小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

人生×リキュール ペパーミント・ジェット27

INDEX|1ページ/5ページ|

次のページ
 
ことの起こりは、ある冬の早朝だった。
 俺たち兄弟が白い息を吐きながら段ボールでできたマイホームから這い出して、かじかんだ手で薬缶を持って水飲み場に向かう途中。そのジイさんに出会っちまった。
 ジイさんは車イスに乗ったまま死んだようにぐったりと項垂れていた。兄貴がいくら呼び掛けても微動だにしないから、オレは凍死してるんじゃないかと思ったんだ。だけど、違った。兄貴が必死に背中や腕を擦り続けたらジイさんはやっと瞼を押上げたんだ。死んでなかった。
「なにか食わせてくれえー」がジイさんの息も絶え絶えの第一声。つまり、飢えてたらしい。だけど、なんだって寄りにもよってホームレスばかりが集まってるこんな公園に来たのか。ホームレスなんて、その日の食うものにすら困るような身の上なのに。街中で倒れた方が、親切心に溢れた行政や生活に幾分かの余裕が残っている一般人が見過ごさないと思うから、よっぽどよさそうなもんなのになとオレは不審に思った。
 だけど、人のいい兄貴は、ジイさんに俺たちが蓄えた僅かな非常食を恵んでやろうとしている。だからオレは反対したんだ。こんな得体の知れないジイさんなんて放っときゃいいだろ、オレたちに他人を助ける余裕はないと意見した。ところが、兄貴は「生きているうちに、許されているうちに、善き人たれ」とかマルクス・アウレリウスの名言をバシッと返してきてさ。明日は配給のある曜日だから、まぁいいけど。お人好し故に親から継いだ会社を潰してしまったというのに、兄貴は親父の遺言を頑に守っているんだ。
 昔っからそうだった。オレより数百倍、頭脳明晰、博学才穎なくせして、情と涙に脆くて、簡単に騙される。それがいいところでもあるけど、こっちは側でハラハラし通しだ。素直な兄貴らしいけど。
 ジイさんが兄貴の作ったカップラーメンにがっついているのを見守る優し気な笑顔。オレには真似できない。
 カップラーメンを食べ終わったジイさんは、ありがとうありがとう助かったとお礼を言い始めた。そもそもなんでこのクソ寒い朝にあんなところで往生していたのか、オレは聞いたんだ。だけど、ジイさんはそれには答えずに、車イスの後ろに手を突っ込んで緑色のひょうたんみたいな変な形の瓶を取り出した。お礼だから受け取ってくれと言って兄貴にそれを押し付けてきたんだ。妙だなって思った。
 こんなもの持ってたんなら、どうして行き倒れてた? ジイさんのごり押しに負けて、困った笑顔で渋々それを受け取る兄貴は、ジイさんに対して微塵も不審感を抱いていないみたいだった。
 公園の入り口が急に騒がしくなったのはその時だ。
 パトカーが止まっていて、不機嫌そうな顔をした警察官が数人こちらに向かって歩いてくるのが見えた。ホームレス連中の誰かが、なにかやらかしたんだとオレは他人事として眺めてたんだ。ところが、警察官たちはオレたちのところ目掛けて来るじゃないか。なんでだって思った時には、兄貴が逮捕されてた。銀色の手錠をかけられ困惑した顔の兄貴と目が合ってお互いに首を傾げた。
 オレは「兄貴がなにをやった?」って警官に問い掛けた。そしたら、警官はジイさんを指差して「捜索願が出ている行方不明者だ」と言う。「お前たちが誘拐したんだろう」と勝手な濡れ衣を着せてきた。おいおいおい。
 もう一人の警官がオレにも手錠をかけようとして近寄ってきた。兄貴が「弟は関係ない。オレが勝手にやったんだ」と叫んで、ジイさんにそうだよな? と同意を求めた。多分、こんな大事になっているなんて思いもしなかったのか、状況についていけずに唖然としているジイさんは兄貴に言われるが侭に、赤べこのようにコクコク頷く。おいおいおい。なんでだよ。兄貴はジイさんに親切にしただけだ。
 オレは真実を訴えようとしたが、それを兄貴が目で制した。『言っても無駄だ。オレは大丈夫だから』
 結局オレは連行されていく兄貴の後ろ姿を見送ることしかできなかった。ジイさんも耄けたまま連れていかれちまったんだ。それが今朝までのこと。


 人生で初めて入った留置所の牢屋の床は、冷たかった。
 畳が敷いてあるのも関わらず冷気が這い上がってくるようだ。
 俺は壁に寄りかかって窓を見上げた。白く曇った冬空からは、今にも雪が舞い落ちてきそうだ。弟はさぞかし心配していることだろう。怒髪衝天の弟を想像していると、腹の虫が情けない声を出した。朝のコーヒーを飲み損ねたことを思い出す。老人の介抱をしてたから、それどころじゃなかった。でも、おじいさん、元気になってよかったなぁと安堵する。
 先程、別れた老人の姿が浮かぶ。狼狽しているようだったけど、きっと今頃、家族と再会できていることだろう。よかったよかった。それにしても、抜き差しならないこの状況はどうしたものか。老人が俺の無実を証言してくれればいいのだが、会話のは端々から認知症が入っているのが窺えた。信倚するには心ともない。
 はてさて、どうしたもんかなぁ。
 しばらくすると、銀色のトレーで昼食が差し出されてきた。
 白い飯にみそ汁と、揚げ物にお浸しなどの副菜が揃った豪華な内容に正直驚いてしまった。牢屋に入っていたほうが、飯には困らないんじゃないのか? じわりと滲みた欲望に負けそうになる。ホームレス仲間に聞いたところによると、刑務所では三食の飯はもちろん、無料で医療を受けられて、職も与えられ、僅かながらも給金が支給されるらしい。至れり尽くせりだ。それゆえに、万引きやスリなどの軽犯罪を繰り返してわざと捕まる年寄りもいるのだとか。保険も戸籍もないに等しいホームレスにとっても、まさに天国。悪くないかもしれないと僥倖を味わいながら箸を動かしていると、弟に申し訳ない気持ちが込み上げてきた。
 弟は食べ物にありつけているだろうか?
 蓄えていた食料の半分は老人に食べさせてしまったが、まだ弟の分くらいは残っていたはずだ。この空模様だと更に気温が下がりそうな気配がするから、温かいものを食べて、今日を生き伸びて欲しいと願わずにはいられなかった。一緒にいてやれなくて、ごめんなぁ。
 食べ終わったトレーが下がると、今度は毛布が差し出されてきた。
 ありがたいと感謝しながら広げて体に巻き付ける。肌触りはゴワゴワだが分厚くて温かい。
 窓を仰ぐと、灰色の雲行きになっている。今夜は雪が降るかもしれないと不安になった。家を補強しなければ。雪で圧し潰されてしまう。弟が空模様に気付いてくれればいいが・・
 満腹感と温かさから瞼が重くなってきた。
 俺が不甲斐ないばっかりに、弟にはいつも心配をかけっ放しだ。あいつには本当に悪いことをした。
 俺の意識は遠退きながら過去に遡及していく。
 親父から譲られた会社を倒産させてしまったのも、俺の責任だ。せっかく弟が苦労して取ってきた新規の取引先までふいにしてしまった。借金の肩代わりをしてしまった俺がいけなかったんだ。だけど、あの人は苦しんでいた。会社を危険に曝すことになりそうだと予測ができたが、見捨てることができなかったんだ。
 困っている人は助けろというのは親父の遺言だ。だけど、弟は完全にとばっちりだった。取引先の娘さんと入籍間近だったのに。俺が弟の人生を台無しにしてしまったんだ。可哀想なことをした。