橋のたもとの三人の女
いどりが沢村を魅惑する目的で橋のたもとに立っていたことは黙っておいた。それは沢村が知ったところでどうしようもないことだったし、これでまたパニックを起こされてもたまらない。日暮れが迫っていた。埋めに行かないと、と言うと沢村がまたもそもそと礼を言った。
ポタージュのスープを飲み終わった沢村は、私が何にいどりを入れたのかだけ聞くと小屋の奥から大きなリュックサックを出してきた。作業用のヘッドライトは一つしかなかったから、私は別のライトを手に持つ。沢村はリュックサックとスコップの他にいつもの金属バットを携えていた。私はライトの他に鍋を前に抱えていた。見ようによってはリゾート跡地にキャンプをしに来た人間に見えなくもない。私が抱えた鍋の中にはいどりの頭と手首が入っていた。沢村のリュックサックの中身はその他の部分だ。外から見えなければ何の問題もなかった。バットだけがこの中で異質だ。
橋の向こうに青白い顔の女の姿はなかった。橋を渡るときに、一瞬だけ沢村の体がこわばったような気がしたが、特に何事もなく通り過ぎる。鍋の隙間からいどりの残骸を見ようと思ったが、手元のライトは前を照らすのに忙しいので、周囲にあるのよりも少しだけくらい暗闇だけが見える。
――あんなに美しかったのに。
田中いどりの美しさは傲岸と不遜からできていた。早川美夜子とは向いている方向がまるで逆だが、どちらも美しさに執着していることには変わらない。いどりが自身の美しさに見合うものとして沢村を要求していたのに対して、早川美夜子はただただ沢村の美しさに依存していた。青白い顔はともかく、不自然に折れ曲がった手足をせめて治してから出てくればよいのに、後生大事の文字通り手放さないのは、それが沢村によって与えられたものだからだろう。私は幽霊の方を警戒して辺りを見回す。沢村が落としたものは一つ一つ拾って後をつけ、水より淡い執着が煮詰まると、早川美夜子は生きながら化け物となった。殊懇意の人間が現れた際には激しく嫉妬し、これに危害を加えることに及ぶに至っては、美夜子の狼藉を黙認せざるを得なかった沢村もさすがに止めざるを得ない。その結果が別れ話と殺害と遺棄だ。常に付きまとわれていた沢村は最悪の場合も想定して動いていたらしいが、一つだけ想定外だったのは、死んだ筈の女が橋の向こうに立つことだった。腐敗しやすくなるよう処理を施した死骸はもうとっくの昔に溶けてなくなっているにもかかわらず、青白い顔をした亡霊だけは昼夜を問わず橋の向こうに立ち続けた。それが亡魂の執念によるものなのか、それとも地獄ともうたわれる温泉地の風土がもたらしたものなのかは知らない。けして橋の向こうからこちらに来ることはなかったし、バットを振れば掻き消える程度の幻だったが、それでも沢村の精神を蝕むには十分な威力を持っていた。買い物や挨拶程度の日常会話には問題がないものの。この件に関して沢村は判断能力を失っている。早川美夜子の死体を遺棄した場所に、いどりの亡骸を加えることには何の問題もない――と、私は判断した。沢村に考えさせるにはいささか酷な話だ。だが、実際早川美夜子の遺体遺棄はうまく行ったのだし、もし化けて出たとしてもあの橋を越えては来ない。
目的地に到着して沢村は穴を掘りはじめた。源泉近くの管理人以外の立ち入りを禁止した区域は硫黄の猛烈な臭気の立ち込める場所は、多少の腐敗臭ならごまかすことができる。湯の流れる河原から、少しだけ陸に上がった所の玉石をはがして、細かな砂を一畳ほど掘りぬいたところで沢村がようやく手を休めた。端から見れば風呂のようにも見えた。実際底の方には薄く湯が張っていた。衣服や髪飾りのようなものがあったら取り除いて、とリュックサックから取り出した袋の中身を風呂の中にぶちまけながら沢村が言う。頷いて浴槽の中を照らす。湯の中では水といどりだったものが入り混じっていた。校則違反を承知していどりが持ち込んでいたネックレスが見えたので、それを拾っている間、沢村は浴槽とほど近い場所に洗面器ほどの小さな穴を掘っていどりが入っていたごみ袋を入れてざぶざぶと洗う。
「金属のものは適当に処分するから別にしてほしい。燃やせそうなものは帰って燃やすから」
つまり、ここに置いていくのは田中いどりの遺体だったものと、一緒にすくった砂や泥程度だ。適当な頃合いになったら掘り起こして攪拌してからまた蓋をするのだと解説を加えた沢村が洗い終わったごみ袋を引き上げると、私が持って来た鍋の中を見て固まっている。不審に思って声をかけると、沢村はしばらく離れていてくれないかと言った。鍋の中を浴槽にあけると、沢村はバットを手に取ってそのまま転がり出た頭骨に向けて垂直に振り下す。
作品名:橋のたもとの三人の女 作家名:坂鴨禾火