ひとり言 せずにはいられない
慰謝料の交渉
損害賠償の方はと言うと、請求書が届いた翌日、僕は会社の社労士に相談したら、その手紙の内容に「不審点がいっぱいある」って。
司法書士と相談したらしいことが書かれているのに、署名の欄には代理人の個人名のみ。その氏名を司法書士協会に照会してもヒットしない。誰これ?
そして損害額が、110万6,800円。高すぎやしない? 僕は当初、せいぜい慰謝料で10~20万円で十分だろうって思ってたけど、相手が何も言って来ないから、もう大したことじゃないんだって、半分忘れかけてたくらいだ。でもその手紙には、(事故が原因で鬱病になったので)と記載されていた。
病院には行かないと言ってた人が、今は重症そして後遺症を訴えて、慰謝料を高額請求して来る。なるほど、だから事故2日目に「加害者が謝ってない!」と主張して、それを既成路線にしようとしたのかな。ついでに常套手段の『鬱病』も発症した。そう言った内容を証明する文言は一切なく、(そっちが悪いので払ってください)とだけ記載されている。それを社労士に言わせると、
「この書式は素人のものですね。法的な要点を全く押さえてませんし・・・」
僕もその稚拙な文章自体が可笑しかったのだけれど、大真面目に出して来るところ見ると、(なんとしてでもお金欲しいんだろうな)って考えてしまうよね。
文面記載の日付けは5月1日。でも封筒の消印は、5月11日。翌日の12日の金曜日に本社に届いたのに、振り込み期限は15日の月曜日に指定されてた。相当ルーズな人物が出した手紙だって分かる。その期限までに支払わないと裁判になるって、脅し文句もこっちには何も響かない。
もちろん我々は加害者だから、支払う意思はありますよ。そのことも所属企業の責任者と協議して、こちらの意思は伝えていましたし、そのやり取りの履歴もメールで残ってる。
社労士のアドバイスは、「期限は無視しても問題ない。でもそれまでに連絡を取って、話し合いの場を持つようにしたらいいい」とのこと。治療費や休業補償ではなく、慰謝料と言う話なら、その先は弁護士の仕事になるので、ついでに弁護士の無料相談にも予約してくれました。
僕は早速、先方企業の管理責任者に電話した。すると、
「そいつ今日出勤してるので、話し合いしましょう」とのことだった。いざ話し合いの場には、被災者と所属企業の責任者、島副部長と僕。
「この度は、大変な目に会わせてしまい、大変申し訳ありませんでした」・・・て言うよね、当然。
「こんな目に会わせて、今まで何も言ってこないなんて非常識ですよね」と念を押すいい方。対する僕は冷静に、
「当社は加害者なので、所属企業様の方針に合わせるしかないと伝えて、(対応すべきことがあればすぐ連絡ください)とお伝えしていました。当然損害賠償にも応じる考えを伝えています」
でもそれが被災者本人には伝わってないみたい。その企業もいい加減だな。それで向こうの言い分は、
「ケガを負わせた企業が何も謝って来ないから、裁判にするしかない」とのこと。でも事実は、何度も謝ったでしょ。僕は土下座までさせられたのを聞いて、驚いたばかりだ。それでも、あくまで冷静な受け答えに徹した。
「じゃ、損害賠償を払ってくれるんですね」とまた念押しのように聞いて来た。
「いいえ払いません」僕はその質問には、きっぱりとそう答えた。
「・・・当初は払うつもりでしたが、裁判とおっしゃっているので、今、私の一存では決められません。請求されている金額が、当社の見積もりとあまりにかけ離れていますので、内容を精査させてください。それに期限が土日を挟んで3日後の月曜では、保険の申請も間に合いませんので、もう暫く待ってもらえませんか?」
その後の彼は、交渉がうまくいくと思ったのか、急に饒舌になり、
「僕はこういう事案に慣れている。前の会社でもこういうのを扱っていた」とか、
「すでに労災申請しているので、話は労基にも裁判所にも行っている」って。
(なんで裁判所に? ハッタリだな)こんな交渉でハッタリ言うと、自分の首絞めることになるぞ。
詳しく聞けばこの人。所属企業に派遣されて来た派遣労働者だったんだ。派遣元で労災申請したのなら、休業や治療の補償はもう受けているはず。
「じゃ、その分は当社は支払い義務はないので、慰謝料だけになります」と言うと、
「この事故が原因で鬱病と診断されているので、今、払わないとこんな額じゃすまなくなりますよ」だって。ああ、恐ろしい人だ。
「お金に困ってるわけじゃないので、金額に拘ってるわけじゃない。すでに司法書士に任せてますから、その請求額も僕が計算したんじゃなく、代理人が記載してるんで僕は額を知りません」だってさ。
あんな手紙を司法書士が書いたって言うのか? 被災者本人が知らない金額を、勝手にへたくそな手紙で送って来るなんてあり得ない。自作自演に違いない。それにさっき、「こんな額じゃ済まなくなるぞ」って脅してたのに、金額知らないって、何言うの? ああ、恐ろしい人だ。
この日は、その110万円にも上る損害額の内訳を説明してくれないと保険申請が出来ないということで、説明出来る代理人を紹介してくれるようにお願いしました。それで後日、被災者の代理人と派遣元担当者、派遣先の責任者、加害者宮内君と僕と島君で、もう一度話し合う約束をして解散となりました。
ところが、翌週の月曜日(支払期限の日)、被災者が一方的に「すぐに支払ってくれないなら、もう弁護士に言ったんで、訴訟にすることにした」と言い出しました。ああ、恐ろしい人だ。
そして、ケガの診断書と鬱病の診断書や、重症の場合の慰謝料の目安の一覧表のコピーを渡されました。
「そこに証拠が揃ってる」
僕はじっくりと内容を確認したけど、ケガが頭部だから(1か月間は要経過観察)と記載されている他は、2回目の診察で湿布が出されたことくらいしか分からない。(どこに貼る?)
慰謝料の目安表は重症患者に適用されるもので、しかも金額的には未来の分まで3カ月分を要求しているようだ。
鬱病の診断書の日付けに関しては、先日の話し合いの晩に、この精神科に行ったみたいだし。それって、何か慌てて書いてもらった感があるけど、確かに(事故が原因で鬱病を発症)と記載されてた。こんなに早く原因まで突き止める精神科医って、超天才じゃない?(逆に法的には信憑性が無くなったってこと)
「司法書士の説明はどうなったんですか?」と聞いた。
「もう弁護士を雇ったんで、今後は弁護士と話してもらうことになります」
「それは構いませんが、金額の内訳を説明出来るように、最初の司法書士と情報共有されるんですよね」
「僕は代理人から何も交渉するなと言われてますから、払わないんだったら、弁護士が相手になりますよ。それでもいいんですか? こんな額じゃ済まなくなりますよ」と、また念押しのように聞いて来る。
「まあまあ、落ち着いて話を整理しようじゃないか」と見かねて口をはさんだのは、所属企業の管理責任者だ。
「何も損害賠償を払わないとおっしゃってるんじゃなくて、払う金額を精査したいから説明してほしいと言われてるだけだよ」
(そうだそうだ)と僕は心の中で言った。
作品名:ひとり言 せずにはいられない 作家名:亨利(ヘンリー)