左端から見れば全部右寄り Part.10
2.NHKのズルさ
NHKで、6/24(土)から新しいドラマが放送されているそうです。
タイトルは『やさしい猫』、以下はNHKによるキャッチフレーズです。
『ただ家族3人で暮らしたい。幸せが突然奪われたのは、彼がただ外国人だったから…』
これだけでもなんとなく香ばしさを感じますけど、宣伝文も引用します。
『シングルマザーで保育士のミユキ(優香)は、震災ボランティアで訪れた東北で、スリランカ人のクマラ(オミラ・シャクティ)と出会う。1年後、運命的な再会を果たした2人は次第に惹かれ合い、ミユキの娘・マヤ(伊東蒼)を交えた3人は家族のように一緒に暮らし始める。同僚保育士のほなみ(石川恋)はよき理解者だ。最初は3人を微妙な目で眺めていたアパートの大家・水上(池津祥子)もやがてミユキたち家族を応援するようになる。
婚姻届を提出し正式に夫婦となった直後、クマラはオーバーステイを理由に入管施設に収容、母国への強制送還を命じられる。処分の再考を訴えるも、入管職員・上原(吉岡秀隆)は事務的に拒絶する。口頭審理では偽装結婚ではないかと疑われ、絶望するクマラとミユキ。入管での面会はアクリルごしに30分のみ。理不尽な対応への怒りと、助けられない悔しさにミユとマヤは打ちひしがれるが、わずかな望みを託して弁護士・恵耕一郎(滝藤賢一)を訪ねる。その恵弁護士を紹介してくれたのは入管でこの件に対応した上原だった。上原は入管の現状に疑問を感じ、入管を辞して行政書士となっていたのだ。
クマラを助けるためには、裁判を起こして裁決取り消しを勝ち取り、在留特別許可を得るしかない。ただ家族3人で暮らしたいだけ…ささやかな願いを胸に秘め、国を相手どった戦いに挑んでいく。』(引用終わり)
この連載を読んでくださっている方にはツッコミところがわかりますよね。
強制送還を命じられたのは『彼がただ外国人だったから』ではなくて『オーバーステイ』だったからです。
要するに許可された期限を過ぎても不法滞在を続けていたから強制送還処分が下された、当たり前のことです、恋をしたから、結婚したからなどと言うのは不法滞在を続けて良い理由にはなりません、なんとなればミユキとマヤがスリランカに渡ると言う選択肢もありますよね、クマラがどうして母国を離れたのか知りませんが、法を破っても貫きたいほどの強い愛があればきっとなんでも乗り越えられますとも。
『入管職員・上原(吉岡秀隆)は事務的に拒絶する』
そりゃぁ職員としてはそうせざるを得ませんよね、正しい対応です、ですかNHKは『理不尽な対応』としていますね、その上原が入管の現状に疑問を感じて行政書士になっていたというのは何ともご都合主義です。
そして『クマラを助けるためには、裁判を起こして裁決取り消しを勝ち取り、在留特別許可を得るしかない。ただ家族3人で暮らしたいだけ…ささやかな願いを胸に秘め、国を相手どった戦いに挑んでいく。』
まあ、戦いを挑むのは勝手ですが、明らかにミユキとクマラを正義とし、入管法を悪としていますね、NHKがこういうドラマを放送するのはいかがなものでしょう?
民放のドラマや映画ならまだしも、『公共放送』を名乗るNHKがこのように偏向したドラマを放送するのは明らかにおかしいです。
『可哀想だから』と言って不法滞在を目こぼしすれば、必ず悪用しようとする人間が現れます、『偽装結婚ではないかと疑われ』とありますが、実際にある事例なのでやむを得ないことです。
まあ、このドラマは真っ向から反日してますけど、NHKはしばしばシレッと偏向を忍ばせて来ます、そちらはもっと悪質だと思います。
以前『日曜美術館』でアンドリュー・ワイエスの特集を組んだ時は、彼を『移民を描き続けた画家』と決めつけていました、しかもわざわざ冒頭に当時のトランプ大統領の不法入国者を取り締まるとした演説を持ってきて。
ワイエスは名もなき農民や黒人を描いた画家ではありますが、ことさらに移民ばかりを描いたわけではありませんし、そもそもアメリカは移民で成り立った国ですから、ワイエスが描いたのは合法的な移民だったわけです、不法入国者を支援していたわけではありませんよね。
『世界街歩き』と言う番組は好きでよく見るのですが、コスタリカを取り上げた際にはかの国が軍隊を持たないことを取り上げ、『兵士の数だけ教師を』と言うスローガンをことさらに強調して持ち上げていました。
実際には、コスタリカは常設の軍を持たない代わりに有事の際には一定年齢層の国民すべてに徴兵に応じることを義務付けています、もちろん番組ではそのことには触れていませんでした。
加えて言うなら、現政権は軍事クーデターで政権を握り、警察に一部軍の機能を持たせて政権維持を図っているのです。
そして常設軍無しで国が成り立っているのはアメリカの保護を受けているからにほかなりません。
まあ、確信犯的だったワイエスの時と違ってディレクターがそう言った事情を知らなかったのかもしれませんが、あたかも軍備無しで国防が成り立つかのような伝え方はあまりにもお花畑的で、上層部が番組をチェックしなかったはずもなく、意図的に見過ごしたとしか思えませんでした。
ドラマや教養番組、紀行番組に政治的意図を忍ばせて来るのは随分とズルい、悪質な手法だと思いますね、なぜなら視聴者は全然身構えていないでしょうから。
政治討論会のような番組でしたら、視聴者も頭をフル回転させて見るでしょうが、こういった番組ならばそのまま受け入れてしまうことが多いでしょう、特に政治に興味がない層にステルス的刷り込みをしようとしているとしか考えられません。
私はTVニュースをほとんど見ませんが、朝食時など家人が見ているのをチラチラと眺めています、しかしその際は『ウソや印象操作はないか』と疑いながら見ています。
ウソとまでは言わないまでも、SDGsだのCO2削減だのLGBTだのを伝える際、あたかもそれらが正しいことで、それに反対するのは前時代的であるかのような伝え方をすることが多いです、手口としては、ニュースを伝えた後、キャスター間で『こういった取り組みは今後ますます大切になるでしょうね』などとやりとりするんですよ、ステルス的刷り込みです。
自分の頭で考えようとはしないくせに『意識高い系』を気取ろうとする層には刷り込みやすいでしょうね。
そして、『報道しない自由』も相変わらず行使しています。
SDGsと言う言葉はほとんど日本でしか広まっていないこと、LGBTの権利に特化した法律など世界中どこを探してもないことなどは匂わせもしないのです。
新聞にしてもTVにしても政治的に完全にニュートラルと言うわけには行かないのはわかっているつもりですが、少なくともバランスを取ろうとしなければ『公共放送』とは言えないのではないでしょうか。
SDGsを取り上げるのならば、そのことがどの程度環境保護につながるのかを科学的に伝えると同時に経済活動や私たちの生活にどのような影響を与えるのかを伝えなくては片手落ちです。
作品名:左端から見れば全部右寄り Part.10 作家名:ST