な被害は10年以上経った今でも、人の記憶に鮮明に残っている。
同年5月、静岡県西部の自宅をバイクで出発し、被災地の福島県相馬から宮城県石巻までを走りながら、その状況を目に焼き付け、その夜は、自衛隊の野営地になった石巻市の専修大学内に設けられたテント村で、夜遅くまで、ボランティアの方と会話する機会を得た。
その2ヶ月後、コミュニティFM放送局「ラジオ石巻」を取材して分かったことは、ラジオ放送に関わる多くの人の奮闘で、津波被災直後から放送を途絶えることなく続けることができ、その結果、孤立した状況にあった津波被災地の多くの人々は、ラジオからの情報で救われ、励まされ、そして助け合ったことだった。そこには、地域密着型ならではのコミュニティFMの「使命感」があり、それを教えてくれた女子アナの語りに、涙が浮かんだ。