3つの博物館訪問
縄文時代の検索記《4》
◆東京・国立博物館(台東区上野)
私が読んだ縄文時代の文化を紹介した本に、縄文文化に関連する全国の博物館を紹介してあり、その中から取り敢えず私が訪れることが可能と思う3つの博物館を訪れてみることにしました。
まずは東京の国立博物館。
そこは上野公園の一角にあることは知っていましたが、まだ入ったことはありませんでした。もう40年以上も前に上野の森美術館には行ったことはありますが、国立博物館は初めて。
上野公園には動物園や美術館の他にも博物館が2つもあってとにかく広い。不忍池もありますね。
国立博物館はでっかい建物に、いろいろな展示物が一堂に集められているイメージがあります。実際訪れてみると、広い入場口のスペース周辺には修学旅行と思われる生徒たちの一団や、外国の方たち(主に欧米から?)が並んでいました。
いよいよ中に入ってみると敷地内には歴史がありそうな3棟の立派な建物があり、それぞれが独立して建っています。多くの分野の一級品が展示してあるのでしょう。時間が許せば一日中滞在しても飽きないでしょうね。(ところで、70歳以上の高齢者は入場料免除でした。動物園や美術館はどんなでしょうか。)
私が訪れた時、国立博物館では「古代メキシコ展」が開催されていました。
上野駅周辺や博物館のいたるところに大型のタペストリーやポスターが掲示されており、中南米のマヤ文明やアステカ文明などの仮面や土器など貴重な遺物を大々的に紹介展示してあったようです。こちらも興味をそそられる内容だったかも知れません。
しかし縄文文化の土器・土偶を確認するために訪れていた身としては、古代メキシコ展をスルーして、博物館の中で縄文文化に関するアイテムがどの建物に展示してあるのか、それこそ敷地内の案内看板だけでは分からずに、インフォメーションを2ヶ所経てやっと辿り着きました。
その目的の展示室は3棟のうちの中央に位置するメインの建物の中にあり、待望の「縄文文化の実物」と対面することが出来ました。
そこには多彩な縄文時代の遺物が展示してあったのですが、この博物館でどうしても見たかったのが「火焔土器」と国宝の「遮光器土偶」でした。
火焔土器については他の博物館にも多くの展示物があるのは分かっていましたが、青森県の亀ヶ岡遺跡から出土したその独特なデザインの目を持つ遮光器土偶については、他の博物館には似たような土偶はあっても、ほぼ同じものは見当たらないと思われる土偶です。それを見る為に国立博物館に行ったのも同然でした。
重厚な建物の博物館の展示室に入り、縄文時代に興味を持ったきっかけになった「火焔土器」と「遮光器土偶」を見つけた時は、まるで「初めて会う未知の女性」との遭遇を彷彿とさせるような気分です。
実際に目にした時は、全国の街々を歩く際の「行ってみたい街に向かって出掛け、街の姿を確認出来た喜び」と同様に、久しぶりに目標を達成した気分になりました。
※もう8年ほど前にもなりますが、エジプトのカイロ国立博物館で見た「ツタンカーメン黄金のマスク」を実際に見た時を一瞬思い出したほどです。(勿論、知名度も展示レベルも全く違いますが…。)
縄文文化の展示室には40分ほど滞在。写真撮影がOKだったのでスマホで10数枚ほど撮影して展示室を出ました。
6月の夕刻はまだ明るいのですが、翌日は早朝から山梨県の「釈迦堂遺跡博物館」へ向かうのです。暗くなる前に新宿駅近辺にある新宿バスターミナルの位置を確認しておく必要があったので、取り敢えず上野駅から新宿駅へ移動、薄暗くなった頃に新宿バスタの場所を見付け、少し安心してホテル内の食事処で夕食を頂きました。
1日目に訪れた東京上野の国立博物館では、待望の遮光器土偶(国宝)を目の当たりにして、更に火焔土器も見学することが出来ました。
ただ、国立博物館の展示物はあくまで全国から集積された展示物です。それは私にとって言わば序章とも言えるものでした。
これから訪れる2日目の山梨県・釈迦堂遺跡博物館、そして3日目の新潟県・県立歴史博物館の展示物は「発掘された現地の土器や土偶や道具」を紹介してあるのですから、まさに臨場感あふれる展示物に違いありません。
◆釈迦堂遺跡博物館(山梨県笛吹市)
私がこれまで目にした資料によれば、東北地方北部と同様に、長野県や山梨県など中部地方や関東地方のエリアには縄文時代の遺跡が数多くあるのです。
そうは言っても、釈迦堂遺跡博物館の所在地は、鉄道を使うと非常に行きにくい場所で、車を利用しなければとても行けそうにありません。
いかにして目的地に行くかを出発前に調整している段階で行程を模索していると、ネット検索途中に偶然にも中央高速自動車道の沿線にある釈迦堂SA(サービスエリア)のすぐそばにあることを見つけました。
新宿のバスターミナルから甲府方面への高速バスに乗れば、2時間もかからずに着く計算でした。その移動方法を発見した時は小躍りしたのです。
但し、都合が良いバスの便数が1日に数本しかなく、朝8時過ぎにはバスターミナルに行く必要があり、新宿バスタで乗車するために新宿近辺のホテルに宿泊したのです。その泊まったホテルでの朝食も一番早い時間に済ませて、そそくさとチェックアウト、何とか乗車出来ました。
午前10時過ぎ頃に到着した釈迦堂遺跡博物館は本当にSAのすぐそばで、ちょっと見上げる低い丘のような場所に建っています。
私が釈迦堂遺跡博物館を訪れた時間は、まだ開館して間もなくだったので入館者は誰もいません。私がいかにも旅行中のようなキャリーを引きずって入館したので、受付案内スペースの女性が荷物を預かってくれました。
その博物館は縄文時代に関連する遺物の為だけの博物館で、他の展示物はほぼ何もありませんでした。従って、建物自体は大きなものではありません。むしろこじんまりとしていました。
さてさて、縄文遺跡専用の館内は如何なものか、期待感をもって2階の展示室への階段を進みました。展示室の入り口付近のホワイエに「触れるレプリカ土器」が置いてあり、いかにも実物を見てみたい意欲にかられます。
展示室の中はそんなに広いスペースではなく、展示室全体を一目で見渡せるくらいですが、驚くほど多数の展示物で、土器や小さな破片など大小合わせれば数千点はあったようです。
壁面を利用したモニタースクリーンには、プロモーションビデオで主な展示物の案内をしていました。
高さが40〜50センチもありそうな大きなものから20センチほどのものまで、土器だけでも縄文時代の年代別に合わせて50点ほど展示してあるのは、いかにこの周辺の発掘物が多いかを表しています。
約1万6千年も前の頃からの縄文時代を考える上で、便宜上の年代呼称があって「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」の6時期に分けられます。その大半の期間の土器を網羅して展示しているのですから、やはり素晴らしい展示パワーです。
◆東京・国立博物館(台東区上野)
私が読んだ縄文時代の文化を紹介した本に、縄文文化に関連する全国の博物館を紹介してあり、その中から取り敢えず私が訪れることが可能と思う3つの博物館を訪れてみることにしました。
まずは東京の国立博物館。
そこは上野公園の一角にあることは知っていましたが、まだ入ったことはありませんでした。もう40年以上も前に上野の森美術館には行ったことはありますが、国立博物館は初めて。
上野公園には動物園や美術館の他にも博物館が2つもあってとにかく広い。不忍池もありますね。
国立博物館はでっかい建物に、いろいろな展示物が一堂に集められているイメージがあります。実際訪れてみると、広い入場口のスペース周辺には修学旅行と思われる生徒たちの一団や、外国の方たち(主に欧米から?)が並んでいました。
いよいよ中に入ってみると敷地内には歴史がありそうな3棟の立派な建物があり、それぞれが独立して建っています。多くの分野の一級品が展示してあるのでしょう。時間が許せば一日中滞在しても飽きないでしょうね。(ところで、70歳以上の高齢者は入場料免除でした。動物園や美術館はどんなでしょうか。)
私が訪れた時、国立博物館では「古代メキシコ展」が開催されていました。
上野駅周辺や博物館のいたるところに大型のタペストリーやポスターが掲示されており、中南米のマヤ文明やアステカ文明などの仮面や土器など貴重な遺物を大々的に紹介展示してあったようです。こちらも興味をそそられる内容だったかも知れません。
しかし縄文文化の土器・土偶を確認するために訪れていた身としては、古代メキシコ展をスルーして、博物館の中で縄文文化に関するアイテムがどの建物に展示してあるのか、それこそ敷地内の案内看板だけでは分からずに、インフォメーションを2ヶ所経てやっと辿り着きました。
その目的の展示室は3棟のうちの中央に位置するメインの建物の中にあり、待望の「縄文文化の実物」と対面することが出来ました。
そこには多彩な縄文時代の遺物が展示してあったのですが、この博物館でどうしても見たかったのが「火焔土器」と国宝の「遮光器土偶」でした。
火焔土器については他の博物館にも多くの展示物があるのは分かっていましたが、青森県の亀ヶ岡遺跡から出土したその独特なデザインの目を持つ遮光器土偶については、他の博物館には似たような土偶はあっても、ほぼ同じものは見当たらないと思われる土偶です。それを見る為に国立博物館に行ったのも同然でした。
重厚な建物の博物館の展示室に入り、縄文時代に興味を持ったきっかけになった「火焔土器」と「遮光器土偶」を見つけた時は、まるで「初めて会う未知の女性」との遭遇を彷彿とさせるような気分です。
実際に目にした時は、全国の街々を歩く際の「行ってみたい街に向かって出掛け、街の姿を確認出来た喜び」と同様に、久しぶりに目標を達成した気分になりました。
※もう8年ほど前にもなりますが、エジプトのカイロ国立博物館で見た「ツタンカーメン黄金のマスク」を実際に見た時を一瞬思い出したほどです。(勿論、知名度も展示レベルも全く違いますが…。)
縄文文化の展示室には40分ほど滞在。写真撮影がOKだったのでスマホで10数枚ほど撮影して展示室を出ました。
6月の夕刻はまだ明るいのですが、翌日は早朝から山梨県の「釈迦堂遺跡博物館」へ向かうのです。暗くなる前に新宿駅近辺にある新宿バスターミナルの位置を確認しておく必要があったので、取り敢えず上野駅から新宿駅へ移動、薄暗くなった頃に新宿バスタの場所を見付け、少し安心してホテル内の食事処で夕食を頂きました。
1日目に訪れた東京上野の国立博物館では、待望の遮光器土偶(国宝)を目の当たりにして、更に火焔土器も見学することが出来ました。
ただ、国立博物館の展示物はあくまで全国から集積された展示物です。それは私にとって言わば序章とも言えるものでした。
これから訪れる2日目の山梨県・釈迦堂遺跡博物館、そして3日目の新潟県・県立歴史博物館の展示物は「発掘された現地の土器や土偶や道具」を紹介してあるのですから、まさに臨場感あふれる展示物に違いありません。
◆釈迦堂遺跡博物館(山梨県笛吹市)
私がこれまで目にした資料によれば、東北地方北部と同様に、長野県や山梨県など中部地方や関東地方のエリアには縄文時代の遺跡が数多くあるのです。
そうは言っても、釈迦堂遺跡博物館の所在地は、鉄道を使うと非常に行きにくい場所で、車を利用しなければとても行けそうにありません。
いかにして目的地に行くかを出発前に調整している段階で行程を模索していると、ネット検索途中に偶然にも中央高速自動車道の沿線にある釈迦堂SA(サービスエリア)のすぐそばにあることを見つけました。
新宿のバスターミナルから甲府方面への高速バスに乗れば、2時間もかからずに着く計算でした。その移動方法を発見した時は小躍りしたのです。
但し、都合が良いバスの便数が1日に数本しかなく、朝8時過ぎにはバスターミナルに行く必要があり、新宿バスタで乗車するために新宿近辺のホテルに宿泊したのです。その泊まったホテルでの朝食も一番早い時間に済ませて、そそくさとチェックアウト、何とか乗車出来ました。
午前10時過ぎ頃に到着した釈迦堂遺跡博物館は本当にSAのすぐそばで、ちょっと見上げる低い丘のような場所に建っています。
私が釈迦堂遺跡博物館を訪れた時間は、まだ開館して間もなくだったので入館者は誰もいません。私がいかにも旅行中のようなキャリーを引きずって入館したので、受付案内スペースの女性が荷物を預かってくれました。
その博物館は縄文時代に関連する遺物の為だけの博物館で、他の展示物はほぼ何もありませんでした。従って、建物自体は大きなものではありません。むしろこじんまりとしていました。
さてさて、縄文遺跡専用の館内は如何なものか、期待感をもって2階の展示室への階段を進みました。展示室の入り口付近のホワイエに「触れるレプリカ土器」が置いてあり、いかにも実物を見てみたい意欲にかられます。
展示室の中はそんなに広いスペースではなく、展示室全体を一目で見渡せるくらいですが、驚くほど多数の展示物で、土器や小さな破片など大小合わせれば数千点はあったようです。
壁面を利用したモニタースクリーンには、プロモーションビデオで主な展示物の案内をしていました。
高さが40〜50センチもありそうな大きなものから20センチほどのものまで、土器だけでも縄文時代の年代別に合わせて50点ほど展示してあるのは、いかにこの周辺の発掘物が多いかを表しています。
約1万6千年も前の頃からの縄文時代を考える上で、便宜上の年代呼称があって「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」の6時期に分けられます。その大半の期間の土器を網羅して展示しているのですから、やはり素晴らしい展示パワーです。