それって必要なの?
そうこうしているうちにさらに妊娠率が低下した。男性の精子の鞭毛を細胞性免疫が攻撃するように仕組まれた不妊化生物兵器が散布され、地球全体に広がったのである。男性の体内で活力ある精子は減滅していった。もはや自然性交による妊娠は不可能となり、採取した精液からえりすぐった精子を集め、体外受精で受精卵を作って受精卵移植するしかなかった。
大量の精子を集める必要があることから酪農の搾乳機のような機械が駅やコンビニに設置されて男性の精子を搾り取った。当然のことながら、法律によって男性の「自由自慰」は不道徳な犯罪とされ、ティッシュペーパーの売り上げが激減した。
しばらくすると体細胞から人工精子を作る技術が確立されたことで、男性たちは射精の義務から解放された。しかし、出生率の低下は依然として深刻であった。国家の存続は個人の幸福より優先されるという考えは、民主主義の国においても為政者の本音であった。
人口を維持するためには女性の数を増やすしかないことから性別の産み分け技術により男子出生を禁止する国が現れ、次第にそれは増えていった。
精子などは体細胞からいくらでもできるから男性は不要である。女性が社会に出ることを制限するイスラム教原理主義の国では社会制度の維持のためには男性が必要であり、有効手段を取れなかった。
男性が減少した国では女性の同性愛が普及していった。性教育とは、女性同士の「正しい性愛」を広めるものとなった。数千年の歴史を持つレスボス島の作法と称するものが広まった。しばらくすると家元制度が始まり、流血の抗争の末に分裂して、「表レスボス家」、「裏レスボス家」及び、「武者小路レスボス家」という3つの流派に分かれた。
魅力的な一人の女性が複数の「妻」を得る「一妻多妻」が話題を呼んだ。
出産及び子育ては女性にとっての一大事である。そして承認欲求の充足あるいは女性間の競争心によって、この目的に特化した複数のカップルからなる「合目的な家族」が誕生した。看護婦、栄養士、保育士及び会社経営者からなる4人の母親が子育てをした家族の事例は非常に生産性が高いと評判になった。統計調査の結果、もっとも教育効果が高いのは4人の母親が育てる場合であることがわかった。21世紀の日本に同性愛者は生産性がないと発言した政治家がいたことは歴史に残る笑い話となった。
家事と仕事と子育てを女手ひとつでこなす核家族及びシングルマザーはかび臭い伝説となった。家族は子育てのための機能集団となった。
「あなたのお母さんは何人いるの?」と子供に聞くと「4人」、「6人」という答えが普通に返ってくるようになった。複数のカップルの複合体が家族になることが多いため親の数は偶数が多かった。
「不慮の事故」により生まれてしまった男性は「女人禁制」の特別な施設に隔離された。「男性」はツチノコや雪男などと同じように、存在への疑念、畏怖の対象と言う点で「遠野物語」のカッパや山人のようなものかもしれない。
もはや男根はカッパの頭の皿よりも現実味が無かった。性的に興奮すると巨大化する性器をもつ生物が多数、人間社会の重要な位置を占めていたという事実は博物館あるいは宝物館で展示されるのみである。
アメリカ州知事選挙演説でLとRを間違えた候補者がいた。
この偉大な<勃起>をごらんください!人民による人民のための<勃起>です!!
「勃起:Erection」と「選挙:Election」は大きな違いであるが、22世紀の人々は理解できなかった。なお2023年にこの単語のLとRの言い間違いで落選したテキサス州知事候補者がいたのは事実である。
日本は家族を単位とする制度をかたくなに守り、21世紀前半においても、実質的に世界で唯一の戸籍制度を維持し、家族を最小単位とする国体を推し進め、選択的夫婦別姓すら認めなかった特異的な国であった。それでも他国からだいぶ遅れて男子出生が禁止された。
例外的に天皇のみが男性であることが皇室典範で定められた。日本人はいにしえの昔からY染色体を崇拝してきたのです!日本国民の象徴には万世一系のYが必要です!世界でもまれな万世一系を守るのは国民の義務です。と皇室評論家はそう断言した。万世一系は歴史的な証拠がないとか、Y染色体を崇拝しているという根拠はないという話は新聞に掲載されず、ネットから削除された。
日本国の象徴を維持するための「側室」が500人設けられることとなった。男子を生むというのは、非常に希少性のある生物の母になる名誉である。
公平かつ高潔な学識経験者からなると言われている皇室典範検討委員会が5年間に渡ってまとめた答申を踏まえ、国民の合意が十分に熟成されたと与党が判断したことにより、各都道府県に「側室御殿」が建設された。
「側室」としてスカウトされるのはトップレベルの高学歴女子にとって想定すべき将来像となった。側室就任を拒む女性に対しては宮内庁からの説得工作が行われた。そのスタッフには宗教団体で腕を磨いた洗脳のプロがいて自由意志は尊重されないという噂があったが証拠はなかった。
大相撲は男子減少により廃止となった代わりに、全日本女子プロ相撲協会が設立され、男子禁制の土俵で国技の神髄を引き継いだ。女子レスリング世界選手権7連覇のヘビー級選手が、豪快なリフト技で優勝し、初代横綱を拝命した。その技は新しい四八手として「三枚おろし」と命名された。
世界各国のプロ野球選手は女性が占めていった。女性という言葉は人間という言葉と同一の意味を持つものとなった。
それは不妊危機の始まりから約100年経過した22世紀の穏やかな小春日和の午後だった。報告された統計において出生率が上がっていることに日本の厚生労働省の役人が気付いた。
あれ?何かが起こっている!
1か月後に記者会見が開かれ、子供が増えることは良いことです。もっと安心して出産できるような環境づくりに全力を挙げます、という大臣のコメントが発表された。
1年が経過すると妊娠率はほぼ100%になった。急激に受胎率が増加した理由は不明である。食料等を含めたすべての資源が足りなくなることに気が付いた政府は、妊娠中の女性の半数に人工中絶を命令した。
新たなバースコントロール計画が制定され、再び不妊危機が猛威を振るったときにも対処できるように制度が練り直された。出生数が再び減る時に備えるために、増えすぎた子供を人工冬眠させる技術が開発され、多くの幼児が人工冬眠器の中で「ストック」された。「いっぱい寝たらまたママに会えるよね」と言って多くの子供たちが氷の眠りについた。
家族制度を重視する政党の水脈さなえ議員が国会答弁に立った。
「家族制度は日本の伝統です。不妊危機を乗り越えた輝かしい勝利の今こそ逞しい男たちを復活させ、日本伝統の家族制度を元通りにし、美しい日本を再興しようではありませんか!住民登録も戸籍制度に戻しましょう。個人よりも家族を尊重する世界でも類を見ない日本の美徳を取り戻しましょう!」
この答弁をTVやインターネットで視た日本人はほぼすべてが女性である。
日本国民のほぼすべてが女性なのだから当然ながらそうである。