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その男ははじめからほかの客とは異なる空気を纏っていた。
 キャバクラに来店しておきながら、女とは目を合わせようともしない。ひとりでくる客もシャイな客もすくなくはないが、その客はキャバクラ嬢を見下すでもなく、ニヒリズムを気取るわけでもなく、ただ所在なさげに俯いて、緑茶のグラスを両手で包んで縮こまっている。
 年齢は二十代後半といったところか。服装や立ち居振る舞いから、堅実な仕事に就いていることが想像できる。公務員か会社員だろう。あきらかにこういった場に慣れていない様子だ。地味なスーツ姿に黒縁の眼鏡をかけ、目立たない印象だが、店内の空気にそぐわず浮いているせいで、むしろ目を引いている。
 カウンターごしにフロアを見渡した。6つあるテーブルのうち4席が埋まっている。月曜の閉店間際の時間帯にしては上出来だ。不景気の煽りを受け、ここのところ客足が鈍くなっている。
 4席のうち2席は常連客。奥のほうは長年通っているママの上客だ。もうひとつはナンバーワンの美咲を気に入って、週に1、2度顔を見せる会社経営者とその部下。
 地味な会社員風の男の席にはベテランホステスの香里がついている。どうにか会話の糸口を見つけようと話題を振っているようだが、地味男は貝のように小さくなっているだけだ。百戦錬磨の香里もお手上げのようで、客の頭ごしに視線が飛んできた。気づいていないふりをして、汚れてもいないワイングラスを磨く。
 その客が気になった理由は態度だけではなく、もうひとりの新規客にあった。
 こちらの客もひとりだったが、黒のジップアップパーカーに履き古されたデニム、足下はスニーカーと、服装はかなりちがう。髪を明るく染め、キャップを被っている。チェーンスモーカーらしく、立て続けに煙草を咥えて、火をつける結南も忙しそうだ。どことなく疲れた雰囲気から、不安定な仕事に見えた。フリーランスで働いているか、芸能系の比較的自由な仕事かもしれない。こういった店には慣れているのか、ソファに深く凭れて、緊張した様子はない。ウイスキーの水割りを機嫌よく飲み、新人ホステスの結南とも親しげに会話をしている。しかし、話をしながらも、神経はべつのところに向いているようだった。
 まただな……
 グラスを拭きながら、さりげなく視線だけを動かして確認した。キャップの男は結南と話しながら何度もスーツの男を見ていた。はじめは女を気にしているのかと思ったが、最初についた結南から香里に替わってもおなじで、しかも隣にいる結南にはほとんど意識を向けていない。結南も結南で、つかみどころのない一見の客をもてあましているようだった。
 スーツの男はキャップの男の視線に気づいているようだった。落ち着きのなさはそのせいもあるのかもしれない。緑茶を啜りながら、時折キャップの男へ目を向けては、視線が合いそうになると慌てて顔を伏せている。
 ふたりが来店したのは30分ほど前。まずはスーツの男が、数分措いて、キャップの男が入ってきた。この店ではボトルの注文が必須なボトルオーダー制だが、新規に限って、1時間飲み放題5000円の時間制が選択できる。ふたりとも時間制を選んだ。
 顔見知りならいっしょに入ってくるか、多少なりと言葉を交わすはずだ。店の端同士の席に座って、奇妙な緊張感を齎しているふたりの客の関係性について考えを巡らせたが、うまい候補は出せなかった。
 もちろん、店員の立場で詮索はできない。おれは客への興味を無表情で隠し、黙々とグラスを磨き続けていた。すこしして、香里が合図を送ってきた。両手の指を揃えて、右手の指先をもう片方の掌にあて掲げる。会計を知らせるサインだ。
 カウンターの内側に置いてあるデジタル時計に目をやった。時間制の客に退店か延長を促すために設置してあるものだ。制限時間まではあと15分ほど残っている。
「お帰りですか」
 テーブルの前で膝をつく。スーツの男はぎこちなく頷いた。
「まだお時間少々残ってますが」
「あ、すみません」
 なぜか謝って、男は香里とおれを交互に見ながらいった。
「終電があるので、今日はこれで」
 嘘だとすぐにわかった。入店してからスマホや腕時計を気にするそぶりはほとんど見せていなかった。今思い出したのなら、もうすこし焦るはずだ。
「ありがとう。楽しかったです」
 鞄から財布を出しながら、男が香里に微笑みかける。笑顔があどけなく、大学生といっても通じそうだ。
 支払いはカードではなく現金だった。女たちのドリンク代も含めた7000円を受け取った。
「領収書は……」
「だいじょうぶです」
 男は革の鞄を抱えて立ち上がった。席を離れる前にあのキャップの男のほうに目を向けたのをおれは見逃さなかった。
「ありがとうございました」
 香里とママが見送りについて出るのを確認しながら、おれはホールにもどった。今度は結南がサインを送ってくる。キャップの男もお帰りのようだ。
 こちらはクレジットカードの支払いで、領収書を求められた。宛名は新進出版。ファッション誌から週刊誌まで手広く発刊する出版社だ。隙のない目つきやどことなく荒んだ雰囲気も、記者だとすれば納得できる。
 領収書とカードを渡そうとすると、手招きされた。キャップの男は結南がトイレに立ったのを確認して、おれに耳打ちしてきた。
「ボーイさん、ちょっと頼みがあるんだけどさ」
「なんでしょうか」
「今帰った客いるでしょ。あのひと、常連さん?」
「はい?」
 胡散臭さを感じたが、表情には出さない。男は品定めするような目つきでおれを見ると、パーカーのポケットから名刺を取り出した。
「もしまたくるようなら、連絡くれない? 礼はちゃんとするから」
「お客様の情報を漏らすようなことは……」
「わかってるわかってる。とりあえずこれ受け取って」
 半ば無理矢理おれの手に名刺を圧しつけて、男は領収書とクレジットカードを財布にしまいこみ、席を立った。
 ママと結南に挟まれるようにして男が店を出て行く。ドアの向こうに消える直前、振り向いておれに向け目を細めて見せた。
 なんだったんだ……
 手に残された名刺を見下ろし、おれは息をついた。

 新宿歌舞伎町のクラブ「彩」に勤めて2年になる。クラブといっても、どちらかといえばキャバクラにちかいカジュアルな店だ。ママに加えて6人のホステスでやりくりしながら、小さいながらも10年近く続けている。ボーイはおれひとり。店長とマネージャーを兼任している。店が狭いから、ひとりでもどうにか回していける。
 ここにくるまでは六本木のクラブで黒服を務めていた。地元の九州でもおなじような仕事をしていたから、夜の店には慣れている。面倒なトラブルや奇妙な珍客に直面した経験もある。しかし、今日の客は不思議と印象に残った。
 いや、記者のほうはどうでもいい。問題はもうひとりのほうだ。著名人には見えないし、かといって犯罪の匂いもしない。記者にしつこく付き纏われるような人間とは思えなかった。あのキャップの男はどんな目的で店にまで追いかけてきたのだろう。一見地味で目立たないタイプの男のなにをあの記者は知りたかったのだろう。
作品名:EXIT 作家名:新尾林月