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霊刀之由来

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車軸を流すような雨が夜の中に降っていた。戸口からの光で一条一条銀に光るのを横目に、合羽の合わせ目を改める。
 台風から勢力を減じた温帯低気圧が秋雨前線を巻き込みながら北上を続けていた。玄関からさほど離れていない茶の間から避難を呼びかけるテレビの声が今も発せられているはずだったが、叩きつけるような雨音にそれすら途切れがちになる。足下は運動靴、荷は厳重に包んで更に一枚合羽を重ね、手には小型のライトを持つ。一通り点検し終えて、テレビの電源は消してから出ようかと迷ったもののそのままにした。
 ──兄ちゃん、どうした。
 人を三枚に下ろしたような顔をして、と言う包丁研ぎの顔は、何度か見たことがあった。月に一度、スーパーの店頭で包丁研ぎの看板を出して座っている男だ。研いでもらおうと思って、と安西は紙袋の中から段ボールで鞘をつけた三徳包丁を取り出す。
 切れ味が悪い包丁は、菜は切らずに指ばかり切った。数日前、店頭に包丁研ぎの予告の貼り紙があったのを思い出して持参した次第である。素人研ぎにしちゃあ悪くはねンだがと光にすかしてみていたが、砥を水の底から取り出すと刃を研ぎ始めた。
「買い物に行って帰ってきて丁度な位だね」
 一通りこすり終えてからまだ安西がそこに立っているのを見て、別に見ていても構わないがと言った。せっかく代を払ってやってもらっているのに、見ておかないのはもったいない。安西が動かないのを見ると、こうも見られていちゃあかなわないなどと言いながらまた手を動かし始める。とはいえ、言ってみれば寝かした包丁の刃を水につけていた砥石でこする単調な作業だ。そのうち飽きて、並べてある道具類に目を移す。
 そっちは飾り、と目を上げずに包丁研ぎが答える。
「色々研ぐんで。道具を見れば判る人には判るから看板代わりだ」
「これは何を」
 包丁研ぎが顔を上げて、やっぱり人を切りたそうな顔をしていると言った。
「刀だよ」
 しばらく考えて冗談だなと受け取る。寝不足でろくに頭が回っていない。
「家に幽霊が出るんだ。幽霊を切れる刃物ってないかい」
 はあ物騒な、と包丁研ぎの生返事が帰って来る。幽霊は既に死んでいるのだから、切りかかっても問題はないはずだ。こちらは生きていて、いい加減寝不足だった。出るのは夜中、寝ているとと顔の上に冷たい何か──海鼠の類ではないかと思うのだが、水気の多い塊をぼろりと落として立ち去っていく。無論灯りをつけると海鼠も幽霊も何もいない。おかげで朝食の支度で指を切った。海鼠を落っことす幽霊っていうのは初めて聞きましたが、と再び手元をいそがしくしながら包丁研ぎが言った。
「幽霊を切ったってえ刀は聞かないわけじゃない」
 けど高いですよ、と包丁研ぎはちょっとすかして砥に当てた。
「幽霊を切ったっていうのは箔の一つです。切るも切らぬも関係なしに、誰が打ち、誰が使って、どういう話があるか。何一つ切ったことが無くったって、来歴が積み上がっていれば霊剣に違いない。幽霊ってのも、要は来歴でしょう」
 無言で異議申し立てをしたものの、当然伝わるはずもない。出来上がった包丁の代を払いつつ、ふと思いついてそっちはと先程飾りだと言った砥を指した。
 切れる刀でも研がなければなまくらだし、逆もまた然りだと安西は思う。無論鍛冶の腕もあるし、剣豪の腕もあるだろうが、切れる刀をより切れるようにするのは研ぎの仕事だ。包丁研ぎは砥こそ売らなかったが、物の名と工夫は教えてくれたので刀を一振買い求めて研ぐことにした。砥石も揃える。大概は寝る前、砥を出して無心に刃を研いだ。そうして研ぎ終わった刀はいつでも幽霊に切りかかれるように枕元に置いた。時折、幽霊が海鼠を落としてゆく気配がすると切りかかってみるものの、手応えはないまま日が過ぎていった。研ぎの方は元々才があったらしい。三月ほどして同じ店先で包丁研ぎが手持ち無沙汰にしていたので見てもらうと、まあまあ上出来と言って石の出る山を教えてもらった。
 毎晩、眠る前に刃を石に当てる。
 本当は灯りの無いような所で、ぞりぞりと刃に石を当てたかったがそれでは研ぎの具合が判らない。仕方なく電灯をつけて、薄暗い中で時折刃を光にかざして見ていたが、二つともすところを一つに、やがてそれが棗一つになって、時折懐中電灯でぴかりと照らすに至るともはや安達ヶ原の鬼婆に間違われても文句は言えない。幽鬼を切るために研ぐもの自体が幽鬼になってしまっては転倒しているようだが、そうでなければ幽鬼が切れないような気がする。
 いつものように幽霊が現れて、海鼠を落としていった。ある夜、それに気付いて起き上がりざまに切りつけると手応えがあった。どかんと壁に物の当たるような音が聞こえたので、慌てて灯りをつけると障子の桟がひしゃげている。
 幽霊ではなく海鼠に当たったらしい。灯りをつけて折れた桟を見る安西の背後で、ひたひたと足早に去っていく音が聞こえた。それからというもの一向にに出ない。再び顔を合わせた包丁研ぎに、更に刀をよく研ぐすべはないかと聞くと、あきれ顔でもう十分でしょうと答えた。
「見るための研ぎなら、まだやりようがありますがね」
 手応えありなら十分なのではという包丁研ぎの前で首を振る。当てることができるならば切ることもできるはずだ。第一海鼠は切れていない。
「幽霊で研いだらいかがです」
 包丁研ぎの答に、それだと思って今日に至る。
 国道を通って山道に入るまでの間が道中最も気を揉むところだった。真夜中過ぎ、それも雨の降る道を通る人は稀であったが、それでも行き会わない保証はどこにもない。いつものように山道を入って、そうしてそのまま最初の分かれ道まで進んだ所で灯を消した。藪の中に一本かなり細い分け目がある。急坂というよりもはや崖に近い坂道を小笹や蔦に捕まりながら這い上ると、帯のように細い平地に出る。国道はこの道に沿うように作られていた。旧道だ。
 平地の奥の茂みの中の、日頃から木々の色が濃くて地草も繁らぬ辺りを抜けると地表に露出した岩肌が斜めに山肌を覆っているはずだった。爪先が濡れた石に触れてぬるりと滑る。そのまましゃがみ込むと手のひらで石を確かめた。当たりだ。ひっきりなしに雨粒が打ち付ける岩肌に向かって腰を下ろすと荷を解いて、緩やかに傾斜のある巨石の上に滑らないよう雑布を敷く。その上に石から削り出した砥を置き、海鼠を切るに至らぬなまくらに指を添えると、水の流れる肌に刃を滑らせた。
 小さな悲鳴が一つ上がる。
 雨の山中に通い続けるのはこれが理由だ。中山の夜泣き石は身重の女が夜盗に切り殺されて傍らの石に取りついたことは著名であるが、同様の夜泣くは各地にある。中でもこれは当たりだ。包丁研ぎから教わった石の出る山について、地誌に記載があったのを思い出して見に行った。由来もほとんど中山と同じだ。果たして本当にそんなことがあったのかは定かではない。ただ、夜泣く――それも雨夜によく泣く――という。
 来訪したときは昼間だったから泣いてはいなかったが、砥になるかなと思って剥落していた石を拾った。想定通りの良い砥になったが、家で研いだところで泣かない。欲しいのは霊が取りついた砥だ。
作品名:霊刀之由来 作家名:坂鴨禾火