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みやざわみを
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駄文とその組み合わせ

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お久しぶりです。私です。IDとパスワードを打って、ここに辿り着いているのであるから言い逃れのできない素人です。数年前に官能小説を執筆しておりましたが、紆余曲折あって戻ってまいりました。日々のこと、ほぼ一貫性のないつまらない駄文になりそうですが、想像してお聞きして頂けますと嬉しいです。

最初に背景について少し。官能小説を書いていたころはというと、丁度学業と両立しておりました。あれから何年たったでしょうか。未だに学校というものには属しておりますが、全日通っている訳でもないですし、平日はデスクワークをしております。何度もパソコンというものを壊してしまったので、今回も会社のデスクで書いていることは秘密です(尚、会社のパソコンは今のところまだ壊しておりません)。趣味は読書というより観劇。いずれはそちらの世界にも興味ありますが、まだメンテナンス中です。殴り書きでごめんなさい。このように、退勤間近に急いで書いております。さてそろそろ本編へ。尚、この最初の文章は駄文に追記した形となりますので、実際は最初の文ではないことをご承知の上。

なぜか何故だか余った時間にかのような駄文を書いてみます。周りでは、話し声や咳、時に悪口が聞こえる職場です。就業中にこんなことをしていていいのかと我ながら思ったりします。好きなように小説を描いてきたつもりですが、それは誰かの真似にしかすぎず、自分の納得のいく作品は未だに作れていないと実感しています。筋道や登場人物のキャラクターを練り込んでもダメなのです。今、こうして睡魔と戦いながら駄文を描いている中でも、それはひしひしと感じます。酷い時には、話が重複したり、登場人物の名前が変化したりするのですが、もう慣れっこでもあります。私はこのような自分のミスに傷ついたり、絶望したりできないくらいに廃れてしまいました。あぁまたか、と無表情に無頓着にただ思うだけでした。

大学生という肩書だけ手に入れました。それは一年前でした。それ以外は働きながら、頭と身体の年齢の低さを利用し観劇に勤しんでおります。これは冷やかしではなくて、勉強なのだと言い聞かせて。久々に小学生の頃に好きだったアーティストがベストアルバムを出すというので、その次いでにライブについて調べたら庶民には手出しのしようがない金額でした。恐らく見たい演劇であれば問答無用に購入ボタンを貪るのでしょうが、愛想尽きた元カレのようなあのアーティストにはもう一銭も貢ぎたくないと思ってしまいました。非情なものですね。非情なのは、時でしょうか。私でしょうか。しかし、その思いとは裏腹に購入してしまったのも事実です。社販というシステムがあったのを忘れておりました。少し安くそう、ライブではなくアルバムが手に入るなら安上がりなものだと考えたからかもしれません。

今日は山口百恵のアルバムが解禁になりました。不思議なものです。一度、何かが始まると次から次へと収まることを知らずに出てきます。良いことも悪いことも。私は無宗教で生きているから、無論スピリチュアル的なことは信じないのですが。最後の仕事を終えて、こうして一週間の疲れを文章を書くことによって癒しているのだと思います。明日は病院に行かなくてはならないのです。薬が切れそうです。悪化している気がするのは気のせい。きっと気のせいだと言い聞かせて。


さあまたこうやって戻ってきてしまいました。あの時から、事態は良い方向に向いたと思います。しかし、今も尚何人分なのかもう見当もつかない仕事の量は健在です。たまにこうして息抜きをと思っていても、これが果たして息抜きになっているのでしょうか。

やりたいことはたんまりとあります。でも、どれも実現にお金と労力を費やさなくてはならないのです。そうして、手に入れようと努力してもその枠にはまりきれないこともあります。貧血気味の身体を引きづって、今日も果たせるのかも見えない夢を追いかけております。取り敢えず本日は残った試験問題に取り組まなくてはならないのです。そうこう書いているうちに、バイトが一人一人と帰っていきます。何ら心配は無用です。私もバイトなのですから。

自らのパソコンが壊れました。わがままを言って席を変えてもらいました。だからこそ、成り立つこの時間はかけがえのないものといっていいのでしょうか。今日は昼食時に思春期と青年期の心理臨床の期末テストを説きました。私は青年期に踏み出しているのでしょうか。エリクソンの提示した発達課題をただの一つでも乗り越えたことがあったのでしょうか。模索します。答えのない問いを永遠に模索しています。

劇団からの案内があれば、そこに立ち向かわなくてはならないし、明後日には本免試験が、土日には観劇が控えています。今年は本当に休学できるのでしょうか。仕事との折り合いはつくのでしょうか。大吉まで引いた吉田神社のおみくじは、未だにジャンパーの胸ポケットに存在しているはずです。だがそれがどうしたというのでしょうか。6回引いて大吉だったからなんなのでしょうか。免許試験がオーディションがなんでしょうか。私に何か光をもたらしてくれると信じているから悪いのです。ゴキブリはいつまで経ってもゴキブリで、家畜は何処へ逃げようと仕留められる運命だというのに。

怖い、と率直に感じます。梅雨入りした今日、私はとあるオーディションを受けます。もちろん、演劇関係の舞台に関する出演者オーディションです。一番好きな演劇の養成所に入所して、早二カ月。この機会を逃すわけにはいかないのです。養成所内での厳しい選抜の末、選ばれたのだから下手なことはできないし、普通の応募型のオーディションでも選考は行われているはずですが、今回はライバルが仲間であったことから、その人たちの顔見知りの仲間の想いを背負っているという、なんとも言い難い重厚感に苛まれているのです。

それに入所時のオーディションにはお会いすることのできなかった主宰の方が来られるであろう、と推測されます。というのも、誰が行くかまでは決定していたのですが、今回のオーディションの概要はインターネットに掲載されているたった数行の文のみでした。前日である昨日に明らかになったのですが、一般からも応募を受け付けしていて、それが養成所の応募数を遥かに上回るものだったのです。

数にして50人。これだけ聞いただけでも戦慄が走ります。何も劇団四季だとか宝塚だとか、そのような大御所ではないし、出演者も明かされていなければ、会場だって紀伊國屋や本多劇場でやるわけではない。なのになぜ、という気持ちとこの得体のしれないものに挑むという怖さがあります。科目によっては事前にどの部分を行うのか知らされているため、準備はしてきました。それこそ、運動分野では筋肉痛になるほどに。歌だって自信はあるけれど、それはあくまで私の主観的意見にすぎないのです。