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亨利(ヘンリー)
亨利(ヘンリー)
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続・おしゃべりさんのひとり言/やっぱりひとり言が止めらない

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その154 母の事情



3月に父が亡くなって、その葬儀代がバカにならんという『ひとり言』を投稿したばかりなのに、その50日後に母も他界しました。
湿っぽい話はもう飽き飽きしていますので、勢いで話しますね。

事故でもないのにこんな短期間に両親が亡くなるなんて、想像して・・・ました。
実は母は、昨年の夏に体調を崩して入院。その時、医師から膵臓がんの疑いを指摘され、春までの命と診断されていたのです。
検査を繰り返したものの、がん細胞は見付からずに、膵液を流す対処療法的な手術のみをして、その後も検査の為、入退院を繰り返していました。
そうしているうちに、病院にいた父が先に、老衰で息を引き取りました。
母は(自分が病気にさえならなければ、父は自宅で元気にして、もっと長生き出来ただろう)と悔やんでいました。
それから慌ただしく、父の葬儀を行いましたが、母の元気もなくなり始め、ついに主治医が言っていた春が来たのです。4月には急激に体調が悪化して、また検査入院。
なのに、そこでもがん細胞は見つかりません。主治医が言うには、
「この状態で、がんじゃないはずがないと思うんですが、どうしてもがん細胞が出ないんです。でも症状からして、今回が最後の入院になりそうです」
母の死期が近いと知らされました。当然母にもそのことは告げられました。
母も解っていたらしく、既に身の回りの整理はつけてきていました。でも父の四十九日の法要だけは、「なんとか退院して自宅で営みたい」という希望を医師に告げると、主治医の判断は、
「今は症状を抑える処置をしていますが、それだと体に負担が大きいので退院が出来ません。対処療法は一旦止めて、法事の日に合わせて体力を回復させるように薬を調節しながら治療をします。うまく行けばそれが最後の退院になります」
そう言われると母は、「ついでに息子二人と最後に温泉旅行にでも行きたい」と主治医に告げたそうです。
その医師のスキルが高いのか、母の根性なのか、何とか立ち上がっって自炊出来るくらいの体力が回復しました。父の四十九日の法要の前日に、医師の退院許可が出て、僕は大急ぎで迎えに行きました。
そこで温泉旅行の話が現実的になり、弟と相談して淡路島の有名ホテルに予約を入れることにしたのですが、一週間以内の予約なんか殆ど空いてません。なんせGW真っ只中ですから。
しかも部屋に露天風呂が付いていないと、母一人では大浴場に行けませんからね。
僕はホテルに直接電話しました。事情を話し、予約の空きが出たら教えて欲しいとお願いしました。
きっと他にも、キャンセル待ちをされている方も多かったと思います。でもホテルの担当者は事情を理解してくれて、ありがたくも2泊で部屋を用意してくれました。料金は3人で約27万円でした。急な対応ですし、事情が事情だけに、この値段でも仕方ないですね。

父の四十九日の法要では、母はずっと座ったまま、会食先でも車いすのまま過ごし、出席していただいた方全員に話をして回って、今までの感謝を伝えていました。
そのことで親戚の皆は(先が長くないのかな?)と悟ったそうです。そして私に対して実家で介護することを強く要求してきました。
でも、温泉旅行の後、すぐに再入院する予定でしたし、旅行までの二日間は、体力的にも「一人でも大丈夫」と本人が言っていましたので、法事の翌日の晩から二日後の旅行までは、母は一人で自宅にいました。
近所の方々にも心配していただいて、夜でも様子を見に来てくれていたので、玄関には鍵はかけずに就寝するようにしていました。
「明日から淡路島行くねんよ」
「ほう、よかったわな。息子さんと楽しんで来ぃ」
そんな会話を前日の晩にしていたと、隣の奥さんから聞きました。
翌日は、僕も弟も会社に有給申請して、朝早くから出発の準備をしていました。そろそろ母を迎えに行こうとしていた午前8時頃、民生委員の方から電話がありました。